フラメンコ・オーレ フラメンコファンと練習生を一挙にスペインへ!
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2001年07月のセビリア発信・つれづれ草
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●2001年07月31日(火)

【専門家】


 今日はサハラ砂漠からの砂のまじった雨が降った。
 季節によってサハラからの風が吹くのだ。
するともう、駐車していた車の窓といい、ボンネットといい、砂まみれのみじめな有様になってしまう。街中の車が、だ。
ここが、スペインはアフリカだと言われる所以だ。

 日本から生徒が頻繁に来る。
誰も来ていない事の方が少ないくらいだ。
 昨日帰国した生徒とたまたま話しをしていたら、ご主人が半導体関係のエンジニアだと言うのだ。彼女が舞踊旅行をするのについて来ても仕方がない、という事で本当はスペインに魅力は感じていたのに来なかったというのだ。
君がレッスンしている間、一人でいても.....

「なんですって!?そんなぁ、私が世界一のガイドとしていくらでもお世話したのにぃ〜PC詳しい?私のマシーン整備してくれたりなんか、できちゃう?」
「それはもう!...連れてくれば良かったですねぇ!!!」

そうよ、そんな専門のご主人は連れて来なくっちゃだめよ。

 昨年は別の生徒がこういう専門のご主人をちゃあんと連れて来てくれたので、私のインターネットが立ち上がったのだ。そして天下晴れて、初めて自分のHPを画面で見た。 それまでは1度も見た事なしで、不定期便の原稿をフアックス送信していたのです。
 毎日夫婦二人でやって来て、彼女の個人レッスンの間中、ご主人には私のPCと取り組んで戴いていて、レッスンが終わると彼女はそのまま自習を続け、私はこのご主人から個人レッスン。
あれはなかなか興味深かったです。二人ともものすごく物を教えるのがうまくって、どんどんおだてる。すごいですね!理解早い!こんな人見た事ない!とか....またまたまたぁ!..ほとんど信じそうになるくらいに。

 子供の才能を開発するには、誉めてやる事が1番なのですってね。マイナス面をたしなめて啓発して行く方法より、はるかに効果的なのだそうです。
 そうだ、私ももっと生徒をほめちぎろうかしらん。
おお!素晴らしい!そんなブエルタ見た事ない!楕円形だ..
こ、個性的なブラソ!草月流みたい!
実直そうな表情!さすが日本人だ!さ、今度は気分を変えてもうちょっとスペインなんか、やってみましょうか?...なんてどうかな。
ぐんぐん伸びたりなんかするかなぁ、物は試しだし、次回...うーむ

●2001年07月28日(土)

【フラメンコ、スパニッシュ、クラシック・バレエ】


 前回スペインの鍛冶屋に特注して持ち帰ったバレエのバーは、好評だった。
 ロシアで修行したバレリーナが見て、ほれぼれと感心してくれたくらいだ。
やはりちゃんとした鉄を打って手作りした物はしっかりしていて素晴らしい。
鷺沼スタジオに配置した。
 これに気を良くして第2弾を作ってもらった。
 あんまり出来がいいので友達のバレリーナのエバまで一緒に注文したくらいだ。今日、出来あがって来て、おまけにエバが親切にも家まで持って来てくれた。この第2弾を鷺沼に又持って帰る。
 
 前述のロシアに留学して教師の過程を終了したバレリーナを九月からうちのアカデミーにお迎えする。新国立劇場の現役バレリーナでもある。

 始めてお会いした時からすっかり意気投合して、一緒に素晴らしいカリキュラムを打ち出して行きましょう!と熱っぽく語り合った。とても楽しみだ。
実力もさることながら、人柄も明るくて前向きで、喜んでお任せできる。
スパニッシュ・バレエと共にさらなるバリエーションと展開が大いに期待できそうだ。

 うちは勿論フラメンコの専門スクールだが、バレエも一流の講師陣を迎えて充実して行く事ができたらそれはとても嬉しい。

 フラメンコである程度の飢餓感がなくなって落ち着いてきたら、基礎としてやっていないバレエをやろうかな、という余裕ができる。その時にみんなにちゃんとした先生について習って欲しい。
バレエだって怪しげなところはいくらでもあるのだ。
自分のところに素晴らしい講師達がいてくれるに越した事はない。
 また、バレエを始めから習いたい人達にも、胸を張って勧められるすばらしいスクールでありたい。
いつの日かうちから世界に飛び立つバレリーナさえも出せると思うのはとても楽しい、励みになる。
ヨーロッパ諸国には私はバレエでも応援できると思うし、フラメンコでもコンテンポラリーでも、クラシックでも充実したアカデミーにする事は決して夢ではない。そんな風に国の垣根を取り外して、いくらでも応援できるというのは素晴らしい。

あと何年かのうちにいよいよアメリカに進出したいな、とも思っている。アメリカと日本とヨーロッパを押さえたら、舞踊の事は大分本格的なカバーができる。
 うんと初歩の時からなんでも聞いた事は正しい解答が得られるに越した事はないのだ。趣味の人も、ゆっくりの人も、階段を三段飛びで行く人も、きっと助けて行ける実力のあるアカデミーとなれるのは、この仕事に関わる者の幸せだと思うのだ。
 クラシコをプログラムに取り入れてみただけでも、自分は本当にやりたいのは、フラメンコでなくてこっちだったと言う人もあったし、フラメンコで今一つだったけれどこちらにより適性が見出せた人もあった。フラメンコではドクターストップがかかるくらいに実は骨格に問題があって失意のどん底だった人が、パリ―ジョを武器にしてならやって行けそうだと発見してくれたのも、教師として嬉しい限りだ。
 アプローチの道は一つではない。見つける手助けができるのはアカデミーの本懐というものだ。

