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2004年04月のセビリア発信・つれづれ草
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●2004年04月30日(金)

バタ・デ・コーラ

アレグリアスを踊るのは久しぶりだ。
自分のための振り付けだと全然まとまらない。百回練習すると230通りくらい出て来てしまってちっとも決まらないのだ。こんなものでどうだろう、と言うところでビデオに撮ってみてセルフチェックをする。
あと三日で踊り込めていないといけないという焦りで、いつになく一人苦しみもがく。
あーー誰かに意見言ってもらいなぁ、と言うのでホセ・ガルバンに電話して昼過ぎに見てもらう。

結論から言うと、こんなことしても結局はどうにもならないということだ。
余計仕事が増えた。

もっとこうしたら?とホセはどんどん足を入れる。
私は足をガタガタやるアレグリアスは好きではないのだ。

ホセに「どうしてコーラを持って足やらないの?」と聞かれてしまった。
バタ・デ・コーラを着たらコーラの先まで体の一部として扱うというのは、コーラの得意なアーティストの鉄則だ。
フリルがどんな感じに動くか、というのまで計算して私は足を構築する。
コーラをえい!!!と持ってどかどか足をやるなんて無粋の骨頂だ。

ここに疑問を持たれてしまうと、つまりホセはどう思う?と聞く相手ではないみたいだ。
ちょっと驚いてしまった。
私はコーラは流したままで足をやるのよ、と言うとへえーーーーと言う。
頼りないなぁ......

ついには、その振り付けは誰がした?と聞く。
自分に決まってるじゃない。
そんな訳ないだろう、という顔だ。
マテイルデ・コラールに習っていたんだろう、て言う。
ああ、又出た、と言う感じだ。

私の芸風はマティルデに良く似ている。
それは私の感性が、あの感じの踊りの系統だからなのだ。
マティルデの踊りは大昔にいっぱい見た。直接に習っていなくてもそれはにじみ出てしまうものなのだ。
マテイルデ・コラール(多分もう67才くらい)はピラール・ロペスを手本にしている。
遠くマカローナとかマレーナと言うような前時代の大アーティストの系譜も汲んでいるに違いないのだ。
そういう芸風を私のアレグリアスは汲んでいる。
ホセのように私を良く知っている人でも、こういう古い伝統のものを外国人がやれてしまうことにどうしても戸惑いがあるみたいだ。
私はこの系統の踊りは自分の血と肉として身についてしまっている。

今、私の集中生がこちらに来ている。
このごろどっちを見てもモダンなクロスオーバーフラメンコばかりだから、こんな大時代がかった
アレグリアスってかえって新鮮だと言う。
ほう、新鮮!!なるほど.....
マテイルデはもう舞台に立たないし、正統派のその愛弟子のぺパ・モンテスもあまり見かけないとなると
本当にこういう踊りをする人がいないのかも知れないと始めて思った。

海のようにゆったりとした、粋に溢れたアレグリアス。これは振りが簡単そうでいて、もの凄く難しいのだ。
ブラソ一つ取ってもぎくっとやってはいけなくて全部が曲線としてつながっている。
そのつながりの最後がちゃんとコンパスの最後に持って行かれる。下の句が合う、みたいなリズム知識がないといけない。
つまりはこれを踊るためにはそういう伝統の知識が絶対にないといけなく、スペイン人でもやれる人は滅多にいないのだ。この頃は特に。だからホセは呆然としてしまうのかな。
月曜にホアン・オガジャ(長年クリスティーナ・オヨス舞踊団で振り付け担当)と練習する。
カデイス県(アレグリアスの本場)の出身だ。
この人に意見を言ってもらった方が確実かも知れない。

ま、とにかく誰かに見てもらうという発想が間違い。
自分の目だけで出るべきなのだ。舞台には。
あとは観客が料理してしまう。
それだけだ。

●2004年04月29日(木)

マノーロ・サンルーカル


あの有名なギタリストのマノーロ・サンルーカルについて可笑しい話を昨日聞いた。
ここでその人誰?と言われるともう、何にも可笑しくなくなってしまうのだけれど。
ああーーうちの生徒の五割は言いそうな嫌な予感がする。

