フラメンコ・オーレ フラメンコファンと練習生を一挙にスペインへ!
音楽・踊り・歌の本格サイト〜友繁晶子がスペインから応援

フラメンコ・オーレ!/スペイン発のフラメンコ情報サイトフラメンコ・アカデミー/友繁晶子の本格フラメンコスクールフラメンコについての質問/スペインについての質問/ご意見・ご感想スペイン語/***セビリア発信・つれづれ草スペイン発

フラメンコ・オーレ!

フラメンコって何?アンダルシアって?セビリア・セビージャ?スペイン地理・歴史専門書
友繁晶子大人になってからの舞踊子供から始めるフラメンコ・スパニッシュ・クラシックバレエ
何年やっても上手にならない!あなたへバレエのページ 速報・集中レッスンスペイン留学レポートスペイン研修旅行レポート2004フラメンコ・全パス/朝晩全てに出られるコースUP!
友繁晶子・公演のお知らせ


2001年02月のセビリア発信・つれづれ草
[HOMEに戻る] [過去のセビリア発信・つれづれ草一覧] [管理者モード]
●2001年02月28日(水)

【つれづれのあっち飛び、こっち飛び日記】


 今、あの素晴らしいギタリストのヘラルド・ヌニェスがOFSの録音スタジオに通っているらしい。シギリージャなんかは絶品らしい。OFSの鬼プロデューサーは滅多に誉めないから、これは余程のものだろうと見に行きたくて仕方がない。
でも、全然立ち寄れないのだ。せっかくCD録音しているのに。

 昨日なんか、ちょっと稽古を通していて夜の11:00になってしまった。もっとやろうと思っていたが、さすがに体が疲労して来たのか同じところで何度もボサっとして来たのでもはやこれまで、と見切りをつけた。つけた途端にどっと疲れが出た。シャワーに入ったらもう、タコのようにぐんにゃりしてしまって悠長に物が書けなくなってしまった。
 夜は疲れ切ってしまうから、昼間にこうやって書いておく。出ずっぱりの時はできない。大抵は一日を第一部と第二部に分けて帰宅するので、少しは書ける時間がある。どうして家に帰るかというと、体力が最大限に使われている時こそ一層に自分の料理しか嫌なのだ。昼食が正餐なのです。外食は踊っている時はだめだ。ビタミンとかミネラルとか家庭科で習ったとおりのバランスのよいしっかりしたメニュー。わぁ、食いしん坊!と言われたって、これちゃんとやらないと一日に2キロやせてしまうのだ。山盛りのフルーツとデザートも。ご褒美として...第二部に備えてね。
 衣装の仮縫いに行かないといけない。面倒くさくって嫌になってしまう。仮縫いで大抵気に入らなくて、何時間にも及ぶのだ。どうしても気に入らないといけないのでいつも一曲につき数着注文しておく。それでも全滅で本番には大昔の衣装を引っ張り出してくる事もある。私みたいなお客は一人もいない、とデザイナーは憎悪を込めて言う。全くこの発言には疑う余地がないと私も自覚している。どうしていい加減なところで手が打てないのかと自分でも本当にうんざりしているのだ。衣装に関しての固執の仕方といったら、実にのろわれた性癖とさえ言える。他ののろわれた部分はおおやけに公表するつもりは、ない。では、また明日。
あ!ツアーで来る生徒の明日は確か、自由に行動する日だと言っていたけれど、よく考えたら祭日でお店が一件も開いていない。かわいそうに、買い物ができないじゃないの。がっかりしちゃうわよねぇ....

●2001年02月24日(土)

【もっと光を!!ブラインドをあけてくれ...】


 自分のアカデミー生には気をつけて指導しているので、ヒザや足に故障を出す人は皆無だが、集中レッスン生にはこれが驚く程多い。「自分は足が弱いので強化訓練を指導して欲しい」式の要望があって個人レッスンで見るとほとんど100パーセント本人が弱いわけではなくて、レッスン法が悪い事に唖然とする。もう、このページで何度も言っていてみんなは耳にタコができるくらいだと思うが、腰を落としてサパテアードをやってはいけない。
 また、いくら情熱のフラメンコだからと言っても、足音が強過ぎて音割れがしてしまっている。それでいて強はあっても弱がないものだから、とんでもなくモノトノで聞くに耐えない。全ての舞踊は強弱だ。アクセントのないものは価値がないのだ。真っ赤に塗りつぶされた絵、真っ青に塗りたくった絵のような舞踊になってしまう。
 ゲストブックでさんざん焦点になった「足の振り下ろし」もやっぱり上からどうやって振り下ろすのか、式の質問が今もって絶えない。
このしつこい定義は、もう日本フラメンコの特質になって喧伝されているとしか言い様がない。スペイン人の舞台があったらお尻を落として足をやっているかどうか、しかと見て欲しい。例えば、グイトが、コルテスが、ガルバンが、水道菅のようなカーブを見せて腰を落としたゲイっぽいスタイルでサパテアードを断行しているだろうか?答えは否だ。足も振りまわしていないってば!!見て、確認したら自分の目を信じて欲しい。
 江戸期の事だったか、漢方の医学書だったかな?心臓が二つあるとかなんとかあるのに疑問を感じた医者が動物を解剖してみたら心臓が一つしかなかったと言う。そして、解剖結果の方をバツにして信じない事にしたというのだ。次ぎに確か罪人をもらい受けて解剖してみたが、これも心臓は一つで、人体を解剖してもこれは罪人だからこうなのだろう、と決断して本の方を信じたという例が残っている。(うる覚えだから心臓でなくて内蔵の数だったかもしれないけれど、話しの本質はちゃんと覚えているからこの通りです)
 どうも我が民族は、書いてあるものが実験よりまさると決断する性癖があるみたいだ。自分の目と耳を信じなくてはいけない。節穴のような目、節耳で(こんな言葉はなくってもね)ぼさーっとしていてはいけない。いや、ぼさっとしていないけれど熱心のあまり本を読み漁り、人の言う事に熱心に耳を傾け過ぎるととんでもない事にならないとも限らない。これだけ沢山のスペイン公演があるのだから、よおく耳を掃除して、メガネをかけなおし、コンタクトはしっかり装着して舞台に食い入ってみることだ。

 私は仲間同士集まってはフラメンコ談義みたいな事をする場にもあまり熱心に入会を勧めない。孤独になる事だ。孤独を愛してじっくりとカンを働かせる訓練を重ねるのだ。これはとても静謐(せいひつ、と読むのよ)なかけがえのない時間だ。それは殺伐とした孤独とは異なる、充足の孤独なのだ。何でも、物事の本質に迫ろうとしたら、それは自分の五感に頼るしかないのだもの。自分に備わった能力を、過少評価してはいけない。子供の頃から、やれ、試験だなんだと落ちつく間もない人生を歩んで来て、ここで太古の五感をたずねて気持ちを集中させる事に気付くのもいいものよ。そう思わない?フラメンコが素晴らしいというよりも、つまりこういうものと出会ったお陰で自分と初めて向き合う事こそが、かけがえのない事なのではないかしら。
 週末にしては随分堅いテーマだけど.....