●2001年07月26日(木)

【鳥のように、風のように....】


ゲストブックに心優しい読者から励ましの投稿をいただいた。
夏休みなので、子供が喜んで画面を覗き込んであまりの漢字のむずかしさに
降参して逃げ出した。

 毎朝、朝食のテーブルで日本大使館から送っていただいている日本の教科書をさらっている。最近は私も限界を目前にして焦り気味だ。

 もう10才、スペインの方の学校の勉強もきつくなってきているし、水泳でとても消耗しているのに朝からまず、国語をやってから学校に行けというのもとても過酷だ。
 朝出ると、夜の九時過ぎまで帰宅しないのだ。学校からそのまま水泳に回る。私が外国に出ている間もちゃんと日課はこなしているが、どうしたって日本語のプラクティスは両親と妹相手に限られていて、「推定」だの「確信」だのかなり堅い日本語の熟語を暗記したり、身近に感じて暮らすのは無理というものだ。家族の会話では日常的にこんな言葉は飛び出さない。

 スペイン語ではとても上手に色んなお話しを創作する。
 日本語となると文章力はガクンと落ちる。
いつの日か、もうやらない!と宣言してもおかしくない。
私はその日がスペインという国にどっと傾斜して運命を共にする最終段階なのだろうと「推定」している。
 かつては、結婚相手のためにどっとフラメンコに拍車がかかり、スペインに渡ってしまった。
 ここの文化と習慣は知らず知らずのうちに私の核に迫り、もう抜き難いものにまでなってしまっている。次ぎは私の最愛の対象のために、この国に最後の砦まで渡さざるを得ないのかもしれないと、じりじり後ずさりしている。
 この感じは、多くの日本に暮らす日本人には実感として共感していただけないかも知れない。いつでも好きな時に自由にこの国を見限る事ができる自由がなくなるのだ。
 そう、まさにこの人と結婚すべきか否かの決断に迫られた未婚の女性とよく心情は似ている。違いは、離婚の可能性が(明るい観測として)まだ残されているのと、その可能性さえ剥奪されるシリアスさ、というところだ。

 こんなにまともに家族を持って、こんなにフラメンコにどっと浸かっておきながら、まだ進退の「国際的」自由までも離したくないのだ。

●2001年07月25日(水)

【多分、ニーナ・シバネスカヤ】


昨日から、ニュースの終盤、スポーツになると子供がわあわあ騒ぐ。
今日は、私以外のみんなしてわあわあ言っているので、目をぱちくりしてしまった。
 テレビにぱちくり目を向けると、福岡が映っているのだ。
見てそれとわかる訳ではない。アナウンサーが「フクオカ」を何やら連発していたのだ。
 皆さん、ご覧になりましたか?
 なんていうのかしら?こういう大会は、日本語では。
スペイン語では、コンペティション・ムンディアル・デ・なんとか(聞き逃した、この部分)・ナタシォン...て言っていたみたいでしたけど、
世界水泳選手権か何かですか?
是非教えて。教えてくれないと、恨んで明日は何も書きませんよー。ホントですよー、訳語教えてください。明日、子供に教えてやらないといけないのだから。

 実はこの福岡大会に、私の長女がついこの間までお世話になっていた水泳合宿のコーチが出ていたのです。
だから、彼女が画面いっぱいになるときゃあきゃあうるさくって...。
コーチが日本に行ってくれて、なんか、子供心に嬉しいらしいし...。

名前がちょっとむずかしく、何度言われても私はこのコーチの名字が覚えられないのです。
 ニーナ・シバネスカヤっていう選手です。スバネスカヤかも知れない。スペイン国籍を取得してスペイン代表になっている、両親とも生粋のロシア人の選手です。(国籍と両親にすごいコダワリ方!)

 オリンピックでは女子で世界第三位に輝いた、ものすごく大きな選手です。
 うちの子供のコーチだったのですから、当然、この間の合宿の山盛りのスナップ写真に映っているんですけどね、すごい体格ですよね、水泳のオリンピック選手って。これですよ、このすごい肩幅、盛りあがる筋肉、飛び込んだ途端にプールの3分の1は行くんじゃないかと錯覚するような身長!
これに、なろうとしているのぉ?あなたがぁ.....?