くよくよしても仕方ないから、ま、自分だけ笑いながら書くかな。

マノーロはパコ・デ・ルシアとよく比較されて来たスペインフラメンコ界の巨人だ。
近年、大学やペーニャなどに招かれてフラメンコの講義もしている。
セビージャ県内を、この講義で回っていたある日だ。

場所はウトレーラの有名なペーニャ。
マノーロ・サンルーカルは一人の弟子を連れて聴衆の前に出た。
弟子がギターの調弦をしていて、マノーロの方はギターを持たずに講義に入った。
するとこの主催元のペーニャの会長が現れて、ギタリストにマイクを設定し、さんざんサウンドチェックをし始めた。
こんなんで如何でしょう、よろしいですか?丁寧極まりない。
はいはい、結構ですというやり取りの間中、マノーロの方は聴衆に向って講義を進めていた。
するとマイクを設定し終わった会長が、マノーロ・サンルーカルに向って
「で、そこのカンタオール氏は、やっぱりマイク要りますか?」

マノーロ・サンルーカル、怒り心頭に発して席を蹴って帰ってしまったという。
これは昨日、録音スタジオでペドロに聞いた話。
マノーロ・サンルーカルって確か温和で、こんな失礼があっても怒って席を立つなんてちょっとにわかには信じられないのだけれど、話の焦点はペーニャ・フラメンカの会長ともあろう人がほとんど国民的知名度のマノーロ・サンルーカルを知らないなんて、だからフラメンコと言ったってこのスペインでさえこうなんだぜ、というのがまぁアクセントなのだから怒った方はおまけだ。

今朝、OFSの社長にこの話をしたら、にやにや笑って
そんなのは一笑に付してお終いなんじゃないかな、と言う意見だった。
バコ・デ・ルシアだったらきっと、一節歌って、はい、大変結構ですって言うだろうよ、と。

そうだろうな、と私も思う。バコについては絶対に本当の話だという保障つきで次のエピソードがある。

所はマドリーのアモール・デ・デイオスという稽古場。
アントニオ・ガデスのカルメンだか血の婚礼だかの音楽担当でパコがここに呼ばれていた。
打ち合わせだ。
どのスタジオかな、と、かの巨匠がスタジオのドアを遠慮がちに開けたら、そこにフラメンコ練習生の日本女性が汗みどろになって練習していた。ギター持った風采の上がらない中年男を見たこの女性は
ああ渡りに舟と、ちょっとここに来て伴奏して!!お願い、と頼んで強引に押し切ったらしい。
つまりここにおわすこの方が誰だか知らないくらいに、初心者だから。

バコは、はいはいと中に入って稽古伴奏を付き合ったとか。
後で日本人達がこれを知って色を失ったというおまけ付き。

私は信じられないで、こんなまことしやかな冗談、とあるギタリストに話すと
何が冗談なものですか、それは何々と言う名の女性のことですよ、と固有名詞まで出たのだから
本当の事らしいと笑った。
いやぁ、知らないというのは幸福だ。恐れ気もなく素晴らしい。

●2004年04月28日(水)

フエリアあれこれ

恒例の4月の春祭りだ。
フエリア。

交通渋滞で恐ろしいばかりだ。
道路が閉鎖になっていて昨日は危うくレッスンに遅れそうになった。
バス停の前には衣装で着飾った人達がバス待ちしている。
ああ、羨ましいな、と少しだけ思う。
バイラオーラのくせにお祭りに衣装を着て遊びに行った事がない。
いつも仕事だ。

家を直さないといけないのに、建築家は「フェリアなんだよ、仕事は来週からにしようよ」と言う。
ホセ・ガルバンは明日は孫の手を引いてフエリアに行くんだ、と嬉しそうにしている。
イスラエルが今、バルセローナに行っているのでハコ(確か2才、の男の子がいる)がお祭りに行けないから、と。

ホセ、あなたはフェリアが好きなの?と驚いて聞く。
普通、フラメンコのアーティストはフエリアが嫌いなのだ。
まぁまぁかなぁ.....という答え。君は?

