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2002年02月のセビリア発信・つれづれ草
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●2002年02月28日(木)

クルシージョ、クルソ、集中レッスン


 
 私はクルシージョというスペイン語が好きではない。
クルソより簡易なもの、というデイミニティーボであるから。その意味するところの「小さい集中講座」ではないから、クルソという、もともとの語源、名前ならまだいい。でもどうせならきりっと日本語で集中レッスン(どこが?レッスンは?)と言いたいのでこれで通している。

 さて、今回最初にちょっと申し込みでゴタつきましたが、日々みなさんの意気込みが感じられるような勢いで参加者があります。
 そこで、ちょっとお願いがあるのですが、HPの申し込みの説明その他をざっと読んで見てもそのあまりの詳細さに驚きませんか?
私でさえ、微に入り、細に入り、と毎回驚くくらいなので長い文章を見てあらら、と思う方は多いと思います。

なぜか?

問い合わせがすごいからです。始めにみんな答えておこう、という意図です。

それでも半分くらいしか効果がない。やっぱり毎日のように質問する人がある。だからこの煩雑さを見兼ねて、BBSで質問して欲しいという行も加えた。けれども、あそこに出て何か聞くのは気兼ねらしくて、やっぱり事務局にメールが行ってしまいます。一人4回は行くらしいです。
本当に大丈夫でしょうか、
大丈夫ですよ、から始まってやり取りが続きます。

 集中事務局は善意のかたまりみたいな人達がやっているので、大変だからもっと事務的でいい、といくら私が言っても
かつての自分がダブルイメージになって、どうしても親切にしてあげたい、という答えが返って来てしまいます。

親切過ぎる方が悪いのだけど、そして帰国したら絶対に会議開かないと、と思っている私ですが、一つだけお願いです。クラスの質問はBBSでして下さい。あの事務局よりは私の方がまだ暇なの!

私がBBSで即答しないとまた、メールが行ってしまうのでしょうが、
「こんな私でも」平気でしょうか、式の質問には考えてしまうのでつい、お返事が遅くなってしまうのです。
どのコースがいいでしょうか、というのも私は考えてしまうわけです。

一番新米練習生のクラスは基本テクニカか、ブレリア、日曜の全レベルなので、これより初歩のクラスはないのです。

この辺で判断してくれないと「こんなあなた」がどんなあなたか、誰にもわからない。いざクラスに出て来て、あなた!ここに何しに来たの!なんて、まさか叱責された人は一人もいないです。
私はとっても親切という世間の評判があるので、本人は評判の通りにしようと思っているし。

 判断の材料としてコースの説明も克明にしているし、不定期便に集中についての記事も幾つも書いてあります。

それでも不安だったら、お願いなのでBBSで芸名でもハンドル名でもなんでもいいのであなたが恥ずかしくないだけの武装をして、私に聞いてください。
それでもまだ足りなかったら仕方がないので、

bailaria1@yahoo.co.jp

にてご相談下さい。
今の調子でメールのやり取りをしていると事務局も、睡眠不足で病気になってしまう。そう言って昨日電話で叱ったところです。帰ったらもっと叱ってやるので、この、私の言う事を絶対に聞かない頑固者の事務局には最低限度の事だけにしてくれませんか?手に負えないのですよ。言う事きかなくて!嫁の貰い手がないぞ、とまで脅迫しているのですが。

バタデコーラの貸し出し希望はとても多く、今の時点までで〆切ります。
次回はもっとお貸しできるように努力しますね。お許しを。

 アカデミー生は申し込みがいつも最後になって、そして泣きべそで何とかしてください〜〜〜ですが、〆切りは全国共通で一切ズルはなしです。コースの質問は担当のインストラクターか、私にBBSで。

 一つだけお詫びしなくてはいけないのは、ここのところの一連のメール転送不備で個人レッスンの時間調整に万一にも間違いがあるといけないので、
最初から申し込んだ方も、アカデミー生、アカデミーインストラクターに至るまで、もう一度希望の時間帯と日程を第三希望まで書いて

bailaria1@yahoo.co.jpにいただけませんか?

他のコース、他の話題はなしにして、個人レッスンの希望だけ、簡潔に書いて
お名前とメールアドレスの確認だけで、お願いします。

それでは、ウオーミングアップしっかりね。
また逐次、こちらで色々補って行きますから風邪などひかないように
お元気でね。

●2002年02月27日(水)

 春だ!上手になるための性格改革



 おお、春だというのに堅苦しい題だ。
 日本ももう春のきざしが見えて来ましたか?

こちらは、寒暖の差が激しいけれど日中に24度なんていう日もある。

 待ちきれない人達が黄緑や、単純に明るいパステルに身を包んで、というよりおへそを出したりして歩き回っている。その傍らにはまだ半信半疑の人達がコートを手放さずに行き来している。

 私は軽装になって良い日にコート、コートが要る日にノースリーブという、相変わらずの間違いばかりおかしている。

 週末は仕事でイタリアに行っていた。
仕事だから何にも見てないし、何故か本格ドイツ料理店に連れて行かれてもう、その後は胸焼けで何も土地の珍味なんか味わえなかった。

留守中に希望でもなんでも書いておくようにね、と言い残して行ったのに大して意見がない。

 それでいて展示会がないと絶対にがっかりしてしまうとかなりの人がつぶやいているんだそうだ。
じゃ、そう書いて!
いつもみんなしてごにょごにょその辺で言っているだけでちっとも書いてくれない。言わなくても分って欲しいと期待するのはやめて欲しいな。
言わなきゃ分らないです。
恋人じゃないんだから、ん、もう!