 この間の合宿前の調査で、私の身長も記録されましたからね、あんまり見込みがないという判が押されるかも知れません。
 両親の体格も吟味するんですよ、果たして国の財力を傾けて立派なオリンピック選手になれるだろうか、背は伸びるだろうか、腕は長くなるだろうか、という事らしいです。投資の対象としての調査みたいなものです。

170センチは無理だと思うなァ...うちの娘はとてもそんなにはなれそうもない。行ってもやっと165止まりの気がするのだ。
...やれやれ、努力でなんとかなる事っていうのは逆に幸せですよね。
 体格、骨格、こういうものは努力して180センチの堂々たる身長を手に入れられるわけではない。

 そういう決定的な条件が必須のものを目指すのは、また、苦しいものがあります。どこかで挫折するとしても、それはまだ10代の盛りで訪れるのだから。

 ところで、ニーナはどんな成績をおさめたのですか?
いっつもニュースの肝心のところを聞き逃してしまうんです。誰か教えて。

●2001年07月23日(月)

【ダライ・ラマ】


 今回もホテルのプールでいつまでも泳いでいて成田には滑り込みだった。
 スペインまでの長旅を思うと朝一で泳いでおかないと、ガマンが続かないのだ。それでまた、空港の書店で10分の買いあさりを余儀なくされた。

 これが信じられないくらいにろくな本がなかった。まるで昨日で売り切れてしまったみたいに。秒針を見ながらの焦り様で、手当たり次第に抱え込んだ本は後で冷静になって見ると同じ書棚からかっさらって来たので、同傾向の本ばかり。今回は作者を出せー!的に下らない、1ページ読む毎にげんなりしてしまうミステリー数冊と、モンゴル、チベット関係の結構堅い本。
 暑気当たりでお病気の時には、あんまり嬉しくないご本ばかりだ。
パールハーバー関係も買ってきている。ルーズベルトは本当に知っていたか!とかいうやつ。

 本当はこう見えて真面目な性格だから(?)堅い本はちゃんとまともな日本語と文章で書かれていさえすれば好きなのだ。つまり学者特有の難解な日本語でなければ。または意訳のできないとんでもない翻訳者の介入さえなければ。

 子供の頃から詰め込まれて来た学習過程で、はっとする事柄、受験が終わったら落ち着いて読んでみよう、本を探してみよう、という事はいっぱいあった筈だ。私は今でもそういう遣り残しというか、必修科目をいっぱい抱えている。なんとかしなくちゃ、といつも思い暮らしている。時々ちっともはかどらない事にいらいらしてしまう。けれども、近代史は夜のお休み前に読むにはとても毒だし、眠れなくなるばかりか憂鬱が何日も続いてしまう。日本の近代史は胸は塞がり、涙にくれてしまう事ばかりで私には荷が重い。だから未だに無知のままだ。
 隣人のアジア諸国についてはもっとひどい。何も知らない。
外国と言う時にその対象は常に西洋ではないだろうか。私達日本人はこの言葉でアジアを思い浮かべない。驚くばかりの冷淡さだ。

 モンゴルとチベットは地の果てのような遠い意識のかなたにずっとあった。そろそろ掘り起こさないと、と思っていて、ダライ・ラマ自伝を買って来た。
手始めに...。いつか行ってみたいな、なんて悠長な事を考えて..。

 はじめの何ページかはちょっと骨が折れた。でもだんだんと大変だ、と思い出した。賢い皆さんはとっくに知っていて、私だけが何んにも知らないのかも知れないけれど、あの、素晴らしい夢のように美しい自然の国が、突然中国の侵略を受けて惨殺の限りを尽くされていたって知ってました?

2001年3月の時点でも、ついにこの国はチベット人に返されていないのです。著者のダライ・ラマは、チベットの指導者で、10代で重包囲の敵陣をインドに落ち延びて、現在もここから祖国の援助に奔走している、とあるのです。
 国連が介入しても、あらゆる世界の支援団体が介入しても、中国のチベット人の殺戮、大虐殺、陵辱を止められなかったというのは、悲しい事実だ。だって遠い昔の事ではないのだ。私達が平和に暮らしているその隣で同時進行で起こっていたのだから。つまり私が中野公会堂で初めてのフラメンコ衣装にわくわくして舞台に立って喜んでいる時なんかに何百万人も殺されていたという訳だ。ナチスドイツの昔ではないのだ。近代世界の、ほんのちょっと前にこんな事って...。勿論、戦争と侵略は常にどこかの国のあきれる平和と飽食と同時に起きているのだけど。

 この本ではとてもとても悲惨な事実は、淡々としか語られていない。うっかり素通りしてしまうくらいのさり気なさでしか書いてないのだ。とても抑制がきいている。筆者は、中国の残虐がとても本当の事だとは何年も信じられなかったと言っている。毛沢東や周恩来という人々と会見して、その人柄が素晴らしく見えたりするのだ。彼等がどんな風だったのか、この本からかなり真実に迫ってよく分かる。あの、中国という得体の知れない国に漠然と抱いていた私の不安はなんだかこの本によって初めて根拠を得た気がする。
 チベットを守るという口実で軍隊を送り、「え?誰から?」と驚いているすきにどんどん入って来てどんどん街を作り、入植してその圧倒的な人口でチベット人を上回って国を乗っ取ってしまったのだ。それもチベット人を強制労働に使って。

チベット全土にあった6000余りの仏教寺院は、もう7〜8しか残っていない。全部破壊され、宝仏は中国本土に持ち去って「溶解」したですって!