●2001年02月23日(金)

【仕事、TODO O NADA】


  昨日は朝早くから夜もうんと遅くまで休み無しだったので、さすがにつれづれはお休みだ。家にたどりついた時はげっそりと目が落ちくぼんでいたくらいだから、ご容赦願いたい。
 まぁ、代わり映えしないセリフで気が引けるけれど、毎日とても忙しい。
 まともな仕事をしたい人間というのは、多重処理を余儀なくされるのだから仕方がない。
 いつも思う事だけれど、程よい感じの仕事の量とか質というのは難しい。中ぐらいの質というのは私の仕事の場合は有り得ない。絶対完全を要求される。量についてもこんなに重なってほしくない時でも、重なる時は重なる。舞台のための打ち合わせや、色々なミーティングとアポイントがひきもきらない。現役の日々というのはこういうもので、ラクにやっていける量や責任、というのは趣味の世界だ。もしくは、ほぼリタイアした人の日常だ。

 スペイン人の友人が、半分でいいのにと思っても溺れそうなくらいの仕事に浸かってしまうか、それが嫌なら一つも発注が来ないかのどちらかで、自分の好きな量では決して仕事は来てくれない、と言っている。確かにこの言葉には説得力があると思う。
 仕事の一部として、家に人を招く習慣がある。大事な顧客や仕事仲間は家庭に招かないといけない。バレエ学校のエバからついに今週の土曜に食事に呼んで、と言われてしまった。とてもだめだ。ジョンとは今日の午後にミーティングしようと言われていたのに都合がつかない。最近みんなにセマナ・サンタが終わったら盛大な料理でもてなす、と言って逃げまくってしまっている。セマナ・サンタの後は4月の後半だ。2ヶ月も先の言い逃れというのは珍しい。あんまりだと思うけれど、一段落しないととても心がこもらない。料理は好きだけれど、食事の前後にゆったりと時間が取れるのでなければ、人はもてなせない。気のおけない友達でキッチンでがたがたしながら手早く料理してせかせかしていても楽しく話せる事は勿論あるけれど、大事な話しをじっくりするのならこれはだめだ。
 今来ている生徒とも本当はもっとじっくり話したいし、向こうも沢山聞き出したいみたいなのにそれができない。フラメンコの地元にせっかく来ているのだから実例を示しながらなんでも説明してあげたいのに...なんだか辛い。生徒の方では恐縮してとんでもないです、などと言ってくれるのだけれど今度はいつ来れるかわからないのだもの、私にはとても残念で心残りだ。

●2001年02月21日(水)

【つれづれに、うっかり見せてしまう私の弱気】


 今日は元気がない。
毎日こういう物を書いているとまずい。
いつも私は元気いっぱいだ、とみんなが言うけれど、(あれは他に挨拶の言葉がないからみんなして言うのでしょう?いつも元気いただいてまーす!ていう合言葉みたいなのは。)本当はここ数日ずっと地の底にひきづり込まれるような思いで過ごしている。稽古に集中していても、合間でふっと重い鉛のような
かたまりが意識の底に見え隠れする。えーっと...なんだったかな、と思うのと「記憶を引き出すな」という警告が浮かぶのが同時だ。自己防衛本能というやつかしら...?
 娘の国籍が問題になっている。
 この子が水泳でアンダルシア一位の記録を保っている事は、親ばか話しで生徒で知らない子がいない。スペイン全土で八位だ。英才チームに入れられている。けれども間もなくマラガかバルセロ―ナの特別の選手訓練所から話しが来るらしい。ヨーロッパの大会にもう、あと二年かそこらで出る事になるらしいのだ。ところが日本国籍では出場できないのだという。
 子供の父親が娘をスペイン国籍にするような事をこの間の日曜にさり気なく切り出してからこっち、元気が出ないのだ。このテーマは少しも考えられなくなっている。フタをあける気にもならない。この事をふっと思い出しただけでなんだか涙が盛り上がってきてしまうのだ。

 私にはスペイン国籍の取得権利は、とうの昔から生じている。おそらくスペインに永住するだろうけれど、日本国籍を捨てるつもりは毛頭ない。私は、ほとんど過激なくらいのナショナリストなのだ。(じゃ、なんでフラメンコだ、なんで日舞、清元、筝曲じゃないか、と言われても困る。)
 日本という国は確かに私には住みにくくて窮屈だったけれど、民族の誇りの問題は居心地とは別だ。子供と国籍で別れたくない。スペイン文化の中に、あの子をやってしまいたくない。
 いづれスペイン人にお嫁にやるんだろうな、とは覚悟しているし、それは嫌ではないのだ。ただ、まだやっと10才で、こういうシーリアスな国籍の問題に直面するとは思っていなかったのだ。
 水泳は私には思い入れがないから、どうせ選手だなんだと言っても15才までだろう、あとはただの人になるから...ぐらいにしか考えていなかったのだ。大会にも応援について行った事のない薄情さだ。
 「ただの人」になる前に、国籍問題を突きつけられるのは辛い。もしかして、このまま選手であり続けてしまうかも知れないのだ。才能や適性に恵まれるのは幸せな事に違いないかも知れないが、重要な決断に迫られるのはもっと大人になってからであって欲しい。
....まだいかにも幼くて、くりくりの瞳と、おかっぱ頭を見ていると、胸が苦しい。

●2001年02月20日(火)

【混沌の定義...なんて気取ってみたりして..】


 夕べくたくたに疲れて、遣り残しの仕事を片付ける意思が続かなくて、ベッドにもぐり込んだ。そうしたら、やれやれと、急に嬉しくなって思わずナイト・テーブルに手を伸ばして本をつかんでいた。ぱらっと開けたら「大脳のはたらき」と書いてあってげっそりしてしまった。どんな脳みそもまともに働いているとは思えないのに、今更原理だけ知ったって仕方がない。混沌とした脳みそでこんなものを読んでも楽しくもなんともない。成田でつかんできた「脳のしくみ」というおそろしく退屈な失敗本だ。もう、これで失敗本のリバイバルさえお終いなのだ。あとは、なんにもない。
 これの前の蓮如も最低だった。どちらもコップ1杯のオレンジジュースを30倍の水で薄めたような内容だ。同じ事を何度も言ってページをかせいでいる。肝心のこっちが知りたい事はちっとも掘り下げていないのだ。どこかの教授の書いたものでなくて有名作家の研究作みたいだったので、すごく面白いに違いないと期待していたのだ。あんまりつまらなくて、読みきるのに二年かかってしまった。うすっぺらの単行本なのに....。本願寺の一向一揆とか、信長の事なんかも詳細に出てくるのかなぁ、とわくわくしていたのに「蓮如が最後に作った子供は86才の時でした。驚異としか言い様がありません」しか印象に残らなかった。あまりの事にこの作家の文芸作品もこんなにお粗末なのか今度読んでみようと思ったくらいだ。全部この調子であんなに有名って事、あるかしらん?本当に疑問が疑問を呼んで全作品、読破してしまったりして?
 友達に編集者がいるのだ。面白い話しを聞いた事がある。作家とか、いわゆる書斎のインテリジェントに限って意外にも雑誌の対談、インタビュー、そして何よりもテレビ出演が大好きな人が多いのだそうだ。自己顕示欲というのは何も華やかな舞台表の職業の専売特許ではないのだ、とこの友人はささやくのだ。もっとも、これはアメリカの出版業界の裏話しだから、日本に当てはまるかどうかは知らない。でも、なかなか興味深い話しではある。テレビ出演、となるといかにも迷惑そうに渋面を作ってはみるが、その実いそいそとして顔に白粉なんか塗りたくられているんだそうだ。ん、もう!僕ちゃんを書斎からこんな事のために引っ張り出してぇ!ていう演技の渋面なのだそうだ。いやあね、編集者というのは。観察が鋭い!見抜かれているのを、当の先生はご存知なのかしらん?
 世の中、頭の良い人ばかりだから正直に生きていないとどこでどんな恥をかくかわかったものではない。脳はどんなに混沌としていても、なるべく素直にしていたいものよね。

●2001年02月17日(土)