私は.....いつの日か好きになりたいと思っている。
スペインに渡ってすぐのフエリアで、ローラ・フローレスを見て打ちのめされた思いが今もよみがえる。
今は、彼女が亡くなってしまった寂しさとなんとなく相まって、フエリアの季節になると胸が苦しい。

「そんな過去の事なんか忘れるさ」とホセがアンダルシア人らしく言う。

外の気温はもう33度で、湿った物思いには向かない。
交通渋滞の間を馬車が通り抜けて行く。
先週、この春祭り用の馬車がデパートに正札をつけて陳列されていた。
こんな立派な大きな物をどうやって何台も二階に運んだだろうと目を丸くした。
絵葉書に出て来るような種類のだ。
一台約100万円。

スペインのお金持ちは、フエリアの一週間にキラを飾るためだけに、こう言う物を持つ。
さらにこう言う物を手入れする人を年間雇っていたりする。
この馬車を引く、立派な馬を何頭も飼っている牧場も持っていたりするのだ。
そうして盛大に人々に振舞う。
つまり協賛スポンサーだ。

日本では資産家はどうしているのかな、とちょっと頭をかすめた。
社交はしないのかな。

●2004年04月27日(火)

クンブレの作曲家

今月に入ってから次々と素晴らしいバイラオール(男性舞踊手)と知り合いになっている。
こんなに居たか!!??と驚くほどの密度で毎日のように知り合う。
いつもはこんな素晴らしい人、どこに隠れていた?と言う気さえする。
多分外国に出ているのだ。
ひっきりなしに行ったり来たりしていて国籍不明の感さえある。

クリスティーナ・オヨスの舞踊団は立て続けに人がやめている。
踊り手だけではなくて歌い手もギタリストもだ。
中には中の事情があるのだろう。

アンダルシア舞踊団のディレクターにこのクリスティーナが就任してから
元々のアンダルシア舞踊団員17人中11人を解雇したと聞いている。
ここにクリスティーナが自分の手持ちの舞踊団を丸ごと入れるためだと囁かれている。

とろい私には説明してくれる人がいないと中々わからなかったけれど、つまりこうすれば個人の舞踊団の経費を州政府に面倒見てもらえることになるらしい。
表向きはオーデイションをするということで元から居た人も振り落として
自分の団員を入れたとか入れないとか、まあケンケンガクガクだ。

こんな政治話は私にはどうでもいいけれど、結果的に面白くなくてやめてしまったり、フリーになった人がいっぱいいる。
舞踊団なんかに入らないで自分でやる、と言う人が増えたのだ。

うちのすぐ近くに住んでいる事が分かったりしたので、渋滞に時間を取られることもないし、この先
いっぱい色んな人と稽古したり振付けたいかな、と思っている。
やっぱり立派なアーティストと居るとすごく触発される事が多い。

例えば、
振り付けして行く段階で一流の人同士だと、作曲の段階からギタリストと一緒にやるのだ。
ギタリストからもそこでその振りは、音楽的に台無しだ、などと意見が出る。
次の展開のそのゴルベは前のコンパスの最後にリガードにした方が効果が違ってくる、なんていうのも。
本当に素晴らしいと思う。
三コンパスくれ、と言うと、前後から言って四コンパスのが素晴らしくなるよ、と言われる。
こうやって音楽要素も一緒に作る。

凄いのは、みんな溢れるような物がもうパーツでいっぱい自己の中で完成しているので、あっと言う間にできるという事だ。
彼らは骨組みと効果を考えてスケッチすると、もう本番、というくらいに踊れるし、弾けるのだ。
ここが超一流とそうでもないプロの違いだ。
勿論「超」なんかつかなくったってここのアーティストはみんな素晴らしい。
でも付くとどうなのかな、て言うとこんなに素晴らしい訳だ。

私が最近音楽担当をお願いしているギタリストは、この埋蔵量の凄さにおいては目下スペインで第一人者と言われている。
まだ30代の若さだけれど、昔クンブレ・フラメンカ(=スペインの頂点のフラメンコ)で世界中を三年も回った。
彼には名声もこの巡業で巡って来たけれど、二度と長い公演は嫌だと言う。

生徒に作らせた秋葉周辺の地図を見せたら、。突然「電気街」という点線で目がハートになった。
ねぇ、僕、このアキハバラに行きたい........