 クラスでも、こうする?ああする?どうする?と聞いても滅多に発言しない。だめよー、それでは。

ちゃんと自分の主張をしないとクラスは希望の方向にならないし、聞かれたらはきはき言わないと。
あとでメールで延延と書いてきたり、ずずーっとフアックスが来るのは私はがっかりしてしまう。

 あの時言わないなら墓場まで持っていかないとダメなのだ。

 ほら、結婚式でもキリスト教だとこの結婚に反対の者は今すぐ言え、さもなければ永遠に口を閉じていろ、て言うでしょ?あれは正しいですよ。
あらゆる場合にかなり正しい、この倫理は。

 もう何度も言っていることですが、集中レッスンでも時間の最中にその振りは気に入らないとか(まさかよね?勇気いるかもね)もっと他にないですか?とか、さっきのが良かったとか、こっちにしてくれ、とかちゃんと言わないとよ。端的に要領良く、はきはきと言う。するとたちどころに希望通りになります。

 今回も名前と出身地、良ければ毎回胸に貼って出てください。

それから、隅っこで自分一人で納得して静かに参加するのが好きなので構わないで欲しい人は「構ってくれるな!」とか「アンタッチャブル!」と掲げておいてくれれば傍に行って直さないのでそうして。

しつこく見て欲しい人は「うんとがたがた」などのスローガン掲げてくれれば来なければ良かったと後悔するくらいに微に入り細に入って注意します。

特に希望のない人は何も貼らなくていいです。適宜にやりますから。
どこをどう見て欲しいという特殊な思い入れの人はクラスが始まる時に傍に近寄って私にその旨ささやく。
 初めて来た人は、ああなるほど、こんにちは、という気持ちでにっこりしたいので初参加と掲げてくれると嬉しいです。最終クラスにはちゃんとこれにてお終い、と言ってね。私だってお別れの言葉くらい言いたいですから。

 色々な教室に所属している人、所属していて辛い思いをした人、様々ですが、私はレッスンの目的と希望はなるべく具体的にはっきりさせてくれた方が嬉しいです。いつでも期待に添いたいと思っているし、せっかく来たからにはいいクラスだったという感想を持って帰って欲しいです。
心を込めてクラスに臨みたいので、あなた達も態度ははっきりさせてできるだけの成果を持って帰ってください。ぼんやりにこにこ、という人もそれはそれでいいですよ。不満だけは持ち帰らないようにしましょう?

●2002年02月23日(土)

プラス思考ー大人になってからの舞踊


 昨日のつれづれの後、
「バレエクラス、秋葉原で毎日やってください」という要望が来てしまった。

毎日だっていいですけどね、
夜、夜、夜ぅ!のあなた達は、どううまく型紙を置いても夜は2クラスしか取れないのです。
土日の集中!と叫ばれても、土日は五日経たないと来てくれないのと同じだ。

 そう切り返したら、6時に来れるというのだ。

 そう言えばあの辺のオフィスにいる人は残業がなかったら丸の内からだってあっと言う間に着いてしまう。

 つい何年か前には6時のクラスは人気だったのだ。
それがだんだん不況で女性の仕事が重くなり、遅くなり、この頃のクラスの希望はどんどん遅い時間に移行している。
 ところがまだ、6時に来れるベリーハッピーな人も生き残っているらしい。
重畳である。うううう、古めかしい!

(古めかしいで思い出してしまった。もうすぐお雛様なのに子供にひなあられや菱餅買ってやるのを忘れてしまった。いつもは前もって日本の誰かにお願いする。どなたか3月3日以前にこちらにいらっしゃる方、二人の娘にひなあられなど小さいのでいいので買って来てくださるととても感謝します。いつもここでお願いごとばかりね。ああ、桜餅作ろうと食紅仕入れたのにあずき買うの忘れてしまったし、今年はひな祭りも彩りがない!悲しい....こういうものはちゃんとやらないといけない。歌も歌ってやらないといけない。)

 突然ドメステイックな話題に滑ってしまいました、ごめんなさい。
えーーと、ベリーハッピーの続き。
 
 6時説の生徒によると、最近バレエを始めて全然使っていなかった筋肉の存在に気付いたのだそうだ。
感じをつかみながら体得して行く訓練はとても大事だ。
フラメンコのためではなくても、踊りのためではなくても、そういうセンサションを分るというのは、色々な不備に気付くということなのだ。

見なくても分るし、
見えない所のことも分る。
柔軟が大切だと受け売りで言っているけれど、本当にがちがちではない体を維持するという事は事故が少ないと言う事だし、自分の体の、筋と筋肉の主治医になれると言う事なのだ。

 誰に言われなくても自分で感じられる。
どうやって直すのかもわかっている。
芸術である以前に、それはとても素晴らしい科学的な健康の維持だし、レッスンについてくるご褒美だ。

 みんなはやたらと落ち込む、落ち込む、とすぐに凹むけれどじっくりと自分に付き合ってみる価値が見つけられるのが舞踊のいいところなのだから、平面ばかり見て焦ってはダメだ。

 不器用に動き回るのではなくて、そこに精神の集中と迫力が込められるのを感じた時の感動は、全て費やした時間を補ってまだ余りある。
自分の感情の発露としてのうねり、
全ての点を繋げる曲線と直線の交差。

 自由自在の感動。

 生まれて来たこの世に初めて向かい合うような驚きがある。

つまり、自分に驚く。
鏡に向かってにやっとする。
「始めまして....」そんな感じだ。




●2002年02月22日(金)

舞踊の基礎、それは鍛冶屋の要領で....

 鍛冶屋。
日本にこの職業、ありましたっけ?
ないですよね、確か。
工場が規格のものを作るくらいでしょう?