【仕事とフラメンコの狭間で....】


 集中レッスン生で、うちのアカデミーに入会したいけれど時間がどうしても合わない、とよくこぼされる。今日も初級IIに入りたいのに6:45なんてとてもじゃないがたどり着けない、と言われてしまった。最近、女の子でも残業がめっきり増えて、7時前には会社を出られないという人が多い。遅ければ遅い程助かると言うのだ。9:00始まりでも嬉しいというから驚いてしまう。
 それでいて一方には遅くなりたくない人も結構いるのだ。時間の設定にはいつも悩まされる。
 ものすごく無理をして一生懸命通って来ていたのにたったの週に一度でも都合がつかなくてついに退会する人がたまに居る。そうして私に悲しいお手紙を送ってくるのだ。生徒が沢山いても一人一人にそれぞれの思いがあるから、私は生徒の退会はとても胸にこたえる。なんとかしたいと知恵をふりしぼるけれど、なんともできない事も多い。とても辛い。何かの拍子にどうしているだろうかと、思い出されて困ってしまうのだ。私の知り合いの大学の講師は、それが嫌だから生徒と親しくしないと言っている。気持ちは分かるが、なかなかそんな風に固形の心によろえるものではない。時間外で個別に付き合っていなくても、自然とその生徒を見ていれば色々な事が察せられてくるものだから..。
 残業も増えているけれど、女の子でも出張に出されるのが最近とみに増えているみたいだ。残業と出張の両方で責められると、もうささやかな趣味も続けられなくなってしまうみたいだ。人生には色々な思わぬめぐり合わせがあるから、またその時を待ちましょうね、きっとまた続けられるから、と励ましてみるけれどあまりなぐさめになるとは思えない。
 世の中には色々な環境の人がいるから経済的にとても無理をしてレッスンをしている人も勿論いる。うちでは他の生徒に不公平にならない程度のささやかな奨学制度もあるけれど、入会して間も無い人に適用するのは難しい。
 踊りという、夢を追うものを教えているのだから、なるべくその夢を支援してあげれるような体制に近づけたいといつも考えているが、なかなか力が及ばない。同僚に気がねしながら、色々な困難を克服して続けるフラメンコなのだから、一生懸命力になってあげないといけないな、と又、反省を新たにした今日の午後だ。
 うーーーん、6:45の初級は微妙なレベルをとても丁寧に指導しているクラスなのだけれど、一周間は何日もないし、そんなに8時代ばかりは作れないのだ。このレベルが一番中途半端で悩みの多いレベルでもあるのだ。フラメンコ人口としては一番多いかも知れない。そうして多かれ少なかれあちこちの教室を渡り歩いているものだからとても悪い癖がついてしまっていてしっかりと指導しないといけないレベルでもあるのだ。

 今、春からの新しいカリキュラムを練っている。全クラスに適用しようと思っているのだ。舞踊の基礎のない人のために編み出した訓練法なのだけれど、レッスン前の数分でウォーミングアップできて一生役に立つような、そういうものを考え出した。これでレッスンに入ると、体を痛めてしまう事がない。去年から自分の体で試しているが、(モルモットもいないしね!)とても効果がある。4月に引っさげて行くので楽しみにね。まあ、今すぐにできる事は、クラスの充実に向けての努力と研究くらいかな...

●2001年02月16日(金)

【うーーーん、誰だったっけなぁ...?】


 成田を出たはずの生徒から4日経っても全然到着の連絡がなくて心配していたら、昨日の朝8:45に電話がかかった。ああー、やっとかかりましたぁ。もう、メールを送るしかないかと思いましたぁ....と言われてしまった。家にいくら電話しても私が居ないと言うのだ。そうかもしれない。8:45は連絡不能の緊急用に教えておいた時間だ。8:30に電話が来るとかなり迷惑。子供を抱きしめていってらっしゃいをしているのだ。でも、45〜9:00までなら大丈夫。絶対つかまる時間なので運が悪いと重なってしまってかえってお話し中だったりするらしい。
 スペインでもみんなからモビル(携帯)を持ってくれ、家に留守録設定してくれとさんざん言われる。けれども携帯を持つのは不可能なのだ。運転しているか、レッスンに出ているかのどちらかだから電話に鳴って欲しくない。家には国際電話がいっぱいかかるから、留守録にするとかけた人は腹が立つかもしれない。この先何か考えないといけないが、もうちょっと現状維持で行こうと思っている。
 お昼過ぎのバレエの帰り道に、人さらいのようにして道に立っている前述の生徒をすばやく車にひろってOFSの見学に連れて行ったら感嘆の声をあげていた。録音スタジオ、ビデオ撮影用スタジオも見学。この、ビデオスタジオはまだ最近できたばかりで撮影には一度も使われていない。床に本物の闘牛場の由緒ある砂がまかれていて、素晴らしい音質のタブラオが作りつけてある。ワイン酒造の大樽が三つに組まれて積まれている様など、みんな目を輝かせて眺めていた。苦労の末に集めた骨董の数々が独特の古いフラメンコ的雰囲気を再現しているのだ。それらをなでさすって感心している生徒を引き剥がすようにして見学タイムをちょん切って踊りのスタジオに急き立てて連れて行く。非情だけれどこうしないと切りがないのだ。
 果たしてレッスンは一時間の約束の筈が時間が来てもやめないので、仕方なく30分延長したが、まだやめないのだ。なんだかものすごい熱中の仕方で、午後全部費やしても続きそうな雰囲気なので、あの、ほら、ね!もうお終いよ、かわいそうだけど....で、やっと魔法からさめたみたいにしていた。空が青くって、夢のようで時間の感覚がきっとなくなってしまっているのだ。じゃあ、明日はここで直接待ち合わせね、と言ったら元気に返事をしたけれど住所をメモりもしないで果たしてちゃんと来れるのだろうか、と後で気付いた。 実は一人だけ来るのだと思い込んでいたら3人も道に立っていて驚いたのだ。顔に見覚えがないのにあちらがにこにこ話しかけて親しそうにしているので、いつの集中生だったかなー、とあわててしまった。けれども彼女達は私に笑いかけたり、屈託無くって益々困惑を募らせていると、この二人は初対面なのだと聞かされた。えー!?...どうも私のつれづれを読んでいるうちにあちらは身近に思ってしまっているみたいね。私は生徒の名前どころか顔も見覚えていなくて密かな罪悪感にさいなまれていたというのに...こういうあっけなさというのはやっぱり彼女達は、旅行で夢心地だからなのだ。
はい、早く乗って、はい、ここで降りて。はい、こっち、着替えて、ほら!子供みたいにいちいち命令を出さないと、珍しそうな無邪気な目で色んなところをぼんやり眺めてばかりで埒があかないのだ。まったく笑ってしまう...
本当に夢心地という風情でしたね、3人そろって。何をしても上の空みたいで...そうね、かわいかったわ。もっと別の時だったら色んな所に連れて行ってあげたのだけどなぁ....

●2001年02月15日(木)

【スペイン人は電気街がお好き】


 昨日はタンクトップだ夏みたいだ!と言っていたが、今日は突然どんよりしたお天気で、春の薄着で外に飛び出してから、あら!しまった!!と思ったのでした。賢い土地ッ子はちゃんとコートに身を包んでいるのに、私だけ一人クリーム色で、バラ模様のスカートでひらひらしていて道行く人にいちいち振りかえられてしまった。こんな時だけパキスタン人なの、冬って知らない外人なの、みたいなふりをしてみる。(ダメに決まっていても、一応...仕方なく)
 そうねぇ、このページを参考にしてパッキングしている人もあるみたいだからうっかりした事は言えないみたいね。セーターは一枚くらいでいいと思うな。コットンの薄手ニットセーターが便利。あとは下に重ねられるし、暑ければそのまま着用のコットンシャツ、そして用心のための春先コートかジャケット一枚あればオールマイティーだと思います。朝晩が少し冷えてお昼から晴天という事が多いから。一日で調節できるように重ね着。長袖で暑いのを我慢する時でもコットンなら耐えられるし、日陰は急に寒く感じるここの特徴あるお天気だから、コットン系のニットやトレーナーは欠かせないかも知れません。でも、砂漠を旅する訳でなし、衣料は少な目にして現地調達というのは楽しいと思うけど?ここの光というのはとても強烈で、日本でシックで通る色は意外と映りが悪くて突然似合わなくなってしまうのだもの。
 私は日本でこれとちょうど逆を行ってしまう事が多いのを、今思い出した。「その格好は青山、六本木ならいいかも知れませんが、秋葉原で歩いてはダメかも知れませんよぉ...」とよく生徒に言われるのだ。
くっくっく...みんなどうして秋葉原にスタジオを出したか知っている?スペイン人が唯一一人でたどり着ける駅だからよ。そうして、時間待ちの時でも電気街さえ歩かせておいたら退屈しないからなの。アーティストを連れて行ってもおもりをしないでも大丈夫でとても良い街だな、と思ったからなの、て言ったら驚いちゃうかしら?日本のどこにあるの?君のアカデミア?と聞かれて、秋葉原よ、と答えるとスペイン人のアーティストはみんなどこだかすぐわかるのだもの。じゃぁ今度は僕も連れて行ってよ、とすぐに来たがるし。しめしめ、なのです。
 ドランテにも見せたいなァ、あのものすごい、目の回りそうな電気街の恐ろしいまでのイルミネーションを!ああ面白い!みんな初めての時はびっくりするのだ。
 そうして御徒町方面に足を向けるとこれでもか!これでもか!というくらいの宝石街だし、みんな胆をつぶすのだ。目がチカチカしてしまって....すごいパワーの街、参ったか!なぁんておどかしてあげるのだ、ガキ大将みたいにね!
他の気取った東京の街なんかヨーロッパ人はなんとも思わないもの。なんと言っても秋葉原は彼らには面白いのだ。フラメンコのスタジオとしては絶対にこれ以上に魅力的な土地はどこにもないのだ。私は手がかからなくてラクチンだし..。どうして秋葉原なんですか!?日本人にはみんなに驚かれたけれどね。種明かしをすれば、こういう事なの。
 では、又明日。みんな元気でね!寒いからよくウォーミングアップしてね。

