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2001年05月のセビリア発信・つれづれ草
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●2001年05月31日(木)

【40度C、IQが低くーくなる時...】


ついに40度Cになった。
わはは...!もう、上昇あるのみのスペインの夏の到来だ。
 それでも日が沈んでから出かけると、涼しさを通り越して肌寒くなるから、一日の着る物が著しく違う。

 スリップドレスなんかで、およばれに行ってテラスに座って談笑していると12時を回る頃には、笑顔が凍りつく。
なんでもいいから、誰かーー、誰か上着貸して−−−!となる。出かけて来た時はなかなか捨てたものじゃないような、いい女だったのが、さっきと同じ人間かえ?というように顔色が冴えなくなってしまうのだ。
出だしの良さに賭けるか、後半の持ち堪えに賭けるかが、キーだ。

 今日は珍しくファッションのお話し。
 日本のこの夏はどんなドレスが主流ですか?
 こっちはもう、まぶしいようなパステルカラーばっかり。
私の大好きなピンクとライラック系、すがすがしいブルー系がいっぱい。昼間っからじゃんじゃんスパンコールやラメを着てしまうらしい。光物のついたデイライト用の服もウインドーに、いっぱいだ。なんだか、舞台衣装みたいだな、と思って手に取ると、頼りないくらいに薄い。もう、ランジェリーも顔負け、というくらいに薄い。フロントだけで背中はナンにも布がない、というようなブラウスの山。ほそーーーい紐で後ろにゆわくだけ。

 日本でもこんなの、本当に着るだろうか。うちのインストラクター達ににお土産に何か買ってあげたいと思っているのだけど失敗しそうだ。
えー!?こんなの着れない−!と言われるか、まあ、ちょうど良かったと言われるか....。前者だろうな、まず。
よし!!そうと分かったら絶対これだ!きゃー!!なんですかぁ、これぇ、て言われて楽しいかも。え!?何?だめなのぉ?ととぼけてみようっと。

 ヨーロッパ全体で流行っているから日本でも、と踏んでいるととんでもなかったりする。何しろ日本は電車に乗るからどうしても地味なのだ。こんなに薄くって布が小さくって、どこもどこも肌がいっぱい出ているものをみんなに着られたりしたら、日本の紳士達と言えどもかなわないですよね。
 こう書いている今も、左の肩に刺青なんかしているのだ、私は。

 ねえ、ママァ....かっこいいから....ブリニィ・スピアーズみたく....やったげるね....というのをまともに聞いていないで、適当に生返事なんかしていて仕事に専心していたら、銀に赤い縁取りのカンタン刺青をされてしまっていたのだ。
 子供が傍にまつわりついているのは、よくある事なので意識もしないで、大切な打ち合わせに出かけたら、銀色のヒゲの生真面目そうな老紳士の目が、ピタリと私の肩に吸い寄せられた。
「?」
と思ってそうっと見てみると、見た事もないような銀のハート刺青が燦然と輝いていたのだ!
「あーうー」、スペイン語のボキャブラリーが、一挙に蒸発してしまいましたよ。

●2001年05月30日(水)

【なかなかどうして......】


今日はさんざんな幕開けだった。
 朝からとても忙しくて、考え事をしながら玄関を出た途端に、あっと思った。思った時には既にドアは自動ロックで閉り、私は車のキーも免許証も、ただの小さな硬貨一つも持たずに息を詰めた。
 勿論、家の鍵なんか持っていない。
 
 そこいらに隠してあった秘密の鍵は錆付いていて、全然開かない。
どんな窓からも家には入れない、結構な作りになっているのだ。

 家族が帰って来るのは夜の九時過ぎだ。
 携帯電話なんて言う物は持っていないから、前庭で一日暮らさないといけない事になる。仕事にも行けないし、アポイントはすっぽかしで。

 ちらと時計を見るとバレエのレッスン開始まで、30分を切ってしまっている。
朝一番をレッスンで始めないと一日がまるで命の無駄のような気分で塞ぐ。とても耐え難いのだ。ウォッカのないアル中のように目が血走る。

 今朝はご丁寧にマーメードラインのタイトスカートでめかし込んでしまった。2メーター80の垣根を飛び越えて中庭に着地するには苦しい格好だ。

 さてと、どうやって家の中に入ったかは、明かさないでおこう。
 バレエクラスまで20分を切ったところでお出かけに必要な全てを手にして、車を猛然と発進。中心街まで、カーレーサー並の技術で着く。着いたはいいが、ここからが毎度おなじみのパーキング探しの、ああ、無情。
...ホント、毎日判で押したような苦労の連続。縁石に乗り上げたり、悪路に突っ込んだりして、タイヤの傷む事と言ったらない。先週も車のメカニックにどういう道を運転しているのか、とあきれられたばかりだ。

 コンスタントな事が続けにくい、イレギュラーな土地に暮らしていて、おそらく舞踊では一番自己犠牲の激しい、クラシックバレエを毎朝欠かすまい、とすると並な根性では立ち行かない。
 忍者と、コンバット特殊部隊と、孤独なラストスパートランナーを全部こなして、息セキ切ってスタジオに駆け込むと、人っ子一人居ないのだ。
 事務局につかつか入って行くと、ジョンが居て(私の先生。ジョン・キング)一人のためにはレッスンはやらない、と言う。校長のサル―・ロペスは古くからの友人だ。せっかく来たのだからバーレッスンでもして行けと言う。

はっはっは...!バーレッスンね!
自習なんかするくらいなら、家の鍵が開かなくったって、横のドアを開けて入ればちゃんとスタジオがあるのだ。庭から一歩も出ずにね!鍵なんかかかっていないスタジオが。
こ、こんな、こんな、こんな....!

 さてと、興奮しないで今日のスペイン文化。習慣と社会のテーマは、まさにここから始まるのだ。
 皆さん、これをどう思いますか。
 日本のフラメンコ界のいかなる長老、いかなるオーソリティーでも、この国に住む年月の長さでは、私に勝る人間はいない、というくらいの友繁晶子でございます。それでも、ついにこういう事にはいまだに慣れる事ができない。
 ましてや、皆さんをや、でございます。

 私は誰よりも沢山レッスン代を払っているのです。(なんですか、お金の事なんて言い出すんじゃありません!はしたない!母の声が響きそうだ)
 つまり、ジョンが外国に振り付けに行ったりするような月でも、全額払う。みんなみたいに滞納したり、チケット制にして少しでも節約しようとはしない。先生が突然お休みしても、振り替えが一切できないようなフェリア、セマナ・サンタで実質2週間切っても、ちゃんと払い続けている。

 セビージャではクラシックバレエの上級クラスは成り立たないのを知っているからなのです。舞踊学校は、やって行けない。
 このレベルは一握りの、ほんの20人くらいのダンサーしかいないのです。
それが、モダンとクラシックを行ったり来たりしている。正味10人が入れ替わり立ち代わり、仕事で外国に行ってしまったり、自分の持っているアカデミーのために休む。5人を切ってしまう事も年中なのだ。これではとても気の毒で、チケット制なんかにできない。でも、みんなはする。

 市内に住んでいないのだから、わざわざ苦労してやって来た熱心な生徒に、一人だからって、クラスをやらない、というのは賛成できない。
 私は、電車が遅れて、会社の残業を工面しながら、例えば茨城県からやっとたどり着いた生徒にこれは言えない。
 スペインではこういう場合に、もらってしまっている月謝内でも、レッスンしないのはほとんど常識なのだ。生徒は、やれ、と言えない。

 ジョンはスペイン人ではないのだから、「個人レッスンになってしまうから、それじゃあ、30分、見てあげよう。」そのくらいの事は言ってもいいんじゃないかと私は、ちょっと憤慨した。お金じゃない。私はレッスンのために沢山の事をやりくりしているのだ。だからこんな時、これ一事でなくていろんな思いで、やりきれなくなってしまう。
そうして、かなり頻繁にこういう目に合う。どこに行っても一番熱心なのは(注意!一番上手、ではない)私なのだ。雨が降っては、誰も来ないかも、とはらはらし、風が強ければ、みんなが休むか、と心配してとてもやっていられたものじゃない。

 .....高速道路をフッ飛ばして、村という村を幾つも通り過ぎ、国定公園の原始林のようなところまで行ってしまったのだ。何10キロも果てしなく続く松とユーカリの林。ガソリンの目盛りがほとんどゼロになりかけていて、あわててスタンドまで引き返した。