 スペインの建築に鉄とその工芸はなくてはならないものだから、鍛冶職というのは伝統として続いている。

それでももう18世紀のものなどは打てないらしい。

 先週、予定より早くバーの支柱ができたとお知らせがあった。
鷺沼のバレエ・バーの支柱はスペインで打たせたものだ。
バレエの先生がこの無骨なまでの頑丈な設備をなでさすって感心してくださった。

BBSの投稿者と二言くらいのやり取りで秋葉にバレエ・クラスができた。
そのやり取りをやっぱり掲示板で見た人も参加したい、と言い出してみんなで顔も見ないでお友達になり、クラスに参加してしまった。

 では、ていうので友繁先生はまた鍛冶屋のペペにお願いして、バーをコンコンコン、カンカンカンと打ってもらったというわけだ。

すっごい重さ。さすが純粋なる鉄製だ。

恩着せがましいと言わずに、これと同じ重さだけ恩に着てクラス頑張って欲しい。どこの世界にバレエ始めまーす!の一言で鍛冶やを動員するスクールがある?

 他の物はなんでも送ってしまうけれど、これだけは手荷物にして私が持って行くのだ。心配だからこれだけは送れない。投げたりなんかしないでもらいたいし。
43キロもある。

だから4月12日まで待っとれ、なのだ。

 スタジオ備品は増やしたくないのに、こぉんな物までスペインから持って行かせておいて三日坊主でバレエやめたりしたら呪うぞ!!!
ワラ人形だぞ!
集中に一番で申し込んでも永久に「〆切りました」だぞ!

 なんでも始めるのは簡単なのだ。
効果が実感できるまでまじめに努力するのはちょっと忍耐がいる。
いっぱいと言ってない、ちょっと、だ。

日曜だめなんです、仕事なんです、バレエやりたいんです、私も。そういう声が聞こえてきたので月曜日にもそのうちクラスが出来ます。
色々悩んだり、分からない、分からないと言って苦しんでいるよりは2、3年バレエの基礎をやった方がずっと早道なのだ。どこのどの筋肉なのかが分かる様になるからだ。
 クリニックの基礎化粧品なんかに大金かけるくらいなら、こっちのがずっと美容のためだ。踊りをやめても、何かでどこかがちょっと故障した時に自分で直せてしまえるようになるのだ。体の鍛冶職になるのよ、素敵でしょ?そういうのも。

 

●2002年02月21日(木)

ユーロでおままごと


 今年からスペインの通貨がペセタでなく、ヨーロッパ共通の通貨、ユーロになったのは皆さんもご存知と思う。(ここで挫折する人、あったりして?)

 まだ今月まではペセタとユーロが混在しているので、余計に計算が複雑なのだ。
ペセタで払うとユーロでおつりが返ってくる。
ユーロのおつりが足りないと逆計算して、ペセタも混ぜる。

このペセタも「あら、大きいコインしかないわ、もしかして5ペセタお持ち?でしたら25差し上げますから、その5ペセタ下さいな。ほら、そうしたら20ペセタでしょう?つまり1ユーロが166.38ペセタですから、これでおつりは、さっきの80ユーロとで....」

もう、こうなると何とでも言って、あなたのおっしゃる通りに手を差し出しますわ、てなってしまうのだ。
算数嫌いだったのだもの....
いや、算数が私を好いてくれなかったと言うべきかも。

 ちゃんとわからないといけない大きい額でももう、いいわ、という気持ちになってしまう。ケタ数を二つくらい平気で間違ってしまう。あっちも間違えるし、こっちも間違えるので、ごたごただ。
 この火事場を抜け目なく利用して、もうとっくの昔に使われなくなったコインも何かの拍子に混ぜるずるいのもいる。
ちなみに1月から3回は騙されている。
なんと言っても、時間があってちゃんと計画する人には勝てない。

 広告が出ていても安いのか高いのか全然実感が湧かない。
ユーロの新券をもらっても、子供電車のおもちゃ切符のようにはかない。
 
 今朝は大手銀行の支店長でも、ユーロの束を目の前にして数えるのに四苦八苦しているのを目撃してなんとなく、安心する。
通貨が変わってから毎日トレーニングしている人でもこうなのだから、私がぼーっとしても当然ですよね!

 ユーロになって何が辛いって、小数点以下の単位が出来てしまった事だ。
コマ、幾つ、というお金が出てきてしまって、少数点以上の正規の数字となんとなく混同する。センティモという。小数点以下3桁まで出して四捨五入して第二位までにするのだ。
ホーリネ!(悪い言葉ですよ、覚えなくていいですよ、この手のスペイン語は)
 そこへもってきて、スペインは引き算を足し算でやるので、相手の勘定に付き合っていると益々混乱してしまう。
 こっちは引き算を足し算でやるんですよ。ものすごくもたもたしてしまう。
先回りしてちゃんと引き算して待っているに越したことはないのだけど、二つの通貨が混在しているので、早業が使えない。

 かくして、毎日おままごとしているみたいに頼りないのです。
 来月ペセタがもう絶対に使えない、となって初めて覚えようかな、という気持ちになれるかもしれない。

●2002年02月20日(水)

レッスンの狭間で....

 
 あんまり忙しくて大学の講演会に招かれていたのにころっと忘れてしまった。
先週言っていた、あれだ。

今度は自分が演壇に立たないといけない、例の各界の名士、知性溢れる若き学生達を目の前に、なんか喋れ、というあれ。
踊っちゃいけないの?講演かえ?という、ま、一度いらして見てください、と言われていた例の...定例講演会。

 あなた、予定を手帳にお書きなさいな、と言われていたのに...
面目が立たない。

 予定を書き出すと真っ黒になってしまう。書いているうちに一日が終わってしまう錯覚が起きる。だから手帳は持ち歩かない。

 電話の最中にポストイットに書いてバックの内側にどんどん貼り付ける。あとは暗記。バックは服や靴に合わせて取りかえられない。取りかえると頭をすげ替えられたようになってしまう。

 いつものバックを下げて先日どうしても寄らないといけなかったロエベに立ち寄ったら、店員が軽蔑の目を向けた。
そんなぁ、夜出かける時じゃなかったら稽古着に決まっているじゃないの。練習の合間にしゃれていられるか!....なんて心の中で抵抗したって、ホント、ダメよね高級ブティックに入る時は。通用しない。
 