●2001年02月14日(水)

【CIRUELO Y ALMENDRO】


 雨、そんなに降らせましたっけ?みたいなお天気が続いている。この間の日曜など、午後に庭でごろんと寝転がっていたらあまりの暑さにタンクトップになってもまだ厚くて閉口した。その上陽射しが強烈で、日焼けしてしまった。温度計を見ると25℃を上回っている。目が開いていられないから、子供に命令して物置から帽子を持って来させたくらいだ。真っ白な家家の壁の色と、クレヨンのお絵かきみたいに単純に真っ青な空が陽に照り映えてそれはまぶしい。(忙しい、忙しいと言う割にはのどかそうにしているじゃないかって?あんまりやらなくちゃいけない事が山積みだったので、みんな無視して空を眺めていたのです。私だってこういう時があるの。つまり何もかも嫌になってしまってズルケたくなってしまった訳け。でも、心はなんとなく開放されなかったのですけど、夏休みの宿題を遣り残したみたいにね!実に悲しい)

 さて、確か大雨だ、台風だ、とさんざんこのページで訴えなかったかしらん?
 私のつれづれを読んでパッキングして来た人は今頃冬物の始末に困って恨んでいるかも知れない。ここは、夏と冬の繰り返しで春が終わるのだ。まるで昨日までの麗しいお天気がうそのようにまた、ぐーんと冷えて、一度しまったセーターなんかをある朝あわてて引っ張り出し、午後には夏陽気に変わってしまってゆでだこのようになって家に帰る。
なんて事!と憤慨しているうちに徹底的に暑い夏に、突然なってしまうのだ。いつも合着の長袖の使い道に困る。セーターからいきなりタンクトップだ。
 さっき通りかかったらテレビ局の庭にアーモンドの花が満開になっていた。サクラが咲いた!という感じだ。私の庭の梅の花は可憐な花を一輪つけていた。おひな様の頃には桃が咲く。私はこれがとても好きなのだけれど、そして子供が学校から帰るまでに小枝を切ってけんざんに形よく刺しておくのだが、ちっとも喜んでくれないのだ。桃の節句の母親の感傷など、スペイン生まれの子供にはぴんと来ないらしい。この花の香りが嫌いだと言う始末だ。やれやれ。
 古風で無駄な習慣は、ちょっと無理をしてでも続けたいものだが、それでいてうちは、夫もイギリス育ちで、二人の娘もスペイン生まれなので私一人の徒労に終わる事が多い。
... なんとも淋しいのだけれど、雛人形を飾って、ぼんぼりに灯をともして、やっぱり今年も庭に降りてきっと桃の枝にはさみを入れるに違いないのだ。可憐な桃が咲く頃になると、二人の娘を授かった事を誰かにそっと感謝したい気持ちになるのだもの。

●2001年02月13日(火)

【スペイン遊学記】


 スペインで 稽古を見てくれ、という希望があって時間を決めると、来てくれるまで待っていずに大抵は生徒を街中の交差点ですばやくひろって色んな用事にそのまま車に乗せて連れて行ってしまう。生徒は旅行者が行かないような所に随行して結構楽しんでいる。そして家に連れ帰ってそのままレッスンする事がここ近年は多い。
 スペインの生活に慣れない旅行者は、色んなドジを踏んで待ち合わせた時間にやって来ないで私をやきもきさせるのだ。この前、家まで来てくれたら一時間はひねり出してレッスンしてあげる、と約束したのはいいけれど、どうもそれらしい人が家の前を三回はタクシーで通り過ぎた。4回目に家を通り過ぎて角を曲がろうとするところでやっと捕まえた。
私の家は郊外だけれど、中心街から10分とかからない上に決してわかりにくくないのだ。おまけにホテルにちゃんとスペイン語のコメント付き地図をフアックスしてあげたから、運転手はラクに来れる筈だったのだ。一体、どうしたのよー!?あきれ果てて生徒と運転手の顔を交互に見た。運転手がせっかくの地図を見ずに、通行人に道を聞いたのが災いしたらしい。スペイン人は、知らない、と言うのが嫌いなのだ。あやふやでも「確かここを...」とやられてしまうから気をつけなくてはいけない。自分が地図を見てここを右だ、左だ、とやる覚悟でいた方が無難かも知れない。
 そうかと思うと、あ!先生のお家知ってます。この前バスで行きましたから。ちゃんと覚えてまーす!元気よく確信しているからそうなのかな、と待っていると、全然現れない。一時間以上も経ってからへろへろになって家の前に行き倒れのようにして着く。いわく「セビージャを出る前にトリアーナの周辺があんまり色んなアパート群が建って様子が違ってしまったので先生の所を通り越して隣の村までいっちゃいました!それで戻りのバスに乗ったらじっと反対側に目を凝らしていて今度は先生のとこを見ずに通り過ぎてセビージャに戻っちゃいましたぁ。悪いと思ってタクシーに乗って今度こそ来ましたが、もう、レッスンしたくないです、何か先生、PCでお困りの事あったら、それやりましょうよ、ね?お願い」...こんなだもの。  
 年間みんなしてばらばらに来るのでだんだん問題は深刻になりつつある。スペインでも時間はかなりタイトな生活をしているから、私のアポイントを取ったらしっかり来て欲しい。特に今月、どういう訳か生徒の渡西がひきも切らない。まるで今月来ないと後がないみたいに集中している。今月と来月だけは勘弁して欲しい、と確かうちの生徒には言った筈だけれどこうだ。いつもならどんなに無理してもドライブやら色んなところに連れて行ってあげる。でも、今月だけはだめだ。いつもなら、レッスン時間をずらしてでも、帰る子には心配だから空港まで送ってあげる。格安の変なパッケージで来ると飛行機がキャンセルになっている事がたまにあるからだ。今現在も、これから成田に行きます、もうじきお会いできますね!というメールが来たっきり、三日も音信が途絶えている生徒にとても心配している。今月末に又どっと来るようだけれど、くれぐれも気をつけて。そして、たまたま間が悪くて全然会えなくても恨まないで欲しい。でも、来ると言ったからには電話だけはちゃんとしてね。心配するから。ちなみに電話の時間には気をつけて欲しい。夜遅くの電話は早朝よりこたえる。ものすごく機嫌が悪いかも知れない...ご参考まで。

●2001年02月11日(日)