じゃあ、来てくれる?本当に?

●2004年04月22日(木)

昨日できるはずの三曲のうち一曲はどうしても時間切れでできなかったと言われた。
そうだろうな、とは思うけれど、残りの二曲も解釈が違っていた。
せめて一曲は今一緒にアレンジしてくれないとダメよ、と強引に押した。

相手はあと二日でテレビの音楽番組に出ないといけないし、もうすぐドイツ公演もある。
こういう人を相手に時間を止めるような発言は本当にしにくい。
でも、それができないといい仕事は絶対に上がらない。

いいアーティストは寸暇もない程に売れっ子だし、
いい音楽はこんな人でもやっぱり作るのに時間がかかるのだ。

ここ、という時に一歩も引かない駆け引きというか気迫は、舞台に出ている時と同じだけのエネルギーを要する。
そうでないと相手に説得力を持たない。
舞台作りにこう言うことが本当に貴重で、何よりも神経を注がないといけなくて大変だ。
延々2時間もかかって、やっと一曲の骨組みは代える事ができた。
肉付けはじゃあ、リハーサルで。

他のもう一つはこれで振付けてみてくれない?と言われて一旦は帰ってきた。
今朝はそれが心に引っかかっていてやたらと早くから起きてしまった。
聴いてみたけれどどうしても好きになれない。
さぁて、どうやって相手に伝えよう。
これが今日のテーマになる。
一日が終わるまでにそう言わないと。

電話で言うのは失敗の元だ。
人は私のために生きていない。夫々の仕事の緊張を抱えて生きている。
出来た仕事を一からやり直せと言うのは骨折りだ。
顔見て、目を見て言わないときっと失敗する。

いきなりたずねて行くのも気が引ける。
さて、どう勝負するか......アレンジは変えてもらわないといけない。
これは確かだ。

午後には今度組むことになっている踊り手に会う。
来週からウイーンに行ってしまうと言うので、闘牛場の前で午後に待ち合わせている。
メリメのカルメンのあの、セビージャの闘牛場だ。
場面も同じ。
で、悩み多いカルメンの私は、ここに佇むホセならぬホアンを車に拉致してスタジオまで誘拐するのだ。
それから夜まで稽古。

まずはこのアレンジ好きじゃない、と言うのの研究から。
でも朝ご飯が先だ。脳のエネルギーの糖分をまず採らないと。

●2004年04月18日(日)

音楽プロデューサー

今年は、6月の公演の後にブラジル人のミュージシャン達と仕事をする。
この関連で又別のジャズグループと会う事になっている。
何か凄い事しようと、この間みんなでわくわくした。

ここに又とっておきのギタリストがいる。
まだ30代なのに音楽スタジオを持っていて、私の夫とは商売敵だ。
同じくらいの設備のスタジオを経営している。

ブルーノートの仕事が来た時に彼を連れて行きたいと思ったけれどギャラの折り合いがつかなかった。
とても高い。
その次にも何回か機会はあったが中々成立しなかった。
僅か9才でその天才を謳われ、コンサートギタリストとしても名高い。
彼はどうしても日本を知りたくて、ちょっとお忍びと言う感じで誰かの伴奏に行ったことが多分二回はある。

 最近、私は彼と一緒に仕事をしている。ちょっと変わった形でだ。
自分のイメージを作曲してもらっているのだ。

こう言う感じの、こういうリズムのこんな仕上がりのグワヒーラスにしたい、と相談に行くと、そのためにぴったりの曲を作ってくれて、それに必要な、その効果が最大に出せる音楽家を招集してくれる。
例えばパーカッション一つ取っても、ジャズ系とかアフロ系とか、ブラジル音楽系とかいっぱい系列というか得意が分かれている。誰が何が得意か、までは私は知らない。