 みんなは、せめて私ぐらいになったらどんなに気分がいいだろう、と思ってくれるみたいだけど、なかなかどうして、苦労は尽きないものでござんすよ......。

●2001年05月27日(日)

【ラスト・エンペラーと阿部定】


 昨日から気温は、38度をマークしている。すごい暑さだ。
もう、海に出かける人が多い。ゲストブックにともよし氏の歴史講座の予告編があった。楽しみにしているけれど、むずかしそうだから、毎回、なるべく平易な文で、頭の悪い私のために短めにまとめて暗記しやすくして下さいね。
 なにかすごくアカデミックになって来て、退屈している人もあるかもしれない、と心配してしまう。でもせっかくだから、 もう少しいろいろな経緯をお話ししたい。
 私のスペインでの激動(?)の21年の精神生活は、実の母にもなかなか理解してもらえない。
 今の考えに至るにはそれなりの事件やきっかけがあっての事だけれど、いちいち説明できるものではないから、言葉を端折れば、誤解を生みやすい。こういうページを通して少しづつ、私の大切にしている周りの人達にだけでもわずかなりとも理解の一端が開かれれば本望だと思う。でもあくまでほんの少ししか文にできないのだけれどね。
 
 もう少しくだけた所で、困った映画というのが二本あった。
一つはラスト・エンペラー。日本ではどういう題がついたのか、果たして日本でも封切られたのかは私にはわからない。
満州国の皇帝の興亡を、日本の中国侵略戦争の被害者として扱った映画。

日本人の満州での傍若無人ぶりが、思いっきりの悪役で暴露されていたものだ。私は中国、アジアの日本の侵略統治には詳しくないのだ。だからなんとも言えない。日本の歴史教育は最低だと思うのは、この辺りでいつも困るからだ。
どの学年になって日本史をやっても、必ず古墳や、せいぜい藤原氏の辺りはやけに時間をかけるけれど、肝心の近代史になると時間がなくておざなりじゃなかったですか?荘園作りばっかり丁寧だったような記憶がある。

 私の行った学校がたまたまこのように無能だったのか、それとも全国的にそうだったかは分からない。
 日本史が面白いと気がつくのはハイティーンになってからだ。

 更に自分の無学をさらけ出すようで恥ずかしいのだけど、あの、木戸孝允が天才剣士の桂小五郎と同一人物だったと知って愕然とするのはスペインに渡ってずいぶんしてからなのだ。
 この、長州藩、吉田松蔭門下の、維新政府中、第一の清廉潔白、開明家と言われた人物が、俊速の剣士だったなんて、びっくりしてしまったのだ。
おまけに短命だった。惜しい。
歴史の時間に居眠りしていなかったなぁ、社会科はつまらない、と思い続けていたけど、全くろくな教師に当たらなかったのだ、というのが実感。

 ま、早くも脱線してしまったが、満州の皇帝の子供が生まれるとこの新生児を日本人が殺してしまうシーンは衝撃的だった。もう、人間じゃないみたいに言われたものだ。
 これはどうも本当にあった事らしい。この映画に関しては、日本人の徹底的な悪役ぶりは史実よりずっと穏やかに扱われていたようだった。本当はいっぱい悪い事をしたらしいのだ。目も耳も覆わんばかりの.....
 で、スペイン。
 この映画は話題になったから大変だ。どこに行っても人でなしの子孫みたいになって肩身が狭い。それで、ある日こうやって切り返した。
「ねえ、スペインの新大陸発見からの何百年かの、あの、黒い、黒い歴史はどうする?確か、アメリカでは三つの文明を滅ぼしてしまったんじゃなかった?
絶滅させちゃったりなんか、しなかったっけ?」
...これで黙らせた。黙らせる、というのは大切な事だ。そうしないとパーティで泣き出さなくちゃいけなくなる。日本では泣くとどうだったかうる覚えだが、こっちは公的な場で泣くと、まず人は驚きあきれて、同情してくれない。

 本当はここで「ねえ、先祖の事はまた今度にしましょうよ。」くらい言ってウィンクなんかできたら最高かも知れない。実に見上げた女性だ。ここまでやれたらね。みんなの人気が集まって、日本も株が上がるというものだ。私はこの時は、これでせいいっぱい。涙が胸にいっぱい詰まってしまってそれどころではなかった。せめて自分の娘は、私の上を行く、ユーモアとウイットに富んだ立派な女性になって欲しいな、と願っている。余裕がないといけない。

 次ぎに困ったのは、大島渚監督の「愛のコリーダ」のカットなし、スペイン国営放送で「全国」のお茶の間(?)に放映された時だ。この間、生徒がこの、日本中の男性を震撼とさせた事件も映画も知らなかったので、嫌だなぁ、と思いながらここでちょっと説明。
 これは阿部定(あべさだ)という実在の、中野だか、新井薬師あたりにいた女性が愛人の、そのですね、男性だけにあって女性にない部分を切り取って持ち歩いていた、そこまでに至るお話し。愛の「コリーダ」、つまり「闘牛」の、れっきとしたスペイン語なんだもの、スペインで話題にならない筈がない。これは日本では解禁にならなかったです。スペインでは「何もかも」みんな画面にどーん!と出てきたので、見ていない人がないくらいだった。

 もう、翌日からですね、私は近所に出るのも憚られるような、そそくさ、そそくさ、とですね、忍者のように影から影を移動していたっけ。
 こればかりは、太刀打ちする勇気も気力もなかったな。
 一人、友人が、「昨日のさ、あの、映画...」と言いかけた時には鋭くにらみつけ、「日本の女はみんなそうか、なんて言ったりしたらもう、お友達じゃないからね!」気合で黙らせるのがやっとだったっけ...やれやれ。
しばらくは道を行くと、たちどころにひそひそ話が始まって、実に笑い事でないような思いをしましたよ。

●2001年05月26日(土)

【しつこく発言、やっぱり、あの映画捨てておけないです】


つねづね日本の外交というのはとても弱腰だし、知恵がないし、いつでも先手を取って、どうも来そうだゾ!というので手を打っておく事がないとあきれる思いがしています。つまり先手を取らないのなら外交ではないのです。沢山の先手、沢山の瞬時の判断、まずった事のうまい処理、将来に備えて、目に見えないいっぱいの伏線を張り巡らせる事が、外交。

 一般の日本人にしてもそうです。出る杭は打たれる、などのことわざで代表されるように、ひよりみだし、主張しないし、弁論が立たない。一般にね。
日本という風土と歴史自体がそうなのかもしれない。

でも、一端鎖国を解いたら、これではだめなのです。

 日本人が古来の美徳で勝負する、というならそれでも構いませんけど、じゃ、本当にまだ美徳、備えてます?私達?

美徳も薄れ切ってしまったし、意気地もない、というのが正直なところではないですか?ひよりみから更に、何にも感じない、ムキになるなよ、疲れる事はやめようぜ、になってません?だらーっと、だれてません?

西洋の国を相手にした時は、これは絶対に通用しませんよ。彼らは私達のようではないです。(彼らの特質を肯定してません。事実を言っているだけ)自分の国、自分の民族、自分達の先祖、ましてや自分の家族が侮られたら、絶対に黙っていません。だからもしも黙っている民族を見たら理解できないし、軽蔑しますよ。自分の血の由来する最も尊いもののために本気を出さなくて、一体いつ、誰のために本気になるのか。何が大切なのか。他に何かあるのか、と。
例えば、私がここでこんなに生真面目になってこの問題を掘り下げているのを見たら、ひぇー、めんどくさい女だな、まいったな、と多分多くの人が驚き呆れると思うけれど、それと同じくらいに、気骨のない人間というのを西洋人は驚きます。日本的ニヒリズムは、こっちでは全然肯定されません。

なんのためにあんなに沢山の「駅前留学」「ベルリッツ」があるのか。なんで幼稚園の時から盛んに「お受験」でもって熱狂的に英語、英語と騒いで語学をやるのか。
 従順なスピッツのような風をして、「I SEE」と言わせるためなのか。
薄笑いのプラスチックでできたお追従笑いを顔にへばりつかせて、「YES,I KNOW」と言わせるためか。
過去完了法を習って、何を言うのか、ですよね。英語がぺらぺらになって何をぺらぺら喋るのか?.....中身は?