【プリフィカシオン・ガルシアのドレス】


生徒から手紙やらメールやらフアックスが来る。電話も来る。いつもだともうそろそろ帰国する頃だが、今回はあと1ヶ月強ある。ああ、もう早く来てほしいですう、淋しいですぅ、と言う。ほんとねぇ、私もとても気になる。本来だとあとわずかで帰国して集中でがっちり絞り上げる頃なのだ。
 でもね、マミィはお仕事だから、もうちょっとだけ待ってね!なのだ。そのかわり4月の次ぎにもすぐ続けて行くから。ね、おりこうさんにして一生懸命お稽古しててね、なのだ。
 なんか、仕方なくって今日は午後から生徒のための買い物にまで出かけた。今年の暮れのパーティのクジ引きの景品を買いに行ってきたのだ。いっぺんに買うと破産してしまうから毎月少しづつ買っている。淋しい、淋しい、と言われた後で気がとがめるものだからイブニング・ドレスを5着も買ってしまった。おお、カードの引き落としが恐ろしい。
 みんなイブニング・ドレスなんて着て行くところがないとぶつぶつ言うので今日の分はオーソドックスでシンプルなものにした。すそを切っても大丈夫なセミタイト型を主に選んだ。とってもエレガントで素敵なのだ。いらなかったら私が喜んでもらってあげるからねーーー!
 大きな胸あきにオーストリッチの羽なんかのついてるドレスとか、シルクをメタル加工した思い切ったデザインが買いたいのだけどみんなが驚くといけないのでぐっと押さえたデザインにしている。でも2〜3着はこんな大胆なのも入れたい。当日、ドレスの当たった人はその場で着てみせないといけないのが決まり。サイズが小さくて万一着れないし、やせる予定がなくて困る人はその場でこのドレスを競りにかける。着れないけど売りたくない、大切にとっておく、という人はそれでもよい。
本当はドレスと共布の靴とバックもあげたい。でも足のサイズまで考慮となるととても難しい。残念だな。スペインはドレスと同じ靴を作ってくれる店があるのだ。
 フラメンコの衣装も10着くらいはあつらえてあげる。少なくとも2〜30人にはなにかしら豪華景品が当たる予定だ。それにスペイン往復航空券も。随分気前がいいつもりでいたのだけど、OFSの社長はえー!?くじ引き?当たった人にしかドレスないのか?みんなにあげればいいのに...と私をケチ呼ばわりするのだ。そうねぇ、本当を言うとみんなにあげたいわね。でも、そうなるとさすがにマミィはヨーロッパに出稼ぎ公演に行かなくちゃいけなくなる。それだけは勘弁して欲しいのだ。
 人へのプレゼントを買うのは楽しい。自分に買うより楽しい。早くみんなの喜ぶ顔が見たい。とても待ちきれない気がする。どんなパーティにしようかな、と考えるとまた嬉しくなって来る。入り口できらきらのラメパウダーを目元なんかにつけないといけないのだ。全員!靴はフラメンコのでないとダメ。歌って踊って飲んで食べて楽しく過ごすのだ。すっかり楽しくなったところでクジ引きが始まって更に楽しくなる、という筋書きよ。やっぱり何にも当たらない子がかわいそうだから全員、もれなく何か小さなプレゼントは持ちかえれるようにしようかな。結婚式の引き出物式の思考になってきましたねー。
 こんなにお弟子をとるつもりではなかったのに、不思議なものでアカデミーは続いてしまった。どうせみんなすぐ飽きるだろうと思ったらやけに鉢巻しめて歯を食いしばってついて来る。まあ、まあ、まあ...どうもありがとう、私の芸を信じてくれて。これはほんの気持ちです、とそういう意味のパーティをやりたいのよ(もしもこの12月までに生徒に見捨てられなければね!)
 先生、つれづれ草の更新、負担じゃないんですか?大丈夫ですか?と心配してくれる生徒も沢山いるけれど、いつもより帰国が1ヶ月遅れるから、せめてもの思いでこれを書いている。でも「いやだ!あれは面白いけどすぐ読んじゃうもん!」と言う子もいるんだなー。まぁ、こんなところで堪忍してちょうだいよ、3/31に帰国の飛行機に乗るから、もう、すぐだから....ね?4/6から集中レッスン始めるし、VALE?MIS NIN~AS PRECIOSAS?SEAIS BUENAS!

●2001年02月10日(土)

【2:15のバスで...】


世間は狭いと俗に言うけれど、セビージャみたいに奇遇が重なるとまるで作り話みたいで人が信じてくれないのではないかと思うくらいだ。
 まだ、車の免許を持っていなくて、白い大きな郊外用の美しいバスに乗って家に帰っていた頃、いつも同じ時間に乗り合わせる年配の感じのいい女性が居た。
私達は、セビージャの丘までの道中10分ぐらいを一緒に隣り合って乗って行くうちに色々お話するようになった。
 この婦人は、美容師の資格を取りに市内の専門学校に通っているのだと言っていた。踊りの話しになったある日、自分の弟はバイラオールだと言い出した。しかもよくよく聞いてみると、アント二オ・ガデス舞踊団の団員だったと言うのだ。まあ、どの人かしら、とびっくりするうちに、実は「カルメン」の映画で主演のラウラ・デル・ソルと控え室で濡れ場を演じたあの、踊り手だというのだ。えーと、確か....と記憶をたどっていると、「そう!あの頭のはげたのがうちの弟なのよ!」タウロと言うのよ、婦人は目を細めて微笑んだ。
 ガデスが引退して解散した頃だったので、しばらくはその話しに移動した。ここで、いや、解散したけれど、また編成し直して舞踊団は日本にも行くのだと言う事だったので、どうして解散したりまた編成したり面倒な事をするのかしら?と素朴な質問をしてみたら、意外な答えが返って来た。
もう、十分だと思って引退宣言してはみても、アーティストの生活というのは何かと物入りで、一度派手に暮らしてしまうと案外蓄えも大した事でないのに気付くのだそうだ。ここでちょっと努力して最後にまたひと公演打とうかな、というのが、ガデスのあの最後の作品が世に出るきっかけだと言うのだ。アリカンテというバルセロ―ナに近い避暑地にある、ガデスのイタリアン・レストランの事まで問わず語りで聞いてしまった。カルメンの映画撮影の裏話しや、ラウラ・デル・ソルがちょっと売れたのをいい気になって、振り付けはクリスティーナ・オヨスを差し置いて自分が担当すると言い出してクリスティーナが頭に来てしまった事とか、ほう!まあ!本当に?なかなか大変な事だなぁ、と思ったのでした。確か、クリスティーナがガデスと離れて独立したのはあの頃だったのだ。
 ちなみに舞踊団を引退して、立派なフラメンコ・バーを経営し出したと言うタウロの相談に乗って欲しいと言う事で、音響システムのアドバイスを主人の会社でお世話した。本当にあのカルメンでお馴染みのおハゲのバイラオールがある日、スタジオに尋ねて来たと言う事だった。
 本当に狭いセビージャの街の、ちょっとしたご縁でした。

●2001年02月09日(金)