今度のこれにはこいつがぴったりだ、みたいな線を彼に出してもらう。

音楽効果は、二人で相談して後はアレンジを任せる。

もしかしてもの凄く上手くやって行けそうだな、と予感しているのだ。
つまり音楽プロデューサーを受け持ってもらうことにしようと心積もりしている。

何をやるにしても一流の、その分野のミュージシャンとやらないとフュージョンなんかは安物になってしまう。
もう、最高の物しか私はやりたくない。天才の他に几帳面で約束を守る人というのは条件が厳しくなる。
普通、スペイン人は日曜には仕事は絶対しないけれど、今朝も早くから待ち合わせて狂い無しだ。
話の理解が早い。向こうのが早すぎてこっちが遅れるくらいだ。
なんだか嬉しい。水曜に三曲出来てくる。
期待で夜も眠れずにいる。

一方でこういうフラメンコとワールド系の音楽と舞踊に流れを求めていて
もう一方では、ここの所アンダルシア舞踊団や国立バレエのダンサー達と親睦が深くなっている。
クラシコ・エスパニョールもやろうよ、と昨日も口説かれた。
けれども私は知識としてもう一度一緒に勉強し直してもいいな、とは思うけれど自分の感性の表現には弱すぎてダメだ。
土曜の朝に稽古しようと誘われているので、やってもいいかなと思っている。
特に難しい、自分では絶対に使わないようなバリージョのテクニックを、趣味として勉強し直しても悪くない。

ルンバ、サルサ、タンゴ、も勉強し直そうと思っている。
昔、社交ダンスはみんなやった。
誰かと組むのは憂鬱だ。
でも知識としてやっていて悪くない。
あとはコンテンポラリーをデイエゴについて習おうと思う。もうやっていないのはラップとかヒップホップくらいしかない。そのうち時間を作って見に行ってみよう。あのだらっとした踊り。案外好きかも知れない。

筋肉痛で辛い。
拷問器みたいな筋トレのマシーンが来たのだ。嬉しくなってやりすぎてしまった。
さぁて、いつまで続くかな.......

●2004年04月13日(火)

ワールドミュージック


最近、ジャズやワールドミュージックの音楽家達からのお誘いが多い。
たった今もサンバ、ボサノバ関係のギタリストからお電話をいただいた。
こういう人達もフラメンコにかなりにじり寄った音楽をやる。
私があっちに少し寄り、あっちがこっちに寄ると本当に面白い展開になる。

今までも客演の形であったけれど、私はああした音楽もとても好きだ。フラメンコでできないスピンだとか
ちょっとした跳躍も盛り込めて、かなりダイナミックな空間が使える。

新体操を見ていて湧いてくるイメージも少なくない。
どこに行こうと、誰を見ようと、無駄に帰ってきてはいけない。
みんな取り込んで刺激に使うのだ。

毎日のようにアーティスト達から電話がかかり、彼らがたずねて来ては企画が盛り上がる。
春だし、なんだか子供のようにわくわくして来た。

今日のラモンとの練習も相当いい出来で嬉しくなったし、
夕べは打ちひしがれていたのが嘘のようだ。
アーティストの生活は失望と高揚の連続で、生きて行くのはエネルギーが要る。
........自分の事ながら、まるで狂人のようだ。


今年は6月の公演の後に、バレエダンサー達と振り付けに入る。
自分の芸域を最大に広げるチャンスのようだ。

半年はバレエを又みっちりやろうと決心している。
ついに筋トレのあのマルチ器械も発注して来た。
稽古でどろどろになったまま
閉店間際のデパートに駆け込んで、まっしぐら。
三秒で注文した。店員は、あまりの急き込み方に驚きの表情だ。
(こうでもしないとデパートなんか面倒で行けない、思い立ったが吉日だ)

サロンに鉄棒があるだけでも迷惑だから、こんな2mX2mの器械は
地下室に置いてくれと水泳娘に抗議された。
一人ぼっちでこんなもの、毎日のようにやれるかな、と早くも弱気になった。
でも見ているだけで嬉しくなるような、本格的な器械なのだ。
コレクションにとどめないで、擦り切れるまで頑張ろう!!
鉄人のような肉体になるのだ!!わはは....