 国同士の垣根を取ってみんな仲良くやりましょう、というのは非常に美しい言葉ですが、そうはならない。日本人の常識と倫理をはるかに超えるとんでもない民族もいっぱいいるのです。お互いは絶対に違うのだ、という理解をもとに不可侵を推進する事ならやれなくないかもしれない。みんな人間じゃないか仲良くしようよ、でなく、みんな違うんだ、仲良くやろうよ、だと思ってます。
なんでもいいから、日本を宣伝してくれたらいいとは思わない。ああいうやり方なら、チベットやモンゴルのようにつかみどころのない、遠い国として意識してくれていた方があり難い。

そのうち良いイメージに転化するだろうというのは期待できない。戦後何十年経っています?この体たらくですよ。
私達がやらなかったら、よその国がわざわざやってくれないです。
 風邪が治ったら百通くらいの投書でもしようかな、とりあえず、私の力の及ぶ範囲で。まことに微力で情けないですけどね。

 今度の映画で、少なくとも世界中に居る日本の子供達は学校で辛い思いをしますよ。一人対クラス全員で、戦わなくてはならなくなる。戦える子ばかりではないですからね。ただでさえ、親の転勤(?)や何かで苦労している小さな子供達が確実に、日本の代表という事で衝撃を受け止めないといけない。
 一つだけ言えるのは、日本という国は商売のためならなんでもやるえげつない国だ、と印象している人の方が、まだちょんまげ結っているのかな、というのどかな感想持った人より多いという事です。
 なんで世界中がアメリカという国に漠然と憧れるのか、それはまさに華麗なるアメリカ映画のせいですよ。ハリウッド映画が、長年アメリカと言う国を宣伝し続けてきた。デートリッヒ、へプバーン、エリザベス・ティラー、リチャード・バートンらが世界の銀幕で人々の心を捉えた。それ程映像というのは力があるのです。映画の前には陳腐な国交なんて、なんの威力もないですよ。

 私は皆さんご存知の、激烈なるナショナリストですから、西洋の一国に住んでいる立場から、事実をありのままにお話ししました。ディズニー映画には、絶対に猛烈な抗議を展開して欲しいです。たまには、なあなあになって欲しくないです。個人や会社への投書だけはマメにやるじゃないですか、日本人は。匿名で。

●2001年05月24日(木)

【....不安に思うこと】


 ゲストブックで、あの問題の映画がウォルト・ディズニーと知って愕然としてしまった。
 これは大変な事になりそうだ。勝ち目がない。だって、ミッキー・マウスでしょ?百一匹ワンちゃんでしょ?子供はディズニー大好きだもの。ついでに子供が大好きなものを作ってくれる会社は大人も大好きよ。大好きだから信じるし、疑わない。だいたいディズニーなんか嫌い、という人が世界中に何人いると思う?
それにあの人好きのする俳優達!映画館で人々は日本人を罵倒して憚らないと思うな。THE ENDになった途端に憎悪に燃えた目で客席を立って出て行くと思う。その後も大変だ。けろっと忘れるとは思えない。映画の威力というのはすごいから他の何物も太刀打ちできない。

 私これ、なんらかの政治的背景があるんだと言う気がして仕方ない。ただ漫然とディズニー映画がこんな題材取ったりするかしら?
ベトナム戦争もやると思う?まさか!ターゲットは日本よ。
 
 初めて核爆弾ができた時に科学者達は、いいですか、ここが肝心だ。科学者達です。彼らはこの発明の実験がしたくてうずうずしていた。どうしても研究の成果が見たくて見たくて仕方がなかった。なんとしてもどこかに落として威力が見たかった。大戦中のドイツに落とせば良かったじゃないか、という理屈が成り立つ。同じ敵なんだから。所がドイツはまずい。西洋諸国はどうしたってまずい。だから日本に落としたというのは有名な話しです。
 
 さて、デイズニ−映画に敢然と抗議するだろうか....
 日本は東洋諸国にはかなり高飛車なのに、西洋には絶対に頭が上がらない。
日米経済摩擦、なんていう言葉が真っ先に浮かぶのではないかな、政府も財界も。
 娘が陵辱されても相手をぶちのめせない意気地なしの父親みたいに傍観するのじゃないかな、と思う。ああ、願わくば、私の予感を見事に裏切って骨のあるところを見せて欲しい。1度でいいから。
立派な日本人というのはみんな幕末までに死んでしまったのだ、という私の偏見をただして欲しい。
 
日本の国民はどうだと思う?私はこれもあまり期待できない嫌な予感がするのだ。平気で「子供の教育のために」ポップコーンなんか家族でばりばり食べながら、見に行くのではないかしら。どおーしてぇ、だって悪い事したんだから、子供に見せて日本人はね、こういう事したんだよ、外国に出たら済みませんでした、くらいの気持ちは持ってもいいかと思う、なんて言いそうなのは私の気の回し過ぎ?
風邪がぶり返してどっと熱が出そうだ。
このテーマから派生して、私には重いテーマがずっしりと胸にしまってあるのだ。根が生真面目でこうなのか、外国生活が長くてこうなのかは分からない。おそらくは両方かも知れない。
 早速子供に向かって、あのね、この戦争はね、とやったって思いばかりが先走るし子供はまだあまりに小さいものだからポカーンとしている。分かってるって、そのお話しもう何回も聞いているもん!と改行チェックを入れられてしまったくらいだ。
 ホント、まだ死ねない。幕末、明治維新、太平洋戦争をちゃんと子供に理解させるまでは、どんな事をしてでも生き長らえないと、と思う度、いつも身も世もないような切ない気持ちになってしまうのだ。

●2001年05月23日(水)

【パールハーバー】


 いきなり大画面に日本軍が出てきて、平和なアメリカ人家族の低空を日の丸の戦闘機が飛んで来る様がスクリーンに出て来た時から、嫌な予感がした。
ロードショーの前宣伝だ。
 美しい清ら気な娘達や、罪のない若者達、子供、画面には次々と魅力的で善良なアメリカ市民が映し出されて行くのだ。
おお、嫌だ。来るぞ、今に!
お前の狙いなんざお見通しだ!と構えていると、来た。
さっきの美しい娘達が、家族が、子供達が爆撃されるのだ。日本軍に。
「パールハーバー」!!!

日本の企業はハリウッドの撮影所をひとつかふたつ買収しなかったっけ?
どうして先手を打たないのだ。なんでいつも奴等の後手に回る?
なんでいつでも金儲けかへつらう事しかしない?あるいはエンパイアビルなんか買って袋叩きになるか。愚か者め。
日本という民族とその文化を正しくアピールして行かないといけないのだ。もう、いい加減やらなくてはいけない。外務省は何してる?教育映画を作れと言っていない。
だけど一見何気なさを装って深部に本当に分からせたいものをひそませる事ができる筈だ。
それが芸術の手品なのだから、外交を成功させたかったら、高度に洗練された知性で企てていかないといけないし、日本はもう十分にそのレベルに来ている筈なのだ。なのに未だに西洋人に鼻先を捕らえられたまま引きずりまわされているのだ。ああ、ご先祖様に申し訳ないぞ。

その先祖が誤った戦争だけれど、そこから這い上がって何かを学ばなかったか?
あの惨めで、不幸な、誠に愚かで不幸な戦争を、「広島長崎」の私達が意識し続けないものだから、あのパールハーバーを何度も、何度も彼等は取り上げるのだ。

パールハーバーは私達こそが告発するべきだ。
あの日本を絶望に追いやった経済封鎖と、日本を叩き潰すために自国の民族を見殺しにしたアメリカ上層部をどうして映画産業で告発しないのか。

パールハーバーだなんて、歴史はそんなに単純ではない。
日本との戦争の口述を作るために、真珠湾攻撃を未然に防がなかった、という史実はアメリカのジャーナリズムが取り上げているではないか。山盛りの証拠書類が残っているのだ。
それでも、あんな映画をやられたら、また日本は戦線布告なしの卑怯者として世界中に印象を更新してしまうのだ。

 私はあの戦争を肯定しないし、あの攻撃を正当化しない。でも、事実は事実だ。
国際的立場から言ったら日本は卑怯だったかも知れない。でも、日本の古来の兵法には奇襲攻撃は卑怯と見なされていない。西洋人が感じる程の倫理観が当時の日本にあったのだろうか。今よりもずっとあの頃の日本は東洋だったのだ。日本は日本の歴史の延長に生きていた。