尼僧、高僧の拷問死は11万人、陵辱は数知れず、市民に至っては、今から50年近く前でも150万人の虐殺という。
 21世紀ですよ、まだ終わらないなんて、そして今となってはチベット人よりはるかに上回る中国人にこの国は占領されてしまっているって、言語を絶します。人口によって一国の文化と民族を根絶しようという訳です。

 私は二日に一度はいつも後ろめたさに、こんな事していていいのだろうか、て思います。そろそろうちのアカデミーからささやかながら支援の献金をしたいと考えているところです。孤児やこうした人達のために。手始めに。

大丈夫よ、みんなに負担はかけないから。でも、もし、わずかでも献金のボランティアが居たら名乗り出てね。来月から始めます。本当はお金だけというのはとても心苦しい。いつでもどこを向いても心苦しい事ばかりで...。最近は特に耐え難いくらいに苦痛になる。子供が大きくなったら早く何かしなくちゃという気持ちが益々強くなってくるのだ。何か....役に立ちたい。

 うちの楽しいつれづれに、こういう重いテーマはかなわないな、と思う人もいっぱいいるかもしれないけれど、どうかこれを機会に、この文庫を手に取ってみて欲しいな。

ダライ・ラマ伝 文春文庫 ¥552 です。

●2001年07月22日(日)

【調子悪くて、アップは上々】


ひさびさのスペイン語アップ。
なんと一週間もサボってしまってました。
これがまとめてアップするわけに行かない、というところがミソなのです。
毎日小出しにするのができない。

誰かにまとめて渡しておいて毎日出してもらうしかないかも知れません。
書くのはなんでもないのですが、インターネットにつないだり待ったりするのがダメなのです。回線がものすごく悪いみたい、スペインて。自分のHPしか見ないくらい。検索も何もしない。PCはただのタイプライターです。
つれづれも出すのが面倒で(回線のせいで)、ゲストブックが急いでいる時は1番早い。それで自ら年中あそこに登場してしまう。

昨日は具合が悪くて一日寝ていたので(すごく気候のいいところから突然セビージャの猛暑に戻ってへろへろになってしまったのです)急ぐ事もなかったし、よその掲示板にNAVEGARしてきました。
また何か困っている人がいたのでちょっと書き込みもしてきました。芸名で出すのがこの世界の決まりみたいなので、芸名をしばし考えてみたのですが、「スペインでは」式の発言をしておいて芸名もないですよね?誰だか一目瞭然だ。本名で出すとついでにお前はけしからん、みたいなとばっちりが来るのだけど、ま、いいか...と。

 靴がどんなに誂えてもまともなのが出来て来ないんですって。みんなもそう?靴の調整器をアカデミーで一つ買っておいたらいいと思うの。
本当はスペイン製の靴を大量に年に2回くらい発注してあげてもいいのだけど、合うだの合わないだの、面倒な事を言われても大変だから踏み切れずにいます。
スペインで地元で発注してさえ、頼んだのと全く違うトーンの色に染めあがって来たり、同じサイズでも大き過ぎたり、小さかったりというのは毎度なのです。私でさえ、履かないでお蔵入りになっているのがいくつもある。
こんなだからせっかく厚意で発注してあげても、生徒から返品なんかされても困ってしまう。
みんなが何かすごく困っていたら何か考えてあげてもいいので、言ってみて。
でも靴が1番面倒よ。サイズを直せないから。つぶしがきかない。それに送るのにもかさばるし。お互い同士で融通して回す気持ちなら、できなくもない。

衣装にしても、髪飾り、小物に至るまで、うちでは全てスペイン製をみんなに都合してあげているけれど、こんなに過保護にするとちっとも有り難味がわからない人が出てきてしまうの。
 よそから移って来た人は感激してくれるのだけど、ボーッとした入門生の時からずっとうちにいる子は、これが当たり前になってしまっているのでね。

 別に感謝してくれという次元の事を言っているのではないのだけど、衣装でもマントンでもぐずぐずする人がいたりすると、間でお金や引渡しをするための人がとても煩雑な思いをするわけです。

主に担当のインストラクターか、マネージャーが大変になる。
私としては彼女達に面倒はかけたくないので、生徒に何かしてあげたくてもちょっと躊躇してしまいます。どんなにハリガミしても、口頭で伝えても、必ず何人かはぼさっとしている人が居て、徹底しないのだもの。

こういう小物、スペイン製の品々の係りを生徒から選出して、この人にちょっとみんなで頭割りでアルバイト代とかお礼をして管理してもらったらどうかな、と考えています。
 踊りを続けて行く上で、だんだんとお金はかかってくるし、自分はそのうち大変になるな、と思うような人で、性格がきちんとしていて
この程度の事なら自分はできると思う人があれば、立候補して自分への奨学金にしてはどう?大して面倒ではないと思うけど。一端、事務的な規範を作ってしまえば。
 それから、ちょっと洋裁の心得のある人は、みんなの衣装の小さい直しくらいで、発表会シーズンには自分の経費が全部まかなえてしまうくらいのアルバイトにはなると思います。入ったばかりの入門生でも誰でもいいので、これも立候補して名乗りをあげてみてはどうかしら?すそ上げ、ウエストの出し入れ、その程度の事なので、大した仕事ではありません。
いつでもフィットのマチバリは私が全員に打って行くのだから。(これもすごいですよね?主宰の先生自ら生徒のフイットに付き合うというの、聞いた事ある?うちって村落共同体みたいよね)
 とらかく、お金のきつい子はうちでは必ず何かしらで援助してあげるので、私に合ったら相談してください。ただし、性格が真面目で、人に親切な子にしか目をかけません。自分で、私は真面目で性格いいです!ていうのはなかなか言えないものだけど、こっそり自認くらいはしているものよね?
 そのうち自分は続かなくなりそう、という人はうんとレッスンして早く上手になればアシスタントという役回りもあるし、諦める前に相談はするものよ。
では、素晴らしいアカデミーを目指して!!!