もう、稽古着を脱ぐ間もない私は宝石も着けれないし、絹もまとえないし
買う物と言ったらダンベル、腹筋台、筋トレマシーンと、「いとおかしく」ないのだ。

頑張ろう!!!ボーダレス・バイラオーラだ。

●2004年04月11日(日)

エンリケ・エル・コッホ


自分のビデオが出てきてついでに欠点を正視して反省しようと思い立った。

本当に自分のビデオは見るのが辛い。
昔、あの著名な歌い手で踊り手のSusi Amador(マヌエラ・カラスコの確かご主人の妹、か、いとこ)
が自分のビデオを見ると腹が立つから嫌だと言っていたけれど、本当にそう。

で、あーーーー、とか、うーーーーとかのた打ち回りそうになりながら見ていて
エンリケ・エル・コッホとマテイルデ・コラールのビデオが出て来たので
おお!......早速見てみる事にした。

私は勇気を持って言えば、エンリケを何回も直に見ていてちっとも驚いた事が無かったのだ。
目ができていなかったのかどうなのか、20年の歳月の後に昨日確認した。

私の本でも記述があるが、この名人は女性の振り付けでは右に出る者がないとまで言われていたのだ。
その類稀な伝統のフラメンコの妖気というか、アルテの素晴らしさは、と誰もが絶賛する。
主に評論でこの人をけなすのはタブーと言う感じさえスペインにはある。

で、結論。
はだかの王様というかなんというか、やっぱり「なんで?」だ。
どうしてこんなに大騒ぎしないといけない?
嘘じゃないの?これ、て思う。

あら、あなたには分からない?式の冷笑は私は日本では二回くらい受けた。
スペインではマノーロ・マリンとマヌエラ・カラスコには本当の事を言って!!と詰め寄って
多分本当の意見を聞きだしたことがある。

このビデオは秘蔵ものだけれど、もしかして日本でこっそり出ていたりするだろうか。
私はこの20年前の第二回ビエナルの関係者から特別にいただいたのであって、これは非売品だったのだ。
今度の6月公演の後に、このビデオ鑑賞会とフラメンコ講座の第一回をやろうかと考えた。

実技もいいけれど、せっかくこういう宝を持っているのだからこれを見ながら説明するべきかも知れない。
マティルデ・コラールと今は亡きフアルーコとエンリケのビデオがここにある。
前時代のフラメンコの系譜を是非、知らせたい。
この人達を知っていた証人として講義をするべきかな、と思う。

そうこうするうちに、あの今は見る影もなくどろどろのアントニオ・カナーレスが、出始めの頃のも出てきて
あんまり若くてきりっとしているので、少し悲しくなった。
とかく話題の人のフアルキートの母親の21年前のビデオが出てきた。フアルキートを産んだばかりで
なんだかまだお腹が戻っていないのだけど、このスタイルのままもの凄い迫力で踊っている。まだ美貌だった面影が残っている。旦那さんのモレーノも急逝してしまったけれど、ビデオでは健在だ。
私はこの歌い手にはロス・ガジョスで踊っていた時に歌ってもらった懐かしい思い出がある。
こんなのは、何も知らない人にはちんぷんかんぷんかも知れないけれど
フラメンコ上級生には垂涎ものだと思う。

もう、システム変換もDVDも面倒でやっていられないので、スペインからビデオデッキ持って行ってしまおうかな。
マルチシステムのテレビでないとダメなのかな。
あーー機械は面倒で不便だ。

●2004年04月09日(金)

フラメンコの原点で揺れる

月曜までに完璧な効果でできていないといけない振り付けが、三つも重なっている。
(だから、復活祭で店がみんな閉まっていて社会の機能が止まってしまっている休日なのに、仕事で缶詰だ)
人に振りつける時は全部あっと言う間にできるのに、自分が踊る物は全然決めれない。