私は無念さと不甲斐なさでもう、正気が保てない。体中の細胞という細胞が震え、血液という血液が全て泡立ち、過去に倒れた我が民族を思い、血涙が溢れそうになる。

ああ、なんとでも言ってください。私は冷静になれない。

戦争というものはみんな悪くて、善悪なんかないのだ。それをアメリカ人は善玉の顔をして日本を罵倒するのだ。ああいう映画に出演している日本人役は中国人でなくて、本当の日本人なのだろうか。

これだけ日本に帰国子女が溢れて、それでも政治は変わらないだろうか。それでも財界に真の国際的危機感と民族の誇りを持った日本人が出て来ないだろうか。
親は子供にしっかりと教育しなくてはならない。その血の由来する国と文化と歴史を。
清廉で誇り高い日本人という民族の事を。

 仕事をした魚介類からいきなりこんな話題。
もう、みなさんに見捨てられそうな豹変ぶりだけれど、私は真珠湾だけはクールでいられない。
今も昔もこれからも。

外国に出る日本人は絶対にかなりの頻度でこの歴史と直面する。
あなた一人で彼らにきちんと話さないといけなくなるのだ。
もしかしたら、パーティの席で全員を敵に回してでも。
その時あなたは好むと好まざるとに関わらず、日本の全歴史と名誉を代表してしまうのだ。そうしてはじめて、自分が誰だかわかるのだ。
 さて、とまた私の弱みをさらけ出してしまいましたね。私の泣き所は、日本です。

●2001年05月22日(火)

【仕事をした魚介類のサラダ】



 この間、新玉川線に乗っていてえらい目に会った。
 渋谷から乗って来たその女性は、電車で立ち読みするにはかなりしんどい、
大きなカラーの料理本を持っていたのだ。
家の書庫に入れておくような大きい、立派な分厚いもの。
 その背表紙がまた、目が吸い寄せられてしまうようなタイトルだったのですよ。
 スペイン料理。いや、本格スペイン料理だったかな?
はてな、スペイン料理の達人だったかしらん?
....とにかく、これは奇遇です。何が書いてあるのか見たい。
この女性は、スペインが好きなのかしらん。ちょっと嬉しくなってしまう。
それにしても、どんな本格料理が出ているのか見たいなぁ、と思っているとうまい具合に私の隣が空席になって、彼女はもう、重い本を窮屈に立ち読みしないでも良くなった。
...やれやれ、安堵の吐息をもらす。
ちらっとお隣のカラーページを見やると、「仕事をした魚介類のサラダ」というテーマが太字で目に飛び込んで来た。
何それーーー!?何のサラダだってぇ?

カラーページ、上の4分の1くらいに堂々たるサラダの、彩り美しい盛り付け写真が載っていた。あーーー、と思っているうちにくだんの女性が次ぎ次ぎにページを繰っていくので作り方までは読めなかった。
「仕事をした」って何よ!?
魚介類よ、相手は。
何ていうスペイン語だ。ミスプリなんじゃないのか、こんな変な料理ってある?盛んに頭の中でサーチをかけていたが、どうも誤訳だという気がして仕方ない。エンサラダ・デ・ロス・マリスコス・トラバハードス、かなぁ...
 あんまり気を取られて熟考していたものだから、鷺沼で乗り換えるのを忘れてしまって急行だったものだからそのまま、なんと五つぐらい駅をすっ飛ばしていくじゃないですか!あーらら....

 笑ってしまう。こんなバカな目に会ってしまって。

こうなったら、被告のサラダに尋問しないとね。...で、ついにお隣の女性に話しかけてしまった。
「ねぇ、241ページのサラダの所、どうしても気になるのでもう1度開いて下さらない?」にっこりしちゃうのだ。
「えー!?あら、スペイン料理、お好きなんですか?」
「まあね...あんまりおかしな名前だから誤訳じゃないかと思って...」
あ!ありました、ありました、ここです!
二人で顔を寄せて作り方を見たらやっぱりTRABAJADOが書いてあった。
きっと生でなくてゆでてあるんだと思うな、と言うとその通りだったのだ。
 これは仕事という意味に使わないのだ、この場合は。
ゆでえびのサラダとか、そういう意味。完全なる名誤訳。
ヒゲを蓄えた立派な料理人の写真が出ていて、有名な人なんだそうだ。
 スペインに帰って一応はみんなに聞いて回って確認してみたけれど、そんな料理は聞いた事がない、と言うのだ。だいたい、そのスペイン語がスペイン語としてなっていないとみんなが言う。そうよねぇ.....
だいたい編集者が、おかしいと思わなかったのかしら?日本語にだってなっていないのに。
 友達のアマンダが言う。「だからね、かわいそうなエビなのよ、辛い一日を過ごしたイカな訳。仕事、大変だったなぁ、貝殻かついでね、年寄りの魚介類な訳よ、辛〜いサラダの物語よ...」
イカが貝殻かつぐかって!
誰か知らない?この本を書いた犯人。青葉台まで行ってしまったのだ。「仕事をした」サラダでなくて、フラメンカの私は!

●2001年05月20日(日)

【日曜日、またもや真面目にお仕事...】


ベッドに入ってからも、ここのところなんだか頭が冴えわたって眠れない。
オーバーワークだな、と警報機が鳴るようだ。
考えてみると、いつでもひっきりなしに頭の中で仕事を続けている。
私の仕事は公私の区別が難しい。週末だって遊んでいる事がない。
海辺にいたとしても、だ。振り付けをなぞり、カリキュラム検討し、研修プログラムに....。

 フラメンコのガイドブック執筆で、とても苦しんでいる。
ほとんど全部書けていて、編集者とこの間の帰国で会った時は、身のおきどころがなくなる程に絶賛、励ましていただいた。もう少しだから次回の帰国までに書き上げて下さい、はい、という事になっている。次回はすぐそこよ!...できてないのだ。

 第三章に、かなりの量の翻訳がつく。
 翻訳は得意なのだ。日本語と同じ速さでやれる。威張っちゃうくらいだ。
ところが、この原典本がいけない。
百科辞典でもこんなに重いか?というくらいにすごい。昨日計ったら、5キロあった。
大きさも、魔女になるための辞典くらいに(?)大きい。ページを繰るのが難儀じゃ。
開いた所がすぐ閉じてしまう。字がぎっしりで追っていくのに疲れる。
つい、もう書き上げた自分の原稿ばっかり読み返して逃げてしまう。
自分が翻訳した分だ。すごく面白いのだ。訳していてとても感動的な史実に当たった。
この百年間のフラメンコの総集編をやっている。
(いいものね、別にマネしたい人は真似したって。類似本出せるものなら
出してくれ。手間がない、と開きなおっちゃうのだ)
 厳選して誰と誰の事だけにとどめよう、としても、どの時代のアーティストで止めるか、というのが難しい。血は繋がり、受け継がれて行くのだ。遮断機を下ろすのは容易じゃない。
この人の息子の芸風まで書き込もう、などと困り果てていると、分厚い本になってしまう。
これからまだ挿絵も入るのだもの。削らないといけない。

 天才ギタリストのニーニョ・リカルドはスペイン内戦の勃発した年に公演先で足止めになり、家族には生死もわからないまま3年半が経つのだ。終戦までとらわれの身。
その間、どういう事があったのか、について私はどうしても筆をすべらせたい。なぜなら、リカルド婦人は私とはとても親しくて、親戚のように行き来していたのだ。
婦人の言葉を通して当時のフラメンコ界の実態がいきいきと語られたものだった。
リカルドとパコ・デ・ルシアのお父さんは友人で、この天才パコには、リカルドがギターの手ほどきをしている。
リカルドが亡くなった時にはパコを始めとするそうそうたるスペインフラメンコ界のギタリスト達が記念コンサートを開き、その収益でリカルドの墓に青銅の天使像を寄贈している。
弦の切れたギターを抱えた天使なのだ。
リカルドの死を悼んだシンボルとして、とても美しい逸話だ。
勿論、パコの全盛時代だ。恩人の死と言えど殺人的なスケジュールを抱えていた時期なのに、こうした事にはとても信義の厚い、スペインフラメンコ界というものの実態もなんとか全編ににじませたいな、と苦労している。創価的になってはだめだし、私が一言書かなかったら永遠に誰も語りようのない数々のエピソードを振り切るのは、ストレスが貯まる。
手前みそだけど、こんなに心を砕いて何ヶ月もかかつていて、一年は釘付けになるというのに、原稿料は無料。支払われる印税は、消費税より安い。なぜか?
私は無名で、本は三毛猫ホームズではない。