●2001年07月19日(木)

【一石二鳥のフラメンコ修行】


 みんなフラメンコが大変だ、なかなか上達しない、と焦ったり、
悩んだりするみたいだけれど、趣味なのだからもっと気楽に楽しんでやらないといけない。
つまり少しづつ上達して行く事を楽しく受け止めることだ。
色々なエクササイズがあって大変だけれど、健康のために絶対になんらかの形で
運動はしなくてはいけないのだし、どうせならただ走るよりは音楽が伴う種類のものの方がより楽しい。
がむしゃらに野菜を食べるよりは、ちょっと気の利いたハムとかツナなど入ったサラダの方が手が伸びやすいのと同じだ。

 私が生徒によく言う事に、体を少しでも柔軟に保つようにしておかないと
どの道先に行ってこちこちの体では、人生、無事に済まないということだ。
まだ若いと自覚できているからいいようなものの、年を取ると体だってきっと色々な故障が出てくると思う。
年齢に関係なく、日常の小さなアクシデントで色々なところを傷めたりするものだ。
 踊りに通じていると、ほとんどのところは自分で治せるのだ。
投薬と医者にかからずに。
それは自分の体の筋とか筋肉に精通しているからなのだ。
どういう痛みが正常でどういう痛みが危険信号かよく分かっている。
よって筋をどんな風にして正常に戻すかも分かるのだ。
 健康のために歩きましょう、が多分運動の第一歩かも知れない。
その先を行って足、腰、上体を鍛えておくとかなりの事が防げる。
パリージョの上達を願ってばりばりやっていると、あれは脳を刺激するばかりか鍛えてくれるのだ。
 みんな美容にはとても気配りするけれど、美しい手入れの行き届いた顔に
かなりよろよろの体、という残念例は沢山見かける。
人の印象というのはむしろ全身なのだから、こちらを怠っては顔だけで勝負は厳しい。
顔がどんなにダメになっても体がしゃんとしていたらいいな、と思うのは私が踊り手だからだろうか。
普通の女性の発想とはもしかして違うかしらん...。

ま、とにかくですね、私が踊り手としての幸運にあきれるような、
感慨を持ったのはちょっと前に突然の集中豪雨でワイパーも役に立たないものすごさの中、
坂道のカーブで減速した途端、スリップして立体交差の道路をですね、
映画みたいに空中に飛び出し、坂を転がり、1回転して木にぶつかって止まった時です。
買ったばかりの新車のボンネットはめっちゃくちゃにつぶれて、
フロントガラスは木っ端微塵に砕け散った事故でしたが、
シートベルトで首から胸にアザができたけれど、
このすさまじい事故の最中に体がぐんにゃりと柔軟に曲がって守りに入ったのを感じたのです。
やあ、すごい!こんなとこでこの体が物を言うなんてね!
え?事故の方がショックで関心できないって?

ハハハ...車は全然直せず、買って半年でスクラップ。

●2001年07月17日(火)

【遅過ぎた招待状】


 貯まった郵便を整理していたら、セビージャに名の通ったエージェントから招待状が届いていた。
開けて見てびっくりだ。小松原庸子さんのセビージャ公演への招待だったのだから。
7/4の招待を13日にもらってどうする?

 それは郵便を見なかった罪は私にあるが、それにしても二日くらいしかサボタージュしていない。
いつ投函されたのかと封筒に目を凝らせば、6/30になっている。
市内は配達に時間がかかるのでもっとうんと前に投函しないとダメなのだ。
航空書簡なみに時間がかかる。
せっかくの招待が残念だったな、と思う。
確か昔ゴヤの公演も自分の舞台が重なっていて見られなかったのだ。

 それにしても、実に意欲的な事だと私は感嘆する。
日本からわざわざ大変なのにこういう公演を何回も企画する情熱と意欲は素晴らしい。
あの方はプロデュースにかけてはいつも精力的だ。
自分の身に引き比べて見て、とても10年、20年先にそういう気持ちを持ち続けられるかと、疑問に思う。
私は自主公演というものが苦手だ。自主公演とは、すなわちリサイタルだ。
自分で企画して運営し、実現させる舞台の事だ。
これは長い芸能生活の中で2回しかやっていない。
父の13回忌に、初めての帰国公演として日本で踊ったのが第1回。
それから次ぎが出てくるまでに何年もかかっている。

 アーティストとして契約される方が得意だ。
プロデューサーがいて、スポンサーがいて、舞台の信頼できるスタッフがいて、
そうして自分は自分の芸だけに責任を持って臨む種類の仕事だ。
踊りの事だけに専念できるのでないととても負担だ。

 切符の売れ行きからアーティストの宿泊、全ての手配に干与するとボロボロになってしまう。
4月のドランテとの共演はリサイタルではないので、プロデューサーがいて
私は舞台意外の事には関係していないのに、どっと疲れてしまった。
たったの、あのグループと同じ飛行機でやって来るだけでも命がちぢむくらい。
飛行機の中でスチュワーデスに注意されたのだって片手で足りないくらい。
やんちゃでやんちゃでとんでもない男達なのだ。
ああいう音楽を演奏する人達ってそういうものなのだ。
普段はおりこう坊やで、舞台に立つと突然すごいパワーの...とはならない。
普段も舞台と「同じ人であり続け」なのだ。
へえー?どんなだったかって?まだ不定期便で書く気も起こりませんよね。
まだなの。もっとほとぼりが冷めないと書けない。客観的になれるまで待って。

●2001年07月16日(月)

【やれやれ、集中スケジュール発表】


集中レッスン・スケジュールがたった今、決定した。
2回も清書したのに結局ごたごたに汚くなってしまった。このフアックスから
HPにアップするための作業は、さぞ大変だろうと同情してしまう。
 でも、何度書き直ししても同じようにゴタゴタになるのだ。書いているうちに気が変わって違うクラスにしたりするからなのだ。ハハハ...