 この間、レッスンとレッスンの間で稲妻のようにシエルペス通りを駈け抜けて急ぎの買い物をして出ようとしたら、
「友繁晶子さんでいらっしゃいますか?」
なんて、目をまあるくした女性に見つかってしまった。
「いつもお書きになっているもの、とっても楽しみに拝見していますぅ。嬉しいです、お会いできて!」
「ご本も買いました。公演も拝見しました!」

....しまった!そうか、ダメか...こうやってわかっちゃうかぁ...
本当の稽古中に抜け出て来たので、レッグウオ‐マーもつけたままだったのだ。セビリアの中心街をこんななりでストリーキングして...えへへー
(昨日のモネはどうした?ストラビンスキーは?情操教育は!)

 私のワードローブ、レッスン関係の山盛りと、あとは夜の外出に着るものの二通りしかないのだ。子供の学校関係で着ていける堅気の服というものが一つもない。一度父兄会に出かけるのにえらく苦労した。だから2回しか行った事がない。
 それでもかっちりしたスーツなんかは買おうと思わない。見るのは好きで人に見たててあげるのも好きなんだけれど、自分が四角くなるのは苦手。

全身タイツというか、ニット、ジャージ、リクラ(日本ではライクラと言うの?)しか着ない。ブーツまでリクラの事も多い。体とともに動いてくれる素材でないと息苦しい。そのまますぐにレッスンに入れるようなものばかり着ている。2秒で脱ぎ着が出きる物とか。

 重ね着で見せるものなどは、全く私向きではない。いかに素早く着替えるか、ばかりの毎日だ。縄抜けみたいに。ははは。
 

●2002年02月19日(火)

嬉しい色、フラメンコな色
 
 サイトが引っ越してから書くところに色がなくて
更新が苦痛だった。
 色が選べるようになっているのだけれど、好きな色が一つもなかったのだ。
こっそり内輪であのつれづれとスペイン語のページを他のものにできないの?なんてささやいていた。

「そんな!先生!わがまま言っちゃいけません!あれこれあれこれ言われたら大変なんですから!ちゃんと始めに言わないと!」

キャン、キャン、キャン...子犬のように引っ込む。

うーーーーーん....と言われてみても、クリーム色に黒い字で何か書くたびにあまりの地味くささに元気がなくなる思い。
スペインの色じゃないし。私の気持ちの色でもないし...。昔の女子校の風紀委員のように容赦ない感じで...。

 勿論、友繁先生はこういう発想するくらいですから、年中生徒手帳を取り上げられていましたよ。
仮性近視になりたてだったし、その新調したメガネの縁が薄紫だっていうんでまた、手帳取り上げられた上に、目を吊り上げた風紀委員に学生の色じゃないって言われたのだ。赤縁のメガネをかけていたその同級生に
「では、赤は派手でなく、紺に近い紫は学生の色ではないのですか?」

憎まれましたねーーーー、もう、目の敵にされましたね、卒業するまで。
秘密のアッ子ちゃんに出て来るちか子みたいでしたね、彼女は。
奥様は魔女のグラデイスさんのようにつきまとわれて閉口しました。

実はあれは口答えではなかったのですよ。私も昔は15才でしたからね、ははは、素朴に疑問に思っていました。

つまり、
どうして学校は、いっそ似合っている、似合ってない、で罰さないのだろうか。
何のための美術、何のための裁縫、何のための情操教育なのだろう、と思っていました。
少女が゜15、16という年頃になってちゃんとしたセンスを身につけないで
何の絵画鑑賞か....どうしてポニーテールがだめで、ダサい二つに結わいた頭なんかにしないといけないのか。そんな格好で平気で歩き回っておいて何がモネだセザンヌだ、と、思いませんでした?

こんな不恰好ななりで表をかっぽしておいてバッハもストラビンスキーも聞いて呆れる、と。
思いませんでした?皆さん!
疑問でしたねーーーー、ずうっと。

私はこの種類の人こそ手帳を取り上げるべきだと今でも信じていますが。
ああいう一見正しそうでいて、人間のあらゆる屈折した思いを美名に隠して嬉々としてその任務につく心根が許せないです。

 このようにして1940年代のエドガ−・フーバーは自身はホモセクシャルでありながら誰よりも同性愛者の摘発にいそしんだし、赤狩りに率先して次々と無実の市民を陥れ、盗聴に次ぐ盗聴.....とととと、脱線。

 えーと、何の話しでした?あ、HPの色ね、申し訳ないです。つい、年来の疑問にはまり込んでしまいました。

で、カラーチャート

 そうしたら、200何十色からなんでも好きなのにできるって言うじゃないですか!ささやかないで本人に言えば良かったのね!これをアップしてくれた人に...ん、もう....遠慮したばっかりにぃ....。

 始めはフォントが小さくて、ただでさえ地味な下地にこせこせした小文字が出てきてがっかりしてしまったのだ。
 まるでデートの待ち合わせに出かけたら、100メートル先に待っている相手に思わず失望して、足に鉛がつまってしまったようだった。(すごいリアルな描写!先生!これ、もっと掘り下げてくださいって?)

どうも今日はいけないな。
この辺でお茶をにごしてウインドーズの終了にしないと。

 朝、起きるといつもわくわくする。
ま、大概は。
今日は何を工夫しようかな、と。
踊りはやっぱり素晴らしい。
だから私のつれづれ草はピンクでないとダメなのだ。
スペイン語が水色になれて嬉しい。

 どこからか、読みにくいと苦情が出るまでは、この色に染まっていたいと思います。よろしく。

●2002年02月16日(土)

インターネット、あれこれ......