【マホガニー】


 先日、仕事の打ち合わせで人に会った時に、その人の自宅に招かれてセビージャの南、高級住宅街で有名なポルベニールに向かった。外国の旅行者にはあまり馴染みのない地区だが、マリア・ルイサ公園の近くに位置していて閑静な大きな屋敷が多い。あまり若い人向きではなく、代々受け継がれて住んでいる古い家が多い。お邪魔したお宅も、玄関フロア―を開けるなり、ゆるやかなカーブの階段がとても懐かしい感じがする家だった。家具も植民地時代を思わせるぶ厚い木材で、アンティーク家具が品よく、マニアではなく本当に使ってきた歴史を感じさせるような配置で、とても奥ゆかしいたたずまいだった。
 普通のおうちにしては、どっしりし過ぎた立派な天然木材のベンチ式のイスがいくつかあったので、気になって由来を伺ったら、なんと1928年の博覧会時代のマホガニーだという返事が返ってきた。
ここで、注釈。1928年、セビージャではイベロ・アメリカ博覧会という一大イベントが行われた。今のマリアルイサ公園内のスペイン広場をはじめ、パルメーラ通りの建造物はみんなこの時のパピリオンなのだ。現在は各国の領事館になっている。このいわゆる万博は、大きな赤字を残し、参加国は惨憺たる思いをしたのだそうだ。その中の一国、キューバは負債が払えなかったので、パピリオンに使った、一体100キロ以上もある立派な工芸品であるマホガニーのベンチを抵当に置いて行ったのだそうだ。今のキューバ領事館の地下は負債に当てる分厚いマホガニーベンチでいっぱいだったという非常に興味深いお話しのおまけも伺った。お札の代わりにマホガニーで払い、この家のお祖父さんの代は、何か、博覧会関係のお仕事をしていたそうで、この家にもニ体のベンチがかつがれてきたと言う事だ。
 この日、もう、こんな大きな家は維持できないから、マンションに引越すというお話しがあり、あなたそんなにお気に入りなら、このベンチをお譲りしましょう、と言われ、思わずその気になりかけてしまった。男性が二人がかりでも持ちあがらないというすばらしい大昔の本物の家具は、なんだか木目に手を当てただけで遠い昔の物語を語りかけてくるように懐かしく、ロマンティックなのだ。 私はコレクターではないのだけれど、スペインの古い屋敷に招かれて行くと必ずこの種の古い時代の名残りに出会い、その度に私は胸に湧き上がる甘い感傷を持て余すのだ。
 私の祖父は戦前の日本にあって遠く海外の大陸に頻繁に旅した、当時の数少ない日本人の一人だった。どこのお宅で見ても、古い歴史の語りかけて来るものは不思議と私に祖父を思い起こさせ、懐かしいような切ないような、人の世のうつろいのはかなさと愛惜の情で胸が苦しくなる。
 こうした私の感傷は一体生まれつきのためか、故国を離れているためなのか、その一事だけが、判然としない。

●2001年02月08日(木)

【今日の言葉】


 一体セビージャはどうしてしまったのだろう。夕べは恐ろしいばかりの風のうなり声が一晩中続いていたみたいだ。嵐が丘もこれほどではないだろう、というくらいだ。ロータリーに出ると噴水の水がもろにウインド・グラスに風でたたきつけられ、今度はナイアガラか?というすさまじさだ。
今朝はさすがの私も気がひるむ程の雨と風だった。台風の中を車を駆って出かける危なっかしさ。でもこんな日こそ生徒は、夢、クラスをさぼっては先生に申し訳ないというものだ。
 スタジオに入るなりみんなが「おお、アキコ、今日は運良く停めれたの?」
お早よう、より先に仲間が心配してくれる程の毎朝のパーキング問題だ。 えらく手前だったけれど場所が見つかった途端に停めてきてしまったのだ。
 にっこり笑ってバーに視線を投げると、エバが嬉しそうに手をひらひらさせた。「まあ、決心したの?」ジョンのクラスを大いに勧めたのは三日前の事だ。「ええ、きちゃったわ!こんな日だったけど..」肩をすくめてウキウキしている。ホント、よりによってよくもまあ、こんな日に出て来たものだ。レッスンの初日が嵐だなんて、セビージャの人だったらちょっと有り得ないな。きっと別の日にするだろう。ジョンのクラスにはエバのような人にこそ来てほしいし、すぐに決心してくれてとても嬉しい。エバも自分のスタジオで大勢の生徒に取り巻かれているのとは違って見える。一人で立っているとなんだかぐっと可憐で若く見える。「ねえ、賞賛者(子供の生徒達のこと)なしだとティーンみたいに見えるわよ」と囁いた。実際、エバの教授免状をこの間しげしげと見たら1970年生まれだと分かったのだ。まだやっと30才だ。金髪がかった茶色の髪に、緑の瞳と抜けるような白い肌は、スペイン人と言うより北ヨーロッパ系に見えるのだ。
 ジョンのクラスの間中、さすがのエバでも四苦八苦していたみたいだった。
 レッスンの後はとても急いでいるので感想も聞けなかったが、どの道午後に下の娘をエバの学校に連れて行くのだ。エバのスタジオでは、なんだかんだと言ってはエバに話しかけたがっている生徒の母親が順番待ちをしていて大変なのだが、エバは私を見るなり、レッスン中のスタジオに引きずり込んだ。「で?どう?」彼女とはツーカーの私の質問。「良かったわ!とっても。素晴らしいわね、ジョンは。私、あの後あなたの事探していたのよ。ジョンと一時間も一緒にお茶を戴いて色々話していたからあなたも来ないかな、と思って探し回ったのに...」あら、それは残念!聞けばその一時間でジョンの経歴を洗いざらい聞き出し、舞踊論に及び、自分の学校の上級者のクラスにもスカウトしたというのだ。今更ながらにエバの凄腕には感服してしまう。
 二人でジョンを絶賛してからの、エバの言葉が今日は印象的だった。
「なんと言っても、しばらくまともにレッスンしていないと真っ先になくしてしまうのがコントロールだから」そうなのだ。バランスが悪くなって打ちのめされるのだ。プロなら誰でも当然知っている事だけれど、自分とは違う舞踊の人に言われると、新鮮な驚きがある。当然の動きを体に記憶させておくと言う事は、とても根気の要ることなのだ。どんなにプロと呼ばれる人にとっても。
なんだか、この言葉が聞けて私は嬉しかった。襟をただしたくなるような、きりっと精神が緊張する、そういうものが何かを知っている、得難い特別な世界の友なのだ。「ねぇ、1度ゆっくり話し合わないとよ、私達。週末に時間作ってよ、今度。」エバに言われてしまった。こんな大事な話しもわずか3−4分で済ませてしまう私達なのだ。週末にジョンとエバを食事に呼びたいとずっと思い続けている。今月中には是非、実現させなくっちゃ!

●2001年02月07日(水)

【あっと言う間に眠れてしまう、悲しい在庫... 】


本なしで眠るのがつまらない。どんなにくたくたになっていても数行でいいから何か読みたい。それに昼間も次ぎのレッスンに入る前にちょっと気分転換に何か読みたいのだ。
何が読みたいか、と言うとありとあらゆるジャンルに飛んでしまってもいいから割りとぎっしりした内容のものが好きだ。ミステリーでも、複雑なプロットか、うなるような心理描写の見事なものでないとだめだ。合鍵が三本あった筈だ、とか、密室の謎、時刻表の出て来るものなんかは嫌だ。これなら広辞苑でも眺めている方がましなくらいだ。肩の凝らない読み物、と言うのは好きではない。こりこりに凝りたい。作者を、筆者を、つまり尊敬したいのだ。

 もう、手元に未読の本が一つもなくなってしまって、「買ったけど失敗だった本」に、気の乗らない手を伸ばして生き延びている。この間成田で、飛行機が出てしまう!という15分前に本屋に駈け込んで手当たり次第にわしづかみにして買って来た本は、どれも中身を開いて失望させられ通しだ。
ゆっくり選んでいる暇がないから、なんとなくひらめいた物で向こう隣も同じ系列の物ばっかりで30冊ぐらい抜いて来る。
前回は哲学と宗教家ものばかりで終始してしまった。まんざら興味がないわけではないけれど、ちょっと堅過ぎだったかも。
 少女の頃、キルケゴールだ、ニーチェだ、と期末試験用に暗記しませんでした?教科書に出ていたニーチェのおそろしく野暮でセンスの悪いスーツが今も網膜に焼き付いているくらいだ。なんで、心理学、哲学、というとこういう西洋ものばっかりで終始するのだ?日本に思想家はいないというのか?中国や朝鮮との関係においてでも...?
いたでしょう?いっぱい、立派な方々が...なんでいつもギリシャ、ローマに遠征しないといけない?
私はあの頃からずっと心の隅に疑問符を抱えてきている。いつか決着をつけなくちゃぁ、と思い思いしてだらけるにまかせている事がいっぱいあるのだ。なんとかしなくちゃ!知りたい!本当のところを。教師が手抜きしたところを発掘したい!儒教だ、朱子学だ、親鸞だ、日蓮だ、蓮如だ!そうして、ざっとでもいいから四書五経、知りたい!
 でも、この手の本って、専門の学者が書いているから別の意味の肩こりで息も絶え絶えになるのだ。文章が難解で難解で、三行読んでは、もとに戻らないと進まない。1ページ行かないでバタン!!と寝ついてしまう、実に不幸な事だ。筆者の経歴を見やるに、偉い学者なのかも知れないけれど、ホント、文章が下手。日本語になっていないような人も居る。生意気なようだけれどがっかりして読破する根気が続かないもの。....そういう経験ないですか?
 そうかと言うと、フロイトと決裂してヒトラーと結びついたユングという学者の精神はどうだったのか、どうしてヒトラーなんかと?長いこと疑問が膨れるばかりだから成田で「ユングの思想と精神〜」という本もつかんできたのにあけてみたら、「〜という性格は女優さんで言えば若尾綾子さんのような方です」式の話しばかりでげっそりしてしまった。若尾綾子さんがどんなだか私は見当がつかない!なんだ、この筆者は!!ヒトラーを出せぇー説明しろー!飛行機に乗りそこなう程の危険をおかして、こんなのって報われない。意味不明なくらいの難解文章か、ここまで噛み砕き過ぎで失望させるしか手はないのだろうか。
 ともあれ、このユングの本だけはいくら落ちぶれても2度と手に取る気にはなれないのだ。確か若尾綾子さんの次ぎには池内淳子さんが出てきて、完全に頭に来てしまったのだ。