 今回人気のパルマとハレオを又やれと言うが、毎度同じでは飽きてしまうので、土日はパルマ・ハレオに加えてルンバとタンゴを歌って踊るのをやってみたい。
みんながよく憧れるヤツだ。
意外と内気な人ばかり参加するので本当にやれるかなー、と興味深い。あんまりダメそうならメンバー見てから、タンゴを歌うのだけお勉強という手もある。みんなが羞恥心を克服できそうならパーッと派手に歌って踊るナンバーの初登場とあいなる。
 さあて、参加者次第だからどうなるか楽しみです。私はいつもこの手のクラスでは、民俗学のお勉強をさせていただく結果になる。非常に意義ある試みにはからずもなるのだ。やれ、不思議!東洋の神秘。
 歌詞はまた、来週末あたりにスペイン語で出します。そうだ!ガルシア・ロルカなんかやっちゃおうかしらん!おお、最近のうちのバラエティさと言ったら暑さも吹っ飛ぶ熱血、頑張り、目を見張るものがありますよね。(すごい手前味噌)
そのうちソレアレスのリズムで詩の朗読クラスなんかやろうかな。これはあの偉大なるローラ・フローレスが得意としたナンバーだ。

 土日とは別に火曜日と金曜日の夜に全3回にわたってカンテ・ホンド入門クラスを初登場させる。ソレアを予定しているが、ソレアデアルカラ、ソレアデトリアーナなどの違い、踊りの対処などにも触れたい。もしもみんなが歌えそうならメジーソのマラゲーニャなんかトライしてみたい。これらの歌の背景、偉大なるカンタオール達にも触れられたらいいな、と思っている。万が一全滅のときのために「すべり止め絶対大丈夫カンテ」も念のために用意しようかな、と心配している。来年スペイン人を連れて来るので、こういうカンテシリーズは一年間勉強した成果を彼等と共に試して完成できたらいいな、と計画している。わくわく!筋が通っているでしょう?今回の九月の連休でスペイン研修旅行に行く生徒達は一足先に現地でお試しコースが待っています。うー、恐ろしい!

8/20にはメイクとヘア講習会を行う。一般外部生もどうぞ。日本ではモーニョの結い方が結構ひどい。花やクシのつけ方にも決まりがちゃんとあるのだ。メイクはシャドーの決め方が習得できていない人がとても多い。白粉、ドーラン的なメイクばかりが主流みたいだけれど、これはフラメンコにはダメだ。

土日に全レベルのベルディアレスの振り付けと歌をやります。この踊りと歌はよそでは絶対に習えないので、もしも二つ目のコースをどれにしようかと迷っている人はきっとこれを取ってください。歌って踊ります。カスタネットはセビジャーナスより簡単な程度ですが、不思議な奏法があります。アカデミー生は必修科目として指定します。入門レベルアップぐらいから上級生まで。絶対に嫌だ、全然興味ない、という人だけどうぞご勝手に。必修として勧めますが、まさか強制とは言いません。簡単なブレリアの振りとしても応用が利きます。とても楽しい華やかなヌメロなので大きい舞台で映えるので来年は舞台にかけたいと思っているので、一応考慮しておいてね。

カルメンはやってみたら意外とみんなに人気だったし、結構よく奮闘しているので私も楽しかった初登場コースでした。今回で仕上げたい。上体テクニカとして、こういうものはとても優れているので、今回はダンサデフエゴ=恋は魔術師から「火祭りの踊り」を登場させます。これは回転テクニカとして活用してください。カルメン、ダンサ、先のドランテを持っていたらもう、一人で何を練習していいかわからない、という人がいなくなりますね。踊りの全部の基礎が入っているのでビタミンジュースのように効果があります。バレエなどの基本がなくてブルーだった人もこれでかなり上手になれる。私も楽しみ。曲を聴きながらやるものは耳の訓練になるし、集中力が高まり、そして何故か入門生でも頑張れるみたいね。雨、風、雪の日でも楽しくレッスンできるので、フラメンコで行き詰まったらこっちにしばらく逃げて、逃げながら上達できるのよ。頭良く工夫しないとね。人生は短い。落ち込んでいる暇はない、です。
長くなってしまったけど、以上かいつまんでとりあえず説明しておきます。
もうすぐ表がアップになりますが、大分遅れてしまって地方の人などに迷惑かけてはかわいそうなので、以下に土日のスケジュールと個人がまとまっている日だけ、とり急ぎ書き出します。
............
集中レッスン8/17〜9/1

8/17=個人レッスンワク 2〜9:00秋葉原スタジオ
8/30=個人レッスンワク 4〜8:00秋葉原スタジオ
その他の個人は鷺沼で1〜2時間づつあります。後日表を参照。