 日本のあるプロデューサーからお手紙が来て、時々HPを覗いているけれど、日本での活躍が増えたのですね、というコメントがあってどっきりしている。

 年賀状やらクリスマスカードやらいただいていてこのところ1度もお返事していない。これはいけない、というので
昨年は、ちゃんと事前に書いてほっとしたら先方の住所がわからなかった。

 日本に帰っても誰にも電話しない。

しようかな、と考えが及ぶのはいつも夜中の12時をまわっているか、明け方に時差で起きてしまう4時頃だ。あとは仕事に追いまくられて忘れてしまう。
あるいはレッスンがつまっていて電話できない。
 すごく身勝手で、礼儀知らずで、薄情な感じになってしまっていて悲しい。
夜中や明け方に電話してちゃんと皆様の事をかように思い出しているのです、と宣言したい誘惑に駆られる。

実行だけはやめた方が賢明そうだ。

 スペインの方の事があんまり書けないので、日本が重点になってしまっていると誤解されるみたいだが、徒然などにスペインの事を書くのは大変なのだ。脚注が多くなってしまってとても先に進まない。

昨日Jose Blas Vega氏と話して、こんなことになったあんなことになった、と興奮しても、この方が、あの有名無比のフラメンコ辞典の著者だというところから始めるのは辛い。スペインでしている事は、これからデビューを飾る新人グループのイベントの振付とか、事前に漏らしてはいけない事もある。
 言ってはいけない未発売の作品のことに触れることもすごく多い。

 それから大御所として名高いアーティストの抱腹絶倒の話しなんかは、いくら日本語でも関係者に漏れたら大変だから書けない事もある。
残念だけれど、傍若無人そうでいて、ブレーキしないといけない事はスペイン関係の話題に多い。差し障りのある事が本当に沢山だ。どんなに注意して書いても、あらゆる状況のあらゆる人々を想定するのは難しい。

いつだったかBBSでも衣装の話しでとんでもない叱責が来てしまった。

話しの前後を熟読してもらえば意味が違うとわかる筈だけれど、インターネットというのは活字に重みがないから、読む人も軽く読み流してしっかり把握しない。
さらっと読んで誤読のまま気を悪くしたり、勘違いの感嘆を表明することもまま、ある。
どんどん書いてどんどん消えてなくなってしまうものなんだな、という空しさが常につきまとう。紙に打たれて印刷された物とは自ずから価値が違うのだ。
 ただ、すぐに伝えたい事がすぐに伝わる魅力に勝てなくて利用している。
 
 さて、日本の陽気はどんなですか?やはり2月なのだからまだ寒いのでしょうか?
 
 集中レッスンの最終原稿の見直し済んで、アップするばかりとなっていますが、今回からネットで受け付けるので、この新しい試みのテストで手間取っています。(主に私が足を引っ張っております。)
 実はアップするのが怖いかも.....思わぬ混乱になったらどうしよう、とか。ははは。

 21日の日曜はレッスンやれないと書くなりブーイングすさまじく、無理やりチケットを出してもらいました。よって12〜21ですのでよろしく。 



●2002年02月12日(火)

アカデミー奨学制度

 踊りをやって行くと最後は続けられなくなるくらいに経済的な負担が大きくなる。
 うまくなればなる程、それは比例して益々大きくなって行くので辛いことだ。
けれどもそれは何も舞踊に限ったことではない。

 友人のピアニストに、才能と努力と情熱をあわせもっていながら、先々のことを考えるとあまりの辛さに音大を出てドイツに留学までした後にピアニストになることを断念した人がいた。
....才能があっても、こうだ。
 
 今はカルチャーなどでお手軽にどこででもなんでも始められるけれど、昔は踊りというのは洋舞の世界でも、発表会の度に椿山荘のようなところで先生を囲んだ謝恩会が持たれたものなのだ。
スタジオには生徒一同から毎年のように備品や鏡の取り替えの負担があったし、お付き合いは大変だった。

 あの頃の私は、モデルのアルバイトをしていたけれどもそれでも追い付かないくらいに負担は厳しかったので、バレエは続けられなくなった。

いよいよ続かなくなった当時の、これでもう世界が終わりのような、胸の塞がるような苦しい思いは生涯忘れることができないと思う。
四方の壁が自分に向かって迫り、息が出来ないような苦しみに煩悶した。

勿論今とは別人のように純情で感受性の鋭い少女だったから、大人としての私はあの少女に今、手を貸してやれたらどんなに良かったろうかと悔やまれるくらいだ。
本当にかわいそうな事だった。
どんなに思いつめていたか、大人には想像できないに違いない。

 あの後、何十回バレエをやり直しているか知れない。もう、こうなると喜劇的でさえある。フラメンコだけが一本続いている私の専門だけれど、選択科目としてバレエには思いが残っている。

でも、こうやってロンドンもイタリアも2時間で行かれる所にとりあえずは近づいた。最後には世界に冠たるバレエの殿堂に集中講座を受けに出かけて行くのではないかと思っている。それもまた楽しだ。
人生、そう悪いわけじゃない。

 さて、また題と違う道に踏み込んでしまったが、アカデミーの方で色々な企画とともに生徒への奨学制度を整えて行きたいと思う。

..........本題に戻って...