先生!生徒には割り引きないんですか?
うーん、そうよね。消費税分はいいわ!なんて、言おうものなら一冊お持ちいただく度に筆者がですね、自分の財布から「お持ち帰りありがとう」と言ってお金を差し上げるのと同じ事になる。
えー!?そんな、あんまりだ。
誰かが買ってくれて初めて、90円か何かが支払われる計算らしいのだ。
90円あげるから、本、やめにしない?みたいな気持ちになる。
いや!!!何を言っているのだ!こんなにばかばかしいまでに損だからこそ、この仕事は意義があるのだ!!そう、お金のためにやっていないもの、考えた事もない。
この仕事は大切な使命なのだ!!
わ、わかってるって!!
...という具合に力んでですね、〆きりに追われてやっとりますです、今日もね。

●2001年05月19日(土)

【うちの裏のボルムホスというところ】


車を駆って高速をひた走りしていると、目の前で空と大地が溶けて、まあるい地球が実感できる。
アンダルシアの大地と空を五感の全てで吸い込む事ができる。
セビージャの西の郊外は美しい。

私のファンに、外務省に長い外交官がいる。商売柄、世界中の大使館に回された。中東でワインもままならなくて辛酸(?)をなめたかと思うと、やっとです!とばかりにイタリアに異動して、こっちもやれやれ良かったと思う間もなく次ぎのクリスマスにはパパラニューギニアからカードが届く。え!?ニューギニアかえ....!そりゃまた....
で、彼の冒険談は次回に譲るとして、お勉強も沢山した人だが世界を回って実践の知識をいっぱい持った人だから、何か聞けばたちどころに答えが返ってくる。この人との会話はとても楽しい。
その彼が言うには、古来より都市は西に向かって発展していくのだそうだ。肝心の所がうる覚えになっていて心苦しいけれど、確か、古代ローマからその例に漏れない、と言った気がする。都市が大きく発展して行くに従って、何故か西により多く拡大していくのだそうだ。
ずぼらなフラメンコダンサーの私は、いたく感動しても、まさか図書館に走って裏を取ったりしないから、世界と古代の保証はしかねるけれど、セビージャに関しては本当だ。
 92年万博の3〜4年前から大掛かりな都市計画が実行されて行き、今なお西に発展を続けている。
 この間、うちのすぐ裏の村を通って思わず車を停めるほどに驚いたのだ。見渡す限りの大地が、セビージャ市街の半分くらいの規模が丸々入ってしまいそうな広大さで土地開発が進んでいたのだ。まあ、私に一言も言わないで!てなものだ。
 ゆとり型でデザインされた何千もの住宅とその家族を推定して、十分なだけの小学校から高校まで、何校も住宅の区切りごとに建つように計画されてあった。住宅の区切り毎!
更にはショッピングセンター、どかーんと大きな大学病院とインターナショナル大学を建ててしまうのは、この新都市計画の極めつけだ。
セビージャには今世紀に至るまで大学と言ったら国立のセビージャ大学しかないのだ。ま、怪しげな私立もひっそりとどこかの街角で営業しているにはしているらしいけれど。そんなのじゃなくてインターナショナルのができるらしい。(どう?みんな、ここに留学しては?)
 とりわけ感心したのは、この一帯には高層マンションは一つも組み入れられていないのに、大学病院に隣接した個所だけ、プールやテニスコートなどの設備を整えた多世帯向きのマンションを、庭を囲むようにして何塔か、いい感じのデザインでこの字型に建つようだ。つまり介護を必要とする世帯のために病院の隣に住めるように配慮してある。出産予定の若い世帯も、どうせなら安心だからここにしよう、という事になる。老人と子供を抱えて奮闘している人達には更に救いとなる。
 どこのどの住宅を見ても、かつてセビージャのどこにもなかったように間取りが工夫されていて素晴らしかった。見渡す限りの大地に、モデルルームというか、開発毎のインフォメーションオフィスがかわいらしく建っているのだもの。建築家になりたかったな、の友繁晶子は素通りできない。みんな研究させていただいた。
 万博の時も感心したけれど、スペイン人は小さな仕事は呆れるほどぞんざいだが、都市計画や規模の大きなものに関しては日本人の及ぶところではないのだ。発想が素晴らしいし、センスがいい。小さな、あとで取り返しのつかない都市計画をやらない。大手の建設会社と銀行が何社も市町村とともに計画し、この一帯を中心街と一気につなぐための高速道路まで引っ張って来るのだ。つまり、ここまでやる。

●2001年05月16日(水)

【地図を広げて....】


必要があってセビージャの地図をくまなく見ていたら、有名な犯罪者地区というか、ハーレムというか、間違って迷い込んだら大変!という地区の正式名称がPOLIGONO SURだと知った。
ポリゴノ・スール、まるでなんともないみたいに聞こえる。
土地っ子はこの辺りをトレスミル・ビビエンダと言うのだ。あるいは単にトレスミル。3000の事。3000世帯あるからなのか、ぶあーっとマンションというか団地というか建っている。
ここがとても怖い界隈なのだ。フラメンコ・プーロと呼ばれる生粋のジプシー家族は多くこのトレスミルの出身だ。
 昼ひなか発砲騒ぎがあったり、薬局はドラッグになる薬を求めた暴漢の度重なる襲撃のために、鉄格子の向こうからアテンドしたりする。

もう一つ、ポリゴノ・ノルテという地区もある。スールの南が悪ければ、ノルテの北も悪い地区の代表だ。セビージャに一人旅で来た場合は、すぐに地図を求めてマークしておこう。これと一緒にアラメーダという地区もよくない。外人はこの三つは歩き回らないに越した事はない。
土地の善男善女もこの辺は断じて避ける。
 なぜくどくどこんな事を書くか、というとよく、日本人がそれと知らずにこの三地域に踏み込んだり、アラメーダに安い家賃につられてアパートを借りたりしてしまうからだ。
 ああ、みんなが九月に研修旅行で来たら、心配で普通の生活が出来そうにない。添乗員みたいになってしまうんじゃないかしらん。だいたい夜のセビージャ空港に着くなり、迎えに行ってあげないと不測の事態になったらどうする?と取り越し苦労を今からしてしまう。
 あんなに前から言ってあるのに、この旅行に申し込むつもりでいてまだ申し込んでいない生徒がいるらしい。もうダメみたいよ。九月のゴールデンウィークにばっちり合わせた旅行なんだもの。イベリアの座席が取れないって言われた気がする。全日空はあってもロンドンからスペインに入る便が超満席なのだ。多分、今申し込んである人の誰かが都合が悪くならないと、キャンセル待ちになりそう。いっつも早くね、って言っているのにこうなる。集中レッスン、気をつけてよ。また、〆切って入れなくなってから泣きついてお願い〜とやらないようにね。1ヶ月も十分時間があるのに、締切日まで決めないのだもの。そうして、あろう事か、こういうのは外部生でなくてうちの常設クラス生のが多いくらいなのだ。春の集中ではさっさと申し込んだ外部生はすんなりおさまり、後になってあわてたお膝元の子達は「こ、こんな筈では...」になった人が少なくなかったと聞いている。公平に受け付けるのだから今度こそ気をつけて早めに選びましょう。今度からやりたい曲があれば前もって生徒がゲストブックで参加仲間を募ればいいのに。先生、これこれの規定人数がいます。スケジュールに組んでください、と言えばはーい!と言っていれてあげる。そうしてみんなが好きな曲を選んだらいいのに。ま、一つ考えてみて。ステキな案かもよ、みんなの作る集中レッスン。
 来年の夏、アカデミーの寄宿舎が完成する!これで飛行機さえ取れたらいつでもホテルの心配がまるっきりなくなる!はは、言ってしまった....

●2001年05月15日(火)

【寒くなってしまうお話し....】


 真夏でもないのに、今日はぞぅっとするお話しをひとつ....