●2001年02月06日(火)

【踊りの夢を込めた手作りの衣装】


 今更だけれど、すごく忙しい。ドランテとの公演はともかく、次ぎの仕事の打ち合わせやら何やらが、きつい稽古の合間にどんどん入って来る。早く衣装を発注しないとフエリア前の2〜3ヶ月というのはどこもあつらえが殺到するので下手をすると間に合わない。衣装のデザインや素材を決めるのも一苦労だ。その後の仮縫いも結構時間を取られる。その上、出来た途端に気に入らなくて、お蔵入りになる事も年中だ。衣装屋は私の衣装はかなり面倒らしい。「もう、自分で作りなさいよ」と言われる。
そうできたらどんなにいいか知れない。
私は裁縫が得意なのだ。あんまり得意で家庭科で5がもらえなかったくらいだ。難しい事が沢山できるので、自分で作らずに親に作らせたといつも疑われてばかりいた。実家の母は編物と洋裁の学校を経営していた。私はちなみにここでちゃんとお嫁に行く前に師範の免状をもらっている。
踊り手で失業したら嬉々として手芸家に転向するかもしれない。
 7〜8才の時にはもう、工業用のものすごいモーターのついたミシンが使えた。バービーのお洋服をせっせと作ってはお友達に気前良く配っていた。刺繍や編物、色んな思いつく限りの創作にいそしんでいて学校に行くのが嫌になるくらいだった。編み棒も手から離れた事がなかった。小学校の時から自分で編んだセーターやおそろいのマフラーで歩き回っていた。明日の創作を思案して夜のうちからわくわくするようなおかしな子供だった。小さなはぎれや、かわいいビーズを宝物のように大切にしていた。
 プロになってしばらくは自分で衣装も作っていた。振り付けに合わせて、スカートの持ち位置を考えながらフリルの位置を決めるような気の入れ方なので、大概の衣装屋の物より入念だった。身ごろに手刺繍を施したり、それは凝っていた。段染めにしたりぼかしに染めたりしていたのを、今の私の衣装製作家は知っているのだ。だからいざとなれば自分で作れるからこの人のは遅れても平気、という頭がいまだにあるみたいなのだ。
 今でも時々作りたくなる事はある。すばらしい色合いの生地なんかを見た時は特に。そうしてつい、買ってしまう。でも縫い物はゆったりと気持ちの落ち着いている時でないとできないので、買い溜めた生地がダンボールにそのまま何箱も数えるようになってからは、ついに形にする事は断念している。
 生徒に型紙の指導までするのに、なかなかみんな自分で作ろうというツワモノが出て来ない。自分で作れればそれに越した事はないのだ。衣装の生地とデザインを決めに行ったり、仮縫いに出かけたりする時間で縫えてしまうのだ。
 自分で作れば、仮縫いに手を抜かないからとても良い物に仕上がる。どう?誰か挑戦してみない?自分だけの芸、自分だけの衣装に....?

●2001年02月04日(日)

【お医者様は高名なダンサー、高名なダンサーはお医者様?】


世界の優れた舞踊家についてカリムとレッスンの後に談話する機会があった。
フランスのピーター・ボスはカリムの目からも素晴らしい第一級の舞踊家だという意見を聞いた。私は昨年この人のクラスに出ている。お医者でもここまでは知識がないかも知れないというくらいに全ての体の筋、筋肉、呼吸器との関連に精通していて、舞踊家のなしうる全ての動きをこれと関連づけて独自の道を開発した人、という印象を持った。振り付けの何もかもが素晴らしく、人体で創造しうる限りの動きと呼吸が全ての筋肉の躍動と静止を思うままにして実現されるようなのだ。これは大変な巨人だ、という感慨に打たれた。
その私の感想にカリムが賛同してくれて嬉しかった。

 カリムの振り付けは私には難しくない。最近ない現象だ。何故かと考えていてふと思い当たった事は、私の振り付けと酷似しているのだ。つまり、私が自分の踊りを振りつける時の感受性に、とても似通っているのだ。そのままでフラメンコに通用するフイニッシュも多い。今日はレッスン中に先生にほめられさえした。つかみやすいからなのだ。つまり種明かしをしてしまうと私が上達したわけではなくて、自分にとても近い舞踊をする先生なのだ。
現代舞踊と一口に言ってしまっても、もう全然訳がわからないような奇異な静止と動の繰り返しで暗い真っ暗なおどろおどろしさを表現するものもあれば、非常に洗練された、それでいて躍動感に溢れた美しいダイナミックな舞踊もある。思うに、クラシックのような厳格さから人体と魂を解き放とうと現代舞踊家が模索を続けているうちにより、フラメンコに近いものになる可能性もありうる。意図的ではなく、偶発として。そういう系統の舞踊は私にはとても素直な呼吸で入ってくる。今日の発見だ。
 カリムは解剖学などの人体の探求の末に、漢方とインドの古い医学も勉強しているのだと言って私を驚かせた。もうすぐ、そのオリエントの分野での医師の免状が出るのだと言うのだ。西洋の医学一辺倒の現状から東洋の医術が発言権を持つ時代がもうそろそろ訪れても良い頃だ、とにっこりしていた。
すごい!と私は嬉しくなってしまった。舞踊で極めた知識と、薬草やら色々な好ましい医術とを備えた、スポーツ選手や踊り手のための医師がいたらどんなにすばらしいかと思う。こんなに踊れるお医者なんて!
筋のトラブルにはこのエクササイズとこの指圧とこの薬草と...と回転しながら説明するんだ、とカリムは笑っていた。

●2001年02月02日(金)