夕べも遅くまでスタジオにこもっていて結局、百通りできてしまうと言う感じで、ええい、もういいや、
ここはアドリブで、みたいになった。(そんな事なら最初から決めようとする意味がない)

私はやっぱり全部アドリブというアーティストで、「気が乗ろうが別の事しちゃダメ、ここはこれ!!!」と決めることができない。
気分が違う奔流に行ってもこれやれ!A定食とワインはこれ、
みたいに決めてしまう事ができない。

同じ曲の同じ歌の同じリズムを刻まれても、絶対に同じにやろうとする努力ができにくい。
つい、違う物にインスピレーションが作動してしまう。

つまりこういうアーティストになりたいと長年努力して来たのだと思うのだけれど、いざそうなったら
定食振り付けが全然できなくなってしまった。
でも、人のためならやれるってどういうのだろう。

呆れるくらいにあっと言う間にできるのだ、人にしてあげる振り付けなら。
おお、カッコいい、コレ覚えておこう、と思うことも結構あるくらいなものでも。

6月の日本の公演では、七曲踊るけれど、そのうちの一曲だけは全部アドリブにしたい。
何も振り付けない、というもの。
ラモンと一緒に出ないものなら何やってもいいはずだ。

ラモンと出ている時でも離れている場面では勝手にやってしまう。
彼はちゃんとしたいって言うけれど、私は「ちゃんと」したくない。
「ちゃんと」すると、恐ろしくつまらないものになるからだ。

何が嫌って、フラメンコの揃いもの程嫌な物はない。
だからどんな著名な舞踊団だろうと、私はああいうところに入って右回って左向いてちょん、
みたいな事はやる価値があると思えない。国立バレエ団だって嫌だ。

バックアーティストが緊張のあまり私から目が離せないで
その集中力がお互いに最高になっている舞台。
目の前の観客への責任と自分の持った全てを動因してやる、
これに勝るものはフラメンコにないと思っている。
やっぱり宵越しの振りは嫌だ。
二度とできないっていうのがいい。

言い訳だろうか....(笑)

●2004年04月08日(木)

セマナ・サンタ

復活祭のピーク、今日はJueves Santoだ。
キリストが磔になった日なので、形式としてはみんなが喪に服す。
だから今日はあらゆる興行がお休みで、踊りを練習してもいけない。
私はこっそり地下室でやってしまう。音楽だけは遠慮しないといけない。

昨日はメンケスにどうしても靴を取りに行こうと(注文して三ヶ月もかかっている)必死に出かけたけれど
セマナサンタだもの、全部の山車が通るあの辺りは店なんかやっていなかった。
がっかりしてしまったけれど、無関係で過ごしていた聖週間の匂いをかいだ。
オレンジの花だ。この季節に咲くようになっている。
それと教会ごとの山車が連れて先行させる楽隊達。

ああ、セマナ・サンタだと感慨深い。
楽隊が通り抜ける間に考えたけれど、やっぱり人口70万人のこの街の、音楽に携わる人口密度は相当なものだと思う。

まず、王立舞踊演劇音楽学校があるし、毎年もの凄い人数の人がここに出入りしている。
この他にここには入らないで、お家芸でやっているフラメンコの人達
どこにも所属していないけど相当の技術で歌ったりギターを弾いたりする人達
セマナサンタに始まって吹奏楽だのに加わっている人達は教会の数以上にいる。
新体操のクラブやバレエ学校に入っている人達

ざっと挙げてもこんなにいる。
練習量は週に一度なんていうのはおそらく一人もいない。
ほとんどの場合が毎日だ。
音楽と舞踊をかなりのレベルで理解する人達がいっばいいるという事だ。

ちなみに二回の出産で、娘たちを取り上げてくれたドクターの二人までが
ギタリストだった。一人はかつて医学かコンサートギタリストになるかで悩んだ人だったし、もう一人は弾き語りができた。二人とも50才近かったけれど、こんな感じだ。