 ずっと風邪をひいていたのが、先週末にかなり無理をして仕事がらみの接待として家に人を招かなくてはいけなくて、すっかりこじらせてしまった。
 今日はレッスンにも行けずに一日ベッドの人となる。

 夕方になって、子供達が大騒ぎしながら父親に連れられて帰宅したのが、2階の寝室に居ても聞こえた。何事かと思う間もなく、二人がばたばたと駆け上がって来て、興奮の舌をもつれさせるものだから一向に、話しの中身がわからない。落ちついて、一人づつ、始めから....
 時刻は7時半、スペインは夜のこの時間はまだまだ明るい。夕方と呼べないくらいに明るいのだ。それがこの明るい中を....
 家の近くの遊園地を通ってきたら、車の窓から目撃したところ、木馬が人も乗っていないのに、激しく揺れていたというのだ。しかも、公園の全ての木馬が!風は吹いていなくて、ブランコは揺れていないと言うのに!
(ああ、いやだ。これ、書いていて怖くなってきてしまった....)
ここでいう木馬はメリーゴーランドのそれではない。下が太い、おおきなコイルのようになっていて、子供がまたがってこいで始めて動く種類のものだ。日本にもあるかよくわからない。

 そこの公園は最近作られたばかりで、まだ、色々な後工事が残っているので人が入り込まないように回りに臨時の柵がめぐらしてあるのだ。私も毎日のように通るので知っている。ところが、今日の夕方、そこの4台だか、5台だかある木馬が一斉に激しく、とても激しく動いていたというのだ。なんだか信じ兼ねていると、子供の父親まで上がってきて本当だと断言するのだ。
 おまけに、近所と言わず最近、テレビ局までこの不思議な現象を取り上げてセージャ中がぞっとしているのだそうな。午後の7:30頃から日没まで毎日なんだそうだ。夜明けにも時々起こるらしい。おミサが必要かもしれない。

 トリアーナに住んでいた頃、留学生ならおそらく誰でも知っているサン・ハシント通りの、角の教会からパヘ・デ・コロ沿いに数件行った表通りのビルが3階だか4階建で新築した途端に、全部でたったの三百万か何かで売りに出された事があった。全館に確か10世帯分か何かののマンションがあった筈だ。全く買い手がつかなくて、さびれるまま何年も放置される結果となった。一時賃貸になった事もあったがみんなあたふたと出てしまうという事だった。
中世の、胴体から上の男性の亡霊が3人も出るという話し。
あの界隈で知らない人が居ない有名な話しだ。
傍を通る度に怖かった。
 スペインという国は、いっぱい戦争があった土地だから説得力がある。絶対に笑い飛ばせないのだ。今でもバリオ・サンタ・クル−ス街はぞっとする。アラビア人を追い落として辻辻で殺めたという事だから、とても古い家には住めたものではない。街の細道の一つ一つがなんだか嫌だ。ひやーっとするのだ。
うー、子供みたいに怖くなってしまった。熱があるのにこんな話し、思い出したくなかったなー。読者を巻き添えにしてしまった。

●2001年05月13日(日)

【尾頭付き】


いつも言っている事なので、集中に多く出ている生徒や常設クラスの生徒は、ああ、また出た!と思うことに「生のギター付き」についての私の意見がある。
 素人の考えでは、ギターを持った人イコール、ギタリスト、になるのかもしれない。
この感覚で行くと、ギターつきのレッスン=お!やったね!本物!
つまり、おかしら付きのお惣菜みたいに、わくわくするのかもしれない。

私はこれだけでは、わくわくしない。
ギタリスト=どういうレベルの?
どういう種類のフラメンコを知っている?
音はきれいか、コンパスは抜群にいいのか、ムイ・ヒタ―ノか、パジョの演奏ギタリストか、歌伴奏が得意か、下手か、ブレリアは野暮臭いか、粋にやれるか、ヘレス風か、モロン風か、どっちだ?なんだ?....になる。
スペインに居てさえ、こういう要望と条件に合うギタリストがなかなか見つからない。だから日本では見つけようと思わない、というのが正直な気持ちだ。居ないに決まっている、とは断定しない。でも、探さない。

次ぎに居たとしても、レッスン伴奏に付き合わせて良い結果が出ない。こういう素晴らしいギタリストというのはこっちがもう出来あがってから軽く合わせるだけなのだ。みんなが、水準以下の、フラメンコというよりは建設工事か、解体現場のような騒音としか思いようのない、ひどいリズムを刻んでいる段階には、お呼びする必要がない。お呼びするとみんなで気兼ねして萎縮する。
 いいえ、僕も練習生なのでかまいません、行ってあげます、というレベルだったら、お気持ちはありがたいけれど、あまり有効な見本も示してもらえないので、レッスンに出て欲しくない。フラメンコの本質的な粋さとか、抜群のリズム感を持った仲間でなかったら、私は振り付けが出来ない。足を引っ張られて何も浮かんで来なくなってしまうのだ。
だから私は、レッスンにギタリストはつけない。私のクラスでは、プーロ・ネルビオと呼ばれる種類のブレリアをやる事が多い。これは、それを体の一部として持っているパルメーロとカンタオール、ギタリストがそろわないとレッスンで振り付けられない。だから、それを完璧に録音したテキストをスペインから持って行ってレッスンしているのだ。
録音=にせもの、まがいもの、程度の低いもの、ではない。
 最高のレベルの共演者とやらなかったら、本物とはどういうものか、ということが特に練習生にはわからないのだ。録音したもので練習するのは生の音と練習するよりも効果がある。外れると一発で誰がどこでまずいのかが、明確にわかる。つまり、あなただ。他にいない。これをたたき台にしてのし上がって行くのだ。
 ちなみに、ハレオというのは、ギター伴奏がないのだ。パルマとコンパス感だけで歌う種類のもので、これはとても勉強になる。歌詞も短いから入門としては良い教材だ。本当の原始フラメンコというのは無伴奏でできている事を忘れてはならない。そしてフラメンコの基本とは、パルマで踊れる事なのだ。これが超基本、ウルトラ基本、氷山の下的まったくの真実。もう、いい加減、ギタリスト付きです。わあ、すごい!という考えはやめにしよう。まず、この認識こそ、フラメンコの入り口だ。

●2001年05月09日(水)

【次回集中レッスン、速報】


 ゴールデンウィーク中にも沢山お問い合わせいただいていた集中レッスンですが、地方の方は飛行機の予約などがあるため、お願いだから早く教えて!という要望があり、今週中にはいつものきれいなページにちゃんと載る筈ですが、取り急ぎ、ここに切り取りして載せます。あの、美しい図表が色分けで添付されていないとわかりにくいと思いますが、急いでいる方は背に腹は代えられないとかですから。本文一覧も意思に反してあっちこっちに行ってしまうので見にくいでしょうけど、
なんとか見当つけてみてください。
 前回予告したように、夏で暑いし、むしむしするとかなわないので、土日ならみなさん万障お繰り合わせで鷺沼にお出かけくださると思い、週末は鷺沼で行います。
鷺沼のスタジオは天井が高く、とても広いので、暑い季節もやりやすく、ゆったり動けるのがメリットです。それに秋葉原は土日にお店が開いていなくて、時間調整にお食事したりが難しいのですが、鷺沼はすぐ上がモスバーガーですし、沢山お店が開いていて便利なので、多少足の不便な秋葉方面の方は以上の理由により、クラスの快適を期して遠足がてらご参加ください。
 それから、ドランテの仕上げは、レベルに関係なく自分が取れそうな回数と日程で決めてください。この曲は特殊なので、どのレベルの人でもちゃんと目が行き届くので心配なく。取るのがゆっくり目の人は、何度も繰り返しますが、一クラス多めに取るなり、各自で調整して下さいね。



      友繁晶子の集中レッスンコース別 6/29(金)〜7/8(日)/2001 
 秋葉原本校は6/29午後,7/4,5、鷺沼新スタジオでは6/29の午前とそれ以外の全日程。一覧表参照/間違いのないように。

 A 土日の初級テクニカ・超基本
     入門〜2年位まで。ブラソ、足、パルマ、フアルダの扱いと体の使い方の基本徹底理解。 悩みの多いこのレベルのために特設。フラメンコに不可欠なコツと正しい重心移動を早いうちから身につける。          6/30,7/1,7,8 土日4回 ¥18000 