 スペイン留学はまだやっと一人だけですが、アカデミーが弱小だった時から一生懸命頑張って来ている上級クラスを、今年は対象にしたいと思っています。
ちょうど発表会もあるので、衣装の購入に際しては、アカデミーが60%負担する方向で検討を進めています。上級生は、持っている曲数も多く、出番と衣装の数も多いので、それがために発表会の参加が苦しくならないように。
今年は上級は全員、一人残らず参加なので、課題曲のソレアとカルメンの衣装は本人はそれぞ40%負担ということにするつもりです。

 続いて前回から集中レッスン参加にめざましい初級生達、その熱意と努力は
やはり援助の対象にしないと。ところが線引きが難しいので、難航しています。とりあえずカルメン参加生には上級生と同じように衣装は60%の援助とします。

今年いっぱいで中級に上がる現、初級生にも一年以内に補助の方法をを作りたいと思っています。(中級生ですね!いよいよ)
 アカデミー生になって二年目の人から、なんらかの方法でわずかなりとも奨学制度を設けて一助としていきたいと思います。

 上に行けば行くほど負担の減るアカデミーを目指して事務局、マネージャーそして私も頑張りたいと思います。

 入門生から不満の声が上がりそうですが、創立記念キャンペーン、とっくの昔に終わって久しいですが、そうとは言えずに割り引きし続けている気弱なアカデミーでありますから、お許しいただきたいです。

 それから最後に一言。発表会色が濃くなってきてみんながウキウキしてくると不参加の生徒がつまらなくなって退会したり落ち込んだりします。
気持ちはよくわかるけれど、そんな小さい了見ではいけません。一生のうちのたったの今年だけの事なのですから、次回に張り切ってください。今年はよく様子を観察して過ごして下さいね。私にとっても担当の先生にとっても日々教えて行く事になんら影響はありません。
では皆さんまた明日まで。

さっき数えたら衣装は50でなく61着でした。はて、いつの間にあと11増えただろう...?ま、いいわ、のアバウト日記でした。

●2002年02月11日(月)

新しい1週間が始まる!
うー-怖い!

 先週の目まぐるしさと言ったらなかった。
一日の重大項目が5本立てくらいで、とても頭がついて行けない。

 昨日もすごかったが今日は朝の光の中、ドワーー!と生徒のバタ・デ・コーラが届き、
「どっどっどこに置きますかね?」という使者の当惑顔。

サロンにうわーーーと並べてチェック。

 たったの11着でも私の書斎が山盛りになった。

練習用バタと私達は呼ばわっているけれど、実際は本番用でもとっておきの手仕事で仕上げてあるスペインでも最高に手のかかった立派な衣装だ。
 まあ、すごい事ったらない。アントニオ・マルケス舞踊団の発注は下請けに出して、うちのを本職がやってくれたのですってよ。

北海道集中生のTさん、あなたのグワヒーラ用のバタ、花嫁衣装も恥じ入る美しさですよ!白と本人は希望していたのだけどデザイナーと相談してベイジュのオーガンジーにしたら目も醒めるようなクラシックな気品が漂う衣装に仕上がった。
さぁて、今週は更に50着のセビジャーナス衣装が来る。残り10着のバタも。

それだけじゃないの。秋葉原用に発注しておいたバレエバーが鍛冶屋から届く。本物の鍛冶屋に打たせているのだ。
もう、こんな仕事の出来る人はセビージャでも滅多にいない。リタイアーしている老鍛冶職が特別に打ってくれているのだ。あんまり良い物なので、自分用にも一対頼んである。だから三セット来てしまう。

 本のための未公開の写真はあと10日かかる。
 今世紀初頭のまだフィルムが出来る前の、ガラス板に焼き付けた、ものすごい年代ものの写真をデイスクに落してもらっているのだ。
こんなすごい写真が載っている本は世界に1冊もない筈だ。
...読者は、こうして期待が大きいと古ぼけた写真を見てがっかりするかもしれない。この写真の価値がわからないのだったら哀しい。
私にとっては震えるような感激だ。

 セビリア市から特別の配慮で譲っていただけるのだもの。
これを探すのに専門家が1ヶ月も資料を丹念に調べないといけなかったのだ。
探し当てた後で3時間もかかって選んだ。

 この帰り道に、スペインでも是非その本は出版して欲しいと口説かれてしまった。書店から直に話しも来てしまって困惑している。置く棚まで決まっていると言うのだ。えーーー!?

 今度のことがきっかけで、いつも日本にばかり指導の目標が向いていたけれど、英語やスペイン語でも出すべきだと多くの人から言われてだんだん説得され始めている。
ビデオはNTSC方式じゃないと...というのが製作に気乗りしない理由だったけれど、日本以外の国、スペイン語圏や英語圏でどうしてまずい?と聞かれてしまった。緻密に構築された指導法というのは案外スペイン人にはないのだから、と。独自の工夫とアイディアでアメリカ・ヨーロッパ向けに書いたり
録音したり、プロデュースしたら素晴らしいかもしれないと少し本気で考えている。
 時間をどうするかだ。2006年からまたヨーロッパ主要都市に出ようと思っているのだもの。面白い事ができそうな予感がしている。

 もう、ついて来れないでしょう?
 色んな事をいっぺんに白状してしまって。まだこれでも一部なんです...

 では、最後にもう一つ。
 セビリア大学の女子寮が、各界の名士を招いて講演会を定例で開いているんだそうだ。医学、芸術、実業....と。今週は医学界から、来週は有名ブランドのカロリーナ・エレーラが講演するという事だ。そしてその次ぎの週には是非あなたにお越し戴きたい、と一昨日申し出が来てしまった。

うーーーー、聡明な女性達を目の前に一体私は何をしゃべろう?
 週の幕開け、苦しい〜〜〜〜公演にしてくれた方がまし。思っただけで冷や汗。嫌って言う?