8/18,19,26の土日=12−1初級テクニカ・超基本
              1−2初級/タンゴデマラガ
              2−3全レベル/カルメン・上体テク
              3−4全レベル/ベルディアレス(ブレリア)
                           &歌
              5−6全レベル/パルマ・ハレオ・カンテ入門
                   (ルンバ・タンゴ)
              6−7全レベル振付/火祭りの踊り・回転テク
              7−8中上級テク/コントラ・足・コンパス
              8−9中上級振付カラコレス(バタデコーラ
                 テクで参加しても可)コーラなくても可
                 
9/1 最終日はカルメンとカラコレスがなく、この分時間がそっくり繰りあがり、終了が7時になります。

●2001年07月14日(土)

【弁慶の泣き所】


このところ連日、長女がスポーツ新聞に登場する。
先頃のセビージャ県大会で450人の選手と戦って金メダル1個、銀メダル2個を獲得して今シーズンの成績では10−11才の最高記録を破ったと新聞が言う。え!?そうなの?と家族にあらためて聞く始末。

今、マラガの合宿に行っている事までニュースで扱われるという驚くべき事態だ。...ついていけないでいるのは母親の私だけだ。
水泳のただの合宿なのかと軽く考えていたら、スポーツ紙には「スペイン政府の英才発掘の合宿」だと書いてあるのだ。
びっくりしてしまった。
スペイン全土から選び抜かれたメダリストのみわずかに45人だけが招聘されての特訓なのだそうだ。

合宿前に本人はもとより、両親の身長と体重の記録を提出しなくてはならなかったのだ。
遺伝的な体格審査もあるためという。
深い事情を知らなかった私は、大袈裟なことだな、とあきれた。
私なんかの体重と身長が考慮に入るくらいだから本人のサイズはものすごい厳格さだ。両腕と手の長さ、身長は言うに及ばず、足の長さ、全て表にされるらしい。おそらくうちの娘はどれもどれもスペイン一短いのだ。

スペインの10才の選手達はみんなゴリラの親戚のように大きくてがっしりしている。私が隣に並んでおそらく負けるくらいにすごい身長と体格なのだ。
うちの娘は、こういうモサの中でとびきりの小柄。ただの子供体格で、学校では1番前の席なのだ。体格では完全に落とされるところを唯一、記録だけで食い込んでいるらしい。
泣けてくるような辛さだ。

 今夜はスポーツ新聞を前にして子供の父親が、いよいよ国籍の問題は来年には迫ってくると又、落ち込む話題を落としてくれるのだ。
娘の名前の載った名簿には、もろオリンピック予備軍の、英才の印がつけられていると言うのだ。
誇らしいと思って全面的に肯定しているのは元水泳部員の父親であって、私は誇らしく思う前にどうしても気持ちが沈んでしまう。

この子にしても下の子にしてもとても運動神経がいいのは、なんていうかほっとするというか、自分の分身として頑張ってくれるんだな、と嬉しい気持ちがするのだけれど、ものすごい体格の大人のような選手達にはさまれて、いたいけな「もろ子供」の長女が飛び込み台に上がると、私は胃がねじれそうになるのだ。

ただの運動上手、もしくはお転婆、スポーツ万能くらいでお茶をにごしたかった。オリンピックだなんてとんでもないのだ。ロシア、カナダ、北米あたりのすごい肩幅の男女みたいなのと並んだら、あまりの事に卒倒してしまいそうだ。
今回の合宿に出かける朝、「もしかしてオリンピックに出るつもりでいるの?」と聞いたら「もちろん!!」という答えがすきっと返って来た。来年は今の名門進学校を辞めさせて、村の公立学校に転校させ、水泳に専念する事に話しは決まっている。こっちの胸もキリキリとしめあげられて行く。
こんな時、他の母親だったらどんな感想を持つのだろうか。
私はなんだかとても苦しいのだ。目の奥に熱いかたまりがいつも湧いてきてしまうのだ。

●2001年07月13日(金)

【スペイン的ストレス】

 昨日はついにレンタカーを手配しなくてはならなくなった。
修理工場の手落ちだけれど、文句を言っても代車が出てくるわけでもないし、ラチが明かない。「責任者を呼べ」と言えば「おお、わかった今は留守だからあとで電話するように言っとく」としゃあしゃあとウソをつくのだ。
このパターンはどのような相手になっても同じだ。
全てこれで、ここの社会は出来あがっている。

 朝の8時にレンタカーの会社に辿りつくと、私の名前を聞くなりそんな予約は入っていないと、にべもない。まるで、このセリフを言おうと一時間前から練習していたように、間髪入れずに答えるのだ。
 予約した時からこういう場面をイメージして恐怖におののいていた私は、予約確認した会社に電話して再確認して欲しいと哀願。
受付嬢は、「私はどこにも電話する義務がない。誰か電話しなくてはならない人間がいるならそれはあなただ」と言うのだ。
つまりどこかの公衆電話から勝手にしやがれ、という意味だ。
 電話番号は、料金がこちらにかからない種類のものだし、彼女は手元に電話を控えているのだ。朝の駅には私の後ろに人が一人も待っているわけでなく、この会社にはアテンドの係りがあと4人も居た。
...実に根性が要る。ここで怒っても何も進展はないのだ。
この、KGB出身の驚くべき若い女性が、唯一のコンモンセンス的情けを1ミリ出して「ここに本日の顧客リストがあるので自分の名前を探して見て下さい」と言ったので、一挙に解決した。勿論載っていたのだ。私の名前。
「このリストを当たるのは私の仕事ではない。もしも、それをする人間がいるとしたら...」が適用できたが、やらない。
 どこに行ってもお客様は社員にコケにされ、蹴りを入れられ、踏みつけにされる。それでも笑顔を見せて「ありがとう」と言わないと生きていけない。
その上、社員の生活のための利益込みの料金を惜しげもなく、払う。