 B 土日の初級・振り付け/ティエントス
   習得しにくい重心の移動、上体の力の抜き方、回転の秘訣、ブラソの軌跡とその崩し方をていねいに、ゆっくり学ぶ。 まだ曲数を持たない初級生の、憧れのテイエント振り付けに挑戦。 
6/30,7/1,7,8 土日4回 ¥20000


  C 土日の全レベル/振りつけカルメン組曲(上体&回転テク)
    あとで自習しやすい名曲を使って、上体と回転のテクニックを簡単に習得できるようにする。いそがば回れ、の実践で一人でも自動チェックができて短時間上達を目指す。舞踊の基礎が身につくと同時に、いつもと違うクラシックのテーマは明るい気分転換にも役立つ。                           6/30,7/1,7,8 土日4回 ¥20000 

            
  D 土日の全レベル/ブレリア/ドランテ・合同完結篇
  入門〜4年位まで。基本のマルカールと体の方向、回転、アクセントを正しく理解。アイレと決めをしっかり学ぶ。
   ドランテ・コンサートのSEMBLANZAをリトールドして特別応用振り付けにする。重心の移動とブエルタの徹底理解。
   前回に引き続き、完成篇を迎える。どのレベルでもクラスに支障がないので自分の都合で週間の夜、昼、のクラスと各自が
   各自の判断で回数を考えて受講する。指導はレベル別に徹底。 
6/30,7/1,7,8 土日4回 ¥18000


  E 土日の全レベル/パルマとハレオ(歌)基礎/フラメンコの真髄
   今回初登場。フラメンコの基礎として重要だが誰もできないパルマと、ハレオの入門コース。
   歌詞カードは一日目のレッスンで展示され、誰もが短くてエスプリの利いたフラメンコの歌を、勉強する。歌えなくても、音痴でも、とにかくやってみよう、「では、せめて意味と基礎は分かろう!」 レベルは関係ない、ゼロからの出発。楽しんでやるコース。
6/30,7/1,7,8 土日4回 ¥18000 



  F 昼の初級テクニカ・超基本&ドランテ応用(上体+回転+ブラソ) 
   AとDコースの昼間版。リトールドとしてゆっくりブレリアの基本を習う。
3回 6/29,7/2,6 ¥13500 

 
  G 昼の初級・振り付け/ソレアポルブレリア
   踊れるようになりつつあるレベルの、初めて持つ一曲としての振り付け。基本としての教材でありながらもかっこいい振り付けで明日の励みとなる一曲目を目指す。 
3回 6/29,7/2,6 ¥15000



 H 夜の初級&中級テクニカ+足強化+コントラティエンポ/応用ドランテ
  足の正しい打ち方と姿勢、力の強弱、コントラティエンポの入門と、バリエーションに取り組む。土日のドランテの補充としても、 土日に出られない人のためにも、初めての人には上体テクとして全カバー。   夜 7/2,6, 2回 ¥9000 

                                                                                                
  I 夜の初級&中級テクニカ/パルマとハレオ(歌)基礎/フラメンコの真髄
    土日のEコースと同様。            夜 7/2,6, 2回 ¥9000



 J 中上級テクニカ+コンパス・応用マルティネーテ
    新設。無伴奏曲の対処と応用、パルマと呼吸の置き方など最もフラメンコ的なアイレとリズムの
    勉強を通して真髄に迫る。生徒のレベルを見て、他の曲も入れてあくまで分かりやすく解説。
                              6/29 2時間 ¥9000



  K 振り付け−ファンダンゴ/ブレリア(中上級)
   新曲。よくあるつまらない振り付けのフアンダンゴではない。粋でかっこいいリズムとエスプリでフラメンコ的 
   アイレを勉強する。ブレリアと対象しながら共通点を把握する。
6/30,7/1,7 土日全3回 ¥15000  

                    
  L 振り付け ― バンベーラス(中上級)後半 
6/30,7/1,7 土日全3回 ¥15000(地方の単発参加は特別許可)



  M 連日プログラム  地方参加者のため、一週間のうちどれでも単発参加できる。個人レッスンとの組み合わせ、まとめも可。
               レッスン中のビデオ撮影は自分を撮る場合に限り許可            個人¥20,000/h

    上記レッスン料はスタジオ使用料、消費税込。銀行振込料は各自負担。クラスの録音は許可しますが、ビデオ録画はご遠慮下さい。

  全コース 開講人員10名。これに満たない場合は開講されないことがあります。または定員超過の場合、振り込まれたレッスン
  料は各自の口座にお返ししますので口座NO.を必ず明記してください。なお、これ以外の個人的理由による夜遅くの問い合わせ、
  ならびにキャンセル、返金には応じられません。クラス内容にどうしても質問があればHPゲストブックでして下さい。 
   
  お申し込みは:住所、氏名、銀行名、口座NO・名義、受講コース、全受講曜日、電話番号を必ず明記し、FAXにてお願いします

  FAXを持っていない方でも受信できる友人のFAXなどを明記して下さい。TELで連絡がつかないことが多いためご協力下さい。
   ホテル宿泊の方はそのTEL・FAXも忘れずに。急の連絡のため。携帯もできれば。 @事務局申し込みのうえ、 Aレッスン料振込をもって予約完了となります。ご注意下さい。
〆切りは6/20です。

   集中事務局:TEL&FAX03−3815−3485 砂田 (問合わせの前に本文をよく読み返し、それでも必要な場合のみFAXで。)
   常設クラス:事務局TEL090−9200−1312  秋葉原&鷺沼スタジオレンタルの申し込み:090−4947−9759

●2001年05月06日(日)

【午前様よ、集中スケジュール!】


 スペインは今何時だか、とくとご覧じろ、という所だ。
ここ二日ほど奴隷のごとくスケジュールを立てては書きなおししている。
順列の組み合わせのようにみんなが満足してくれそうなものにするのは難しい。
 次回集中レッスンは八月ではだめかなーというずるい考えをちょっと起こしたのだ。ちょっとだけね、だってこの間はみんなも一生懸命頑張ったし、しばらく来て欲しくないんじゃないかなー、と思って。
 ダメ!みんな八月なんかじゃ遠すぎるって言ってます!!
一蹴されてしまった。
 秋葉原に超初級の常設も来週から発足する。
 新設のクラス、編成して力を蓄えたクラスが今週一挙に発表になる筈だ。
続いて集中レッスンも、スケジュールが出ます。
地方の方もあるし、ここで予告してしまおう。

次回集中レッスンは、6/29〜7/8です

その次ぎ、夏の第2弾は、8/17〜9/1です。

スペイン研修旅行は、9/15〜24です。

さあ、ここのところこれにかかりっきりでとっても大変でした。一覧表はできたので、案内をよく見て、間違いがないかよく確かめたらUPします。楽しみにね。新しい曲もまたやります。
今回は初級生にどっさりクラスを作ってあります。
ああ、もう眠らなくちゃ!日本との時差は7時間よ。

●2001年05月03日(木)

【フエリアに思う、フラメンコという芸術】


 冬物を全部しまっちゃったのに、昨日からまた冬に逆戻りだ。
ずるずるとセ―ターなんかを引きずり出している始末。
 このままフエリアなんて全く関係なく過ぎてしまいそうだ。
 昨年、フエリア用の晴れ着を生まれて初めて新調したのに、ついに下ろす事無くフエリアは終わってしまい、今年こそ、と髪かんざし揃えて「よううし、」と気合入れていたのに又、着れそうにない。
 どうして必ずこの時期は風邪ひくだろう!