●2002年02月10日(日)

スポーツ、芸術第一主義者

 春を通り越して夏になりそうな勢いなのに、車で移動中に季節の移り変わりを窓越しに感じている。
でも止まれない、という辛い土曜日は朝から予定がびっしりで、押せ押せにずれて夜まで潰れ通しだ。

 娘がまた水泳のナショナル・リーグに今日と明日と出場しているのにちっとも応援に行ってやれない。
 今シーズンは、総合点では90年生まれのスペイン全土の選手で一位なんだそうだ。英才40人中では、身長も手足の短さも一番なのに、泣けてくるような根性で戦っている。

いじらしくて見に行くのが嫌だ。

 彼女が飛び込み台に立つと、ゴリラのように大きな女子選手達と並んでいるその壮絶な光景に、心臓がわしづかみにされるのだ。

 「ママはきっと私がオリンピック選手になっても一般の人のようにテレビで観戦するのでしょう?...」と、いつかポツリと言われてしまった。

 今年の夏の英才キャンプにはいくら総合点が良くても選ばれないかも知れない。身長が伸びる可能性がほとんどない(170センチ級には絶対になれない)とか、筋肉と筋と全ての関節、体格の遺伝的数値、など詳細なレポートがスペイン水泳連盟委員会で、うちの娘一人についてだけでも八ページに渡って作られているのだ。これをもとにお金と手間をかけても国が育てて行く価値があるかどうかを彼等が判断するらしい。今年は昨年の選手の半分は落される予定とか聞いている。

 国籍の問題がいよいよ深刻になる前に早くなんとか決着が着かないかと私はそわそわしている。
来年辺りからヨーロッパの主要な大会に出ないといけなくなるらしい。そうなると、その前にスペイン人になっていないとスペイン代表の資格がもらえない。水泳では遺伝的な体格で伸びない、と早く判を押されれば、日本国籍を捨てないで済む。

一番切ないのは、成長期にかかっていて判を押せないがために国籍を捨ててしまわざるを得ないことだ。
あっと言う間に体格でダメになると私は予想しているのだ。

でも、娘にそれまで息をひそめて冬眠していろとは言えない。
人生は刻一刻と生きて行くものだし、ダメになるかもしれなくても全身全霊で生きて行くから尊いのであって、ダメを見込んで小賢しくしていろとは、どうしても言えるものではないのだ。
八ページの詳細を極めた科学的なレポートの最後に備考があり、担当教官の所見が書いてある。
「この選手は常に向上を目指し、あらゆる努力を惜しまない資質を持っている」と。なんだか胸にこたえる。これは勿論私の血ではない。こんな風に根性があったためしがないのだもの、いつだって、私は。

 国籍は最後まで懸案にして、とりあえずは今通わせている有名私立校を今期で退学させ、勉強の緩やかな村の公立校に娘を転校させるつもりではいる。

 学力第一主義の国に育った私の、ここからが自分の経験に基づいた徹底的なあれらへの抵抗と信念の子育てになるのだろうと考えているところだ。
ま、育ててはいない。
自分で育ってくれるので時々方向に助力するだけだ。
さぁて、どうなることかな.....

●2002年02月08日(金)

フラメンコな朝

 あんまり大切なアポイントが入っていたので、うっかりしては大変だと緊張のあまり約束の時間より30分も前に着いてしまった。

 別の用事をするには中途半端な時間だと思案して1歩踏み出したところで
りゅうとした正装の老紳士に呼びとめられた。

「AKIiiii! Hombre! Quien esta aqui!」(アキィ!何てことだ
誰かと思ったら!←はい、今日のスペイン語。このオンブレという表現は男ではない。感嘆。)

 私が昔セビリアに持っていたスタジオの真向かいで、自動車修理工場を経営していた古い知り合いだ。
 当時一人で何時間も熱中している私に、もしものことがないようにいつもそれとなく気をつけてくれていた親切な人だったのだ。典型的なアンダルシアの古い型の男性で、いつも明るく、節度があり、会っただけで幸せな気分にしてくれる人だった。
 
 もうリタイアして14年になるというその人は、こうして正装して朝の散歩を楽しんでいるらしい。勿論、根っからのトリアネ−ロ(フラメンコのメッカ、トリアーナ生まれ)らしく散歩は田舎道でなく中心街の賑わいの中だ。

 ここで近況を手短に話しているうちに、私の今度出る本の話しから、なんとこの人の曾ばあさんはカフェ・カンタンテ時代にシルベリオの店に出ていた踊り手だったというものすごい事実を聞き出してしまった。

 何しろ19世紀の話しだもの。この、カンテの王、シルベリオの店がどこにあったのか今一つよくわからなかったのだが、
「シルベリオのカフェ?それはね、そこの角曲がって、ロッテリアの店の角にあったんだよ。」
「えー!?じゃシエルペスの?」
「うん、うん、そうそう、シエルペスの。テアトロ・セルバンテスはあそこの通りを行ったところで...アラメーダには...」
 道行く人々が珍しそうに、どちらかと言うと話しに加わりたさそうにして通り過ぎて行く中に立ち尽くして30分も貴重なお話しを次々と聞き出してしまった。
 この老人のお父さんはホアン・ベルモンテの仕立て屋だったというのだもの、すっかり興奮してしまった。
 トリアーナ橋を渡り切ったところに闘牛士の銅像が立っている。川の対岸にある闘牛場を見つめている、この像のモデルは、まさに不世出の闘牛士ホアン・ベルモンテなのだ。

 今世紀の初め、男性は洋服をつるしの既製服でなく、贔屓の仕立て屋に作らせていた。目に見えるようなノスタルジックな風情だ。

 名闘牛士のご用達だった仕立て屋は、きっと誇りで胸がいっぱいだった事だろう。
この仕立て屋の母親はカフェ・シルベリオの名花として誉れ高い踊り手の娘だったという家系だ。

 ホアン・ベルモンテという闘牛士の甥は踊り手で、それはエレガントな動きをする人だったのを私は知っているのだ。
 この人ももうリタイアしてしまったと風のうわさで聞いて残念に思っている。スペインに渡りたての頃にこの踊り手の教室に見学に行ったのだ。
目がさめるようなブラソのエクササイズを食い入るように見つめて、網膜に焼き付けて来たものだ。

 もう、本は200ページを超えてしまっていてとても今回は納まり切れない。とりあえず出してしまって第二巻に行かないと。

 この朝、私の本のために特別に未公開の写真を譲っていただける、そういうお約束に出向くところでした。思いがけずに余りの時間にまでぎっしりとした対談が出来てしまいました。
初公開の写真を見た興奮についてはまた、後日。昨日は次々と興奮のるつぼに煮られて夜になってしまいましたよ。

●2002年02月07日(木)

春の出番、夏のかおり


昨日、一端は慌しく通り過ぎたスタジオの脇の果物屋。
店先に大きな宝石のようないちごが木箱に入っているのを発見。
残りわずかとなっているのを全部いただく。
水洗いして一つでも頬張りたい欲求はついに夜の12:00まで実現しなかったけれど、美味でありました。
ああ、春だわ...