【KARIM KARIM】


 今週、ジョン・キングのクラスを取り始めた事は昨日お話しした。
基本的にクラシックは毎朝やりたい。でも、現代舞踊はとても啓発される所が多く、これももう少し勉強したいと思って残念だった。つまりジョンのクラスに出ると時間が全く重なっているモダンの研究所に行けないのだ。
 そうしたらジョンのすぐ後にカリムと言う現代舞踊家の集中講座がたまたま5日間、つまり今週いっぱいあると言うので、またもや渡りに舟と、続けて取ってしまった。合わせて5時間近い。大丈夫かしらん、と少なからず心配したが、案外平気だった。むしろジョンのすぐ後にカリムののびやかなエクササイズは緊張した筋肉がほぐれてちょうど良かった。まったく趣の違う二つの舞踊はとても興味深い。先週は背中が擦り傷だらけだったが、今週は更にあちこち擦り傷だらけになりそうだ。昨日はバレエ・シューズでレッスンを受けている私の厚顔無知を先生に見つかってしまった。
現代舞踊ははだしでないといけないのだ。でも、足が擦れて痛くなってしまうし、靴下なんかでは保護が足りないのでこっそりバレエ・シューズを履いていたのだ。もっと大地とのコンタクトがないとダメだと言われた。そう言われるだろうな、とは思ったのだけど...。
 この先生はものすごく人懐こい、お茶目な先生だ。今まで厳格な人ばかりだったから新鮮だった。風貌もどう見てもインド人だし、振りつけに使う曲もベンガリー語か何かなので、クラスの後で質問してみた。以外な答え!アフリカ生まれなのだそうだ。ウガンダはインドの移民が多いみたいなのでもしかしたら、と思いきや、やっぱりそうだった。三代さかのぼった先祖はインドからアフリカに移住したのだそうだ。ウガンダには10才まで暮らし、カナダに移住して16年過ごした。舞踊はカナダで形成されたらしい。その後はロス・アンジェルスとニューヨークで舞台生活に入ったというから、こういう人は何人なのだろうか。インドがオリジンのカナダ人、という事になるけれど...国際人と言うべきだな。見かけはとても精悍な整ったインド風の顔立ちで、ヒターノと見えなくもない。エクササイズは床を転げまわるテクニックが多くて、終わった時には浮浪児のように汚れ切ってしまう。これはおそらく私は舞台でやる機会には恵まれそうにないが、とても面白い。今度生徒にやらせて見ようと思っている。思っただけでみんなのきゃーきゃー言う声が聞こえてきそうだ。(そして浮浪児もどきで帰りの電車に乗って帰るのよ、乗客のうろんな視線を集めつつね)でも上体が一気にほぐれてとてもいいエクササイズなのだ。根をつめて足に集中した後なんかにはうってつけだ。肩こりもいっぺんで治る。
 さて、カリムは生前のマーサ・グラハムに会っているというので色々興味深いお話しも聞けた。けれども彼がグラハムを見た時は既に彼女はかなりの年齢に達していてほとんど舞台で何もしていなかったという事だ。ただ、その素晴らしい存在感だけは紛れも無く、全盛の時は如何ばかりか、と想像できるようなものがあったと言う。この一言で私は会得してしまった。そうなのだ、真のアーティストはその存在感が違うのだ。そこから容易にそのアーティストの名声が本物である事を、私達は感得できるものなのだ。
 私はこうして舞踊を深く勉強していくにつれ、人がうっかり見落とすような小さな点で感動できるようになって行く自分を感じる。つまり普通のアーティストがわからずに見過ごしてしまうようなその踊り手の日々の鍛錬の積み重ね、誠実な思考錯誤が、随所に見え隠れするのだ。
それは同じものを見ても人よりもより深く感激できるという事なのだ。
つまりこういう幸福によって、私の日々の稽古は報われて有り余る。
与えられた人生に心から感謝を捧げたいと、いつも思う。

●2001年02月01日(木)

【ああ、もしも、もしも私が....!】


 今週からクラシック・バレエを再開している。素晴らしいソリストのジョン・キングの集中講座がこの月曜から開かれたからだ。有名舞踊団で長く活躍した話題の人だったがクラスには一度もうまく時間を合わせる事ができずにいた。
あちらの都合で朝もやも晴れぬ早朝にクラスが2時間行われる事になり、渡りに船と飛び乗った。
 セビージャの日の出は八時前後だから、ここでの午前十時は日本の朝の七時か八時という威力がある。おお、早い!の威力だ。このレッスンを受けるために更に一時間も前からパーキングを求めてうろつかないといけない。ものすごく劣悪な駐車状況の通りにあるから、下手をすると車を捨てる事ができなくてクラスに間に合わなくなる。昨日に続いて今朝がそうだった。工事のため閉鎖の通りに二つぶつかり、その度に見たこともない細道を延々と回ってお門違いの方角のデパートなんかに出くわし、もう、家に帰るしか残された選択はないかと半分やけっぱちになった。どこをどう曲がったらまともな道に出られるかわからなくなったので、目の前のバンの後をついて行ったら、見覚えのある赤十字病院に出た。おまけにぽこっと駐車スペース!怪しいな!こんなおあつらえ向きってあるかしらん...と疑ったけれど背に腹は代えられない、でここに乗り捨ててダッシュ!あと3分だ。と時計に血走った目をくれてもう一度愛車に目を移すと、微妙な線で病院の救急車スペースに僅かに抵触しているみたいだった。わっ!と思ったけれどもクラスに遅れるのが辛くってそのままダッシュしてしまった。救急車の止まれる場所は他にもあったし、運があればレッカーでもって行かれないかも...という悲しいはかない望みを胸に喚起して。こんな事、本当に毎日やっていられない。セビージャの中心街って駐車場もないのに違反切符だけはマメに切って行くのだ。いっそ車をやめようかとも思いつめるのだけれど、その後のスケジュールは1分1秒を争っている事が多いので悠長にバスなんかに乗っていられないのだ。それに一日の着がえだけで大きなバッグ三つも車のトランクに入っている。ご旅行ですか?とでも聞かれかねない大量の荷物なのだ。
 ジョン・キングのレッスンはとても辛い。レベルがめちゃくちゃに高い。非常に優れたアーティストだという事は一目でわかった。こけおどしの難しい振りつけは一つもやらない。けれども、今に来るぞ!という予感が常に受講生を圧迫する。まだ来もしないのに先取りして恐れる、という感じだ。受けている人はみなバレエのプロだ。それなのにクラスが終わるとみんな打ちひしがれて
寡黙になってしまう程だ。肩に誰かが触れただけできっとヒステリーになっちゃう!なんて言うのだ。びっくりしてしまった。落ち込みというより雑巾にでもなった気分という方がぴったり来る。そしてこれは専門外の私だけが感じているのだと思ったらそうではなかった。むしろこの道に生きていて自分の拙さを思い知らされる方がずっとやり場がないのだと、私はみんなを思いやった。
 このクラスは辛過ぎるからもう、毎日は来ないとまで言い出す人がいて私はジョンという先生を思って今度はとても悲しくなった。アーティストとしても素晴らしいし、教え方はとても秀逸なのだ。論理的に科学的に素晴らしい定見を持っていて随所に貴重な秘密を与えてくれるのだ。思うに、みんなの苦しみはこの素晴らしさに応えられない劣等感から来るのだと分析できる。教える側に問題はない。プロを教える教師はエンターテナーではないのだ。うまうまと甘やかすべきではないし、受講生もそれを求めてはいけない。むしろあちらの立場に立ったらとてもやり切れないのではないかしら。ジョンという人はその才能を活かすには、もっと違う場所にいなくてはいけないのではないかと考える。例えば英才の、えり抜きのダンサー達の振り付け師とか...。
端的に言えば、セビージャの学校ではもっと程度が低くていいのだ。親友を例にしたくないけれど、エバのような踊り手は掃いて捨てる程いる。それなのに女性だし、とっつきやすいから何百人もの生徒を抱えている。ジョンのような立派なアーティストには10人の受講生しか居ない。万が一にもこれ以上、生徒が減ったら私はあまりの事に胸がつぶれてしまう。
 いつでも思いつづけている事だけれど、どうして私はモナコのカロリーナ王女ではないのか!どうしてオナシスの遺産がないだろうか!私が人生で一番欲しいものは、子供の健康を除いて、たった一つ、こういうアーティストの誰彼となく存分に応援できる力だ。いつもなんとかしたいと苦しんでいる。自分ひとりの身のためには本当に何も欲しくない。芸術家を、その人のあるべき環境にいられるように応援できたら、どんなに幸福かと思う。
 長い冬の間にみんなが劣等感で息も絶え絶えになり、最後に私一人が早朝の稽古場でジョンと向き合ったら、悲劇だ!...どちらにも。そ、そんな、どの科目でもみんな一番にはなれないものねぇ。バレエは趣味なんだもの...くどくど、たじたじ...明日も辛い。夜のうちから辛くなるくらいだ。

http://www.flamencoole.com/

フラメンコ・オーレ!〜スペイン発フラメンコ情報サイト〜 メール


WebDiary CGI-LAND