 こんなのは序の口で、このような現象を一日に何本も抱えながら仕事をしている訳だ。一日に何本も、週に何本も、月単位のものも重複して。いつも。
だからこの国はこんなに頻繁に連休とバケーションが必要なのかも知れない。
 
 今朝はバレリーナのエバと打ち合わせがあったので、私はこの社会現象のために、この国ではもうビジネスの矢面に立つのは嫌だ、とゴネた。
あなたが立つなら協力してもいい、と。
腐ってもスペイン人だ、慣れているじゃない、とコルドバ人に言う。

 政府や役所やその他との折衝から絶対に外してくれ、と。もう、やりたくない。芸術分野だけに身を潜ませて欲しい。
エバは爆笑して、ホント、しょうもないものね、ここは!と半ば承知した。
来年に向けて野心と意欲のあるエバは、大きな夢の実現に私を引き込もうとしているのだ。芸術分野だけよ、芸術分野だけ!
おお、忙しい...今日もレンタカー転がして芸術分野だけで活躍する私なのだ。

●2001年07月11日(水)

【足止めの間に間に....】


 昨日からレッスン開始の予定が、車がなくて動きが取れずにいる。
6/25に修理に出して、私が日本にいる間にとっくに出来あがっていなくてはいけない筈だったのに、ずうーーーっと手付かずのまま。
これ、なんだ?という存在で工場の片隅で待機していたらしい。

何度も電話で確認して担当者にしつこく言い置いて、この始末だ。
昨日は、何とかして欲しい!だけで午前中がつぶれた。
ご心配なく!きっと午前中にお電話でお返事しますよ!!
そしてついに電話は鳴らない。
今朝はまた、同じ苦情で一日の幕開けだ。
この国に暮らすストレスは、ここに凝縮している。
まじめな事が出来にくい国。合理的に物事が運ばない国。
遊ぶ事だけは、誰にも負けずに一番乗りの国。

 昔、セビージャ大学に入学し直して博士号まで取ってやろうと思った事があった。国立大学の入学はカンタンなのだ。問題は卒業だけ。
ずっと住み暮らすつもりだったし、急がないからゆっくりやれるし、
踊りの片手間にやれて、いい気分転換になるし、違う人種と友好も広げられるし、楽しいかな、と思ったのだ。
 日本でやった分の単位を差し引いてもらって、始める。
この書類そろえだけで1年かかってしまった。
日本側のせいではない。スペインの大学事務局がとろくてだ。
挙句に、単位の差し引きは認められない、という返事が来た。
私の母校の学長が驚きを表明した。
ハーバードだってオックスフォードにだって、世界中に通っているというのに、何事だ!
本当よ!何よ、てなもんだ。
大学内部に知り合いが居たので調査してもらったら、私の資料は教授会にすらかからなかったという事が判明した。
更に、どうもただの秘書が勝手に拒否手紙をタイプして、面倒なので非許可扱いにしたらしいとわかったのだ。
 単位は、私の個人的に知っている教授の受持ち科目だけ、たったのニ科目だけなしにしてあげるよ、で、あとは全部始めから取りなおししないといけなくなった。不満だったら更に申請書を出さないといけなくなったので、げっそりしてしまった。
ここまでで2年たってしまい、私は妊娠してしまったのだ。

 私はラチがあかないので、もう授業には出ていたのだ。
大勢の生徒がひしめく大教室で、せっせとノートなんか取っていた。
主任教授は英国人で、1度だけ、「君は誰だね?」と質問されたが、事情を話すと同情してくれていくらでも出ていいと言ってくれたのだ。
けれども、妊娠初期のつわりで気分が悪くなると、回りの女の子が心配するし、妊娠しているの、と言うとみんな仰天してしまう。(つまり私はみんなと同じ独身の修学年齢の女の子だとみんなが信じていたので、ぎょっとしてしまうのよ、ハハハ、人騒がせ!)結婚してる!してるってば!

 なんとか頑張ったが、もうおなかがぱんぱんに大きくなる頃についに断念してしまった。ま、いいや、年とってからまた、やろう!
いつでもなんでも、やる機会というのはあるものだし....大学って結構退屈だから年寄り向きかも...などという結論に達した。仕方なく...
このバージョンから得た物も少なくはなかった。
学びの最高学府ですらこんななので、この国で真面目で、芸能ではない方面に才能を持って生まれついたら、さぞ苦労が絶えないだろうという事がよくわかった。
...さてと、8:30まであと15分。また昨日と同じやり取りの始まりだ。交換が出て、担当者の名前を言うと、つなぐと言ってから三人くらい別人が出て、同じ話しを始めから繰り返して、最後は電話は置き去りにされて、永遠のような時間でそのまま放置されるのだ。
ロシアという国もこんな感じかしらん....何しろ、忍耐強くなりますよね。そして人に親切で同情心溢れる、優しい人間に啓発されるかも。

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