日本ではおそらく一年中みられるのでしょうけれど、スペインではいちごは春にしか出回らない。
春の訪れを告げる果物なのだ。

ここのところ一段と気候が不順だ。
半袖で飛び出すと夜に凍える。
一日の温度差が激しい。

 庭先には梅が二輪、愛らしい花をつけて主の気持ちをなごやかにしてくれるけれど、危ない急カーブの土手には桜が満開になっていた。
桜が見たくて危ないカーブは更に危険になるので、私はこの道はあまり通りたくない。

 ふとした時に夏のにおいがする。
来るぞ...あの灼熱が、と身構える。
もう冬はおしまいだ。フェリアの会場はせつせとカセ−タの建設に取りかかっているし、セマナ・サンタの楽隊は夜中の練習に余念がない。橋の下なんかに夜な夜な集まってレパートリーを練習している。
 
 カディスのペーニャ・フラメンカからご招待が舞い込んだ。
ちょうどBBSで魚介類の推薦をしたばかりで心がなごむ。
 もうすぐ仕事でアルメリアに行かないといけない。ここはとても歴史の古い街で、さまざまな思い出もある懐かしい土地だ。タラントという曲とは切っても切れない縁のある土地だ。そして未だにフラメンコの精霊が宿った土地柄でもある。アンダルシアの中でも山勝ちで、独特の風情があるのでセビージャの平らな土地から行くと初めは仰天する。
さそりがいるのですよ。砂地には。
えーーーー!?と驚きましたか?
スペインと言う国は不思議の国です。


●2002年02月04日(月)

ティフアニーで朝食を!

 
 随分前のことですが、著作権協会に電話して憤怒の朝になってしまいました。役所関係に出向くのも電話するのも私は苦手なのです。何年住んでも苦手。

ウジマシンガンとか、リボルバー、そういう飛び道具もスペインに住んでいる限りは生涯持ちたくないと思う。
電話局なんかにも行きたくない。
係りを撃ち殺してしまいそうだからだ。
バインダーなんかも持っているべきではないかも。ぶんなぐりたくなってしまうもの。

 あはは...じゃないですよ。ここではね、あったりまえのことが何にもできないんだから。
 
 で、その例としての著作権協会に電話するとやる気のない秘書が出て担当者は朝ご飯に出かけていると言うのです。
この国では秘書は「知らない、担当者は居ない、わかんない、」というために雇ってあるのです。絶対に何かの役に立つ事はしてくれない。そんな人に当たった事は1度もない。

 ここの国は午前中に公証20分、実質40分の朝ご飯に出てしまうのが認められているのです。行く時には、さみだれ式に行かない。その課の全員が行ってしまう。朝ご飯の前には、早く出たいと思って気もそぞろ、朝ご飯から帰ると、ああやる気ない、とだれている。

 気がそぞろの時間に電話したら、国家公務員になれてもう安楽だから何にもやる気のない、この道何年というベテラン風の女性が出てはなから逃げ腰。それはここではない、あっちだこっちだ、と言い逃れる。言われるなりにあっちとこっちに言って同じセリフを繰り返していたら最後は振り出しに戻ってしまった。するとこの女性は食事に出ているから僕はわからない、というトウヘンボクが出た。

もう、「朝ご飯、いっつでも朝ご飯!」と言ってしまった。ついよ、うん、つい.....。
どうしたと思います?
このやっぱり国家公務員の、何にもお役に立てない男性は
「朝ご飯のどこが悪い。あんたは朝ご飯を食べないのか!」
と息巻くじゃないの。
「ええ、勿論いただくわよ。でも会社に出てからでなく自宅でね」
そうしたらまるで自分の母親を侮辱されたがごとくに興奮して
「こっちは朝の8時半から仕事しているんだ、(すっごい早さだろ、参ったか、みたいに)(そんなに早く出社していて朝飯に出てなんで文句言われないといけないんだ、労働基準法を知らないのか!)」
もう、しゃべりやまなかったですね、まくし立てる事、まくし立てること。

8時半で脅そうったって日本人に向かって何よ。8時半が怖くて成田に降りれるか。
8時半に出て午前中で仕事は終わりなんですよ、皆さん!
国家公務員ってここでは午前中だけなんですよ、お仕事。
ほとんどみんな。
3時になったらもう一日がお終いですよ。それでどうしてこんなに啖呵が切れる?
すごい国ですよね。
朝しかお仕事しなくて、その朝にもお家でしてこなかった朝ご飯に楽しく出かけちゃうんだから。
いくらでも代わってやるって思いません?

 本当にいつでも食事しているんです。お昼休みは3時間だし。午後はないでしょう?官公庁は。
そして一般の会社だって半休はしょっちゅうなんです。

朝ご飯を縫ってうまく午前中に人を捕まえないと何にも前に進まないです。

やっと捕まえて、本当にやってくれそうないいお返事してくれても、ただそれだけの人かもしれないのだもの。

こうやって1ヶ月、3ヶ月、1年は平気で泡と消えてしまう。

何かを成す人ではなくって、朝ご飯に出かけてしまう側の人間になる努力をした方がよっぽど早いかもです。

http://www.flamencoole.com/

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