あとは詩人や作家や絵描きに彫刻家もいっぱいいる。
陶芸作家だの、本当にアーティストだらけの街だと思った。
今夜はサエタが聴ける筈だ、真夜中まで頑張れる気力さえあれば。
午前2時とか3時に歌われるのだ。
辛抱強い人でないと、良い場に居合わせる事はできない。
これは日本人には随分と辛いことだ

●2004年04月05日(月)

今朝、稽古の帰りにスペインとしては珍しくラッシユに出くわしてしまった。
毎日事故が絶えない、悪名高い500年祭橋の上り口でひたっと停まってしまったのだ。
次の分かれ道までにじって行って別経路に逃げる。
この数分で、丸焦げになるかというような強烈な陽射しだった。
もう、夏ね......と呟いたくらいだ。

昨日はうちの数件先の家で、プールに飛び込む音がしていた。
もう!?

この頃、郵便ポストにプール屋の宣伝ビラがひっきり無しに入る。
プールを作れ、作れと言うのだ。
高速道路の降り口には、くじらのような10X5プールがまるで「温泉饅頭」みたいに店頭に
たてかけてある。これはいつ見ても笑いを誘われる。
おー、じゃ一つ買ってくか.......て?

フエリア会場はもう、春祭り色に染まっている。
今年からついにフラメンコ衣装にジーンズ地が登場した。
ここまで拡大したか、ジーンズ!!
イブ・サンローランが、これが自分の発明でなくて残念!と言ったジーンズだ。
また、こんなのを生徒に着せてみたいな、などと考えたりする。
この愛情が墓穴堀りだ。見なかった事にしよう。

新しいデザインの飾り櫛やイヤリングが街に溢れている。
毎年、この季節になるとデザインに一ひねりある。
こんなのを付けさせたいな、と又思ってしまう。

沢山のカラーシューズが並んでいて壮観だ。
入門生なんかはどうせ足のものはないのだから、これで十分だと思う。
お祭りに行くためのフラメンコ・シューズはカラーが豊富でとても美しい。
クギがない布製だけれど、なじみが良さそうだ。
舞台の後は普段に履いてしまえばいい。

こんなにウキウキさせられるフエリアの小物達だけれど、春祭りというのはそんなに面白いものではない。
最近は日本人の団体がちょっと違わない?の衣装を着て闊歩していたりするし。
何と言っても乗馬ができないと楽しさも半分かも知れない。
もともと馬の売り買いから来ているので、カッコいい乗馬姿の男女が愛馬にまたがって徘徊しているのだ。

アンダルシアに生まれたら、馬だ。
ユーカリとオリーブの大地を疾駆し、フエリアを闊歩したら楽しいだろう。
家からすぐの所にいくらでも馬場があって安く習える。
うーーーーん...........さぁてと、夢想してないで稽古、午後の部。

●2004年04月04日(日)

スペインは装甲車

引き続き、毎日ニュースでフアルキートが話題になっているみたいだが
まだ一度もまともに落ち着いて見れないでいる。
去年の9月に無免許で、携帯電話のカードを買いにだか入れてもらいにだか行く途中だったと言う。
ヒターノは無学で文字を持たない人がまだ多いから、無免許も後を絶たない。

最近イスラエル・ガルバンが言っていた事を突然に思い出す。

イスラエルがある朝、なんだか車にも乗らないでテクテク歩いて行きかけたので
ねぇ、どうしたの?歩き?と聞くと、車は修理工場行きだと言う。

高速のカーブで彼の車が(高速なのにやたらとカーブがあるのですよ、ここは)メルセデスベンツと接触。
自慢の黄色のカッコいい車は(何だったかな、覚えていない)側面をめちゃめちゃにされたのに
ベンツは全然かすりもしなかったと言う。
さすがにメルセデスは凄いと、ため息。

フラメンコ・アーティストは交通事故が多い。
つまり、被害者の方だ。
仕事は真夜中だし、疲れた体と頭で他県から運転して帰るのはとても危険だ。
こっちではほとんどみんな泊まらないでそのまま帰る。

あの素晴らしいギタリストのペドロ・バカンは同乗者を次々送って、最後に自分一人になって眠気が来てしまったと聞いている。まだ十分に若い命を散らせてしまった。