 あったりまえなのだ。31度になった途端に雨、嵐、ひょうが降り、気温ががくーーーんと冬になり、そうかと思うと同じ日に突然厚い雲が割れて真夏なみの太陽が出る。こういうまさにスペイン人の気性のような天気が続けばもう、保険知識も負けるというものだ。
 私はみんなが風邪を引く季節に自信がない。とてもフエリア向きにできていない。どうしてここの人間はこんなにタフだろうかと関心する。フエリアが好きな人というのは情熱の限りを尽くして毎日二回くらい足しげく通うのだ。
 知り合いの女性は小さな子供を3人も持っていて、うち一人はまだ赤ん坊なのだ。それでも毎日子供達を着飾らせて、自分も一張羅に身を包んで、乳母車を押して出かけて行く。すごい情熱だ。異民族だと骨身にしみて思う。完敗。

 実際はフエリアなんて気抜けするくらいに、面白いものではない。
カセ―タという小屋はまるで学園祭のようなちゃっちいものだし、舞いあがるほこりのすごさ、雨でどろんこになった道のおぞましさったらない。その上、そこを上流家庭の坊ちゃま、嬢ちゃま達がりゅうとした乗馬姿で、そこのけそこのけ、と通って行く。上流婦人達が笑いさざめきながら、この日のために年間しまってある馬車に乗って、美々しく着飾った御者に馬を打たせて通るのだ。フエリアで、馬に乗っている人々と、泥んこ道を歩いている人々は対象的なのだ。貧富の差がこれ程克明に出る機会も滅多にない。

 長いこと私の夫のギターフアンだった、さる人は、フエリアに繰出すための上等の白馬を何頭も飼っていて、その馬のための牧場、その牧場のための下働きの家族まで養っていた。たったの、フエリアに綺羅を飾って、一年に一週間馬車に乗るだけのために!
 ここは、そういう土地で、そういう人々のお声がかりでフラメンコのフエルガは開かれる。フラメンコは何世紀にも渡ってこうした特権階級とブルジョアジーに支えられて生きてきたのだ。今、現在でもだ。
 劇場が大きければ大きいほどフラメンコの舞台として格が上なのだと錯覚してはいけない。フイエスタ・バルティクラ―ルと呼ばれるフエルガにこそフラメンコの真髄はあるのだ。...(行き掛かり上、ここで脱線。)
 だから、この間のドランテの歓迎会のような席で、ギターと歌の饗宴があったら、本当はものすごい額のご祝儀を出さないといけないのです。あれはまさにフイエスタ・パルテイクラールだったから。
 お兄さんのペドロがギターを持って来てくれたでしょう?
本当はあんな事は有り得ない。ああいう名のあるアーティストは、ちゃんとした取り決めがなかったら絶対に芸を披露しないのです。お食事の場にあんな、150万だか200万もする楽器をわざわざ持ってきてくれるというのは、それは特別な厚意だと言う事をみんなは知っておかないといけないのよ。私は悪いからいいと言ったのだけど、いや、あなたにはそうしたいから、と言ってくれたのです。この時の事はちゃんと話してあげないといけないから、つまりフラメンコの知識として、後日不定期便で詳しく書きます。
 一つ分かって欲しいのは、スペインに行ってこういう場に居合わせたりした時はタダ飲み、タダ食いをしてはいけないという事なの。外人だから、観光客だから、お豆。そういう考えではダメよ。みんなにおごらないといけない。少なくともほとんど強引に飲み物なんかを振舞わないといけない。
 これはいちいち割り勘で、芸にお金を出す習慣のない現代人の日本人には難しいかもしれないけど...。これについては又、不定期便でね。

●2001年05月02日(水)

【昔風のハレオ】


ついにうちの教材としてこのCDとビデオを指定しようと思っている。
これを知らないのならフラメンコなんか止めた方がいいからだ。
私も何度集中レッスンでこれをやろうとして挫折しているか知れない。
こういうパルマと呼吸は、日本でできる人はおそらく一人もいないと言っていいくらいに難しい。

スペインでも練習しないとおいそれとはできるようにならない。

昔、セビージャのビエナルで「日本人の日」というのを設けた事があって、これに日本から大勢出演した。ところがパルマがあんまり決まらないので高橋英子ですらげっそりしてしまったというイキサツがある。アコちゃん、出てくれないかなー、という電話をもらったけれど私は当時「エル・アレナル」のソリストで、自分の専属カンタオール、ギタリスト陣をしっかり持っていた。けれどもこの勿論、スペイン人のジプシーの当代随一の私のバックを引き連れて出演してはだめだと言われたのだ。
日本人のバックでないとダメ!と主催者が言った。とんでもないのだ。ナニ人だってかまわないけれど、自分のバックでなくて、共演した事も、実力もわからない人をいきなりお願いするなんていう乱暴はできない。いくら由緒ある、といううたい文句でも所詮、日本人の日、というのはつまりそういう名前の通りの事しか期待していない、というあからさまな主宰者の意図が見えてみんなで愕然としたのだ。
以来、私はこの種の出し物はテレビであれなんであれ、絶対に出演しない。

話しが横にそれてしまった。つまり、難しいパルマ。パルマは踊りより難しいのだ。でも、これができないという事は本当は踊りもできていない、という事なのだ。美しい衣装と押し出しでごまかせているだけ。だから、スペインに来たらいっぺんで恥をかいてしまう。ちょっと踊って、と言われ続けるから。

さて、ハレオというのは掛け声の他にちょっとした楽しい、短い歌とパルマの掛け合いの事も言うのだ。古くから沢山の種類がある。OFS社から、今度このCDとビデオが出る。これでばっちりどういう風にやるのかわかる。気合の入れ方も分かる。貴重な勉強になる。画期的な試みだ。歌詞カードも付けてくれると言っていた。やるしかないですね、こうまで揃うと。
歌、やるぞ、やるぞ、と言っていて少しも実現しない。来年の発表会では全員歌わせるのだ。やめるなら今のうちだ。(すぐに脅しつける。大丈夫よ、誰があなた一人でソロパートやれって言った?)
ちなみに次回集中レッスンから、ハレオ(歌とパルマ)コースを出すつもりだ。
うちの必修科目にする覚悟だ。
これなくしてフラメンコのどんなヌメロを踊れても、フラメンコに近づいた事にはならない。
まず、上級、超初級生は任意で取って欲しい。
様子見て、少しづつやりましょう?本物のちゃんとしたフラメンコ。

 ところで、体作り、フラメンコのためも兼ねた、20才からの、というか30才からの、というか、「うんと大人になつちゃって初めてのバレエ」クラスを土曜に開講したが、要望が高く、鷺沼で火曜日の夜8:00からも開講する。あと3人申し込んだら始めるとインストラクターからメールが来たので、一応お知らせしておく。体重移動がダメな人、回転が全然決まらないで困り果てている人は、いそがば回れで、このクラスでコツをつかんで欲しい。
 連休明けに事務局から全てのクラスの見直しと、新クラスの増設、秋葉原と鷺沼でのスタジオ貸出しの正式な発表がある。HP上でも来週までには発表になるので、この春からまた気持ちを引き締めて取り組んで下さい。CD発売、正式タイトルはまた、OFSに聞いてお知らせします。ではー。

●2001年05月01日(火)

【フエリア、やっぱり雨か....】


 昨日は31度をマークするくらいに明るい、きらきらの毎日なのだから、ここまで日付のずれたフエリアはついに雨にたたられない新記録を出すかと信じていたのに、初日の今日は突然午後から空がかき曇り、あららー、と思ううちに風が吹きすさび、なぁに?これぇ、ノアの箱舟のシーンみたい!と思うくらいに不吉な様相を呈して来たのだ。
さっきまですごくいいお天気だったのに......?
突然嵐のようになり、大粒の雨、雷、ひょうまで降ったというすさまじさ。

 お人形みたいにかわいく飾りたてていた下の娘をマントンでくるんで車に押し込め、避難しないといけなかったくらいだ。
あーらら....
 車で通りかかるバス停には、今年のデザインを粋に着こなした若い女の子達が総フラメンカになってフエリア会場行きのバスを待っていたが、突然の大雨を恨めしそうに振り仰いでいた。
今年の流行はタイトスカートにフリルがすそに少し。踊り用には辛いが、立っている分には女性美の極地のように美しい曲線が強調されるデザインだ。
あんまり美しいので舞台にもこのデザインが出て来ている。
振り付けを多少変えてでもこのデザインを取り入れたい傾向がある。でも、何も新しいわけではない。大昔のフラメンコ衣装はこんな風にタイトだったのだ。
この間のドランテとのコンサートでも、私はついにデザイナーの意見を入れてソレアのバタデコーラは身頃をタイトにしたくらいだ。

 生徒が踊るかもしれないグワヒーラスは、思い切ってタイトにデザインしたいと思っている。それにくちなしの花のようなフリルスカートをスリット付きでアクセントしたい。ぞくっと来る程粋なのだ。妖しく、色っぽく、魅力に溢れていますよ、それはね、ま、踊るまではね.....少なくとも。踊った途端に、ノアー、ノアの箱舟ー!と先生は叫ぶ運命や、如何に?

 だめ、今日は新しいCDの試聴で興奮してしまって疲れた。もうとても遅い。
この素晴らしいCDについてはまた、明日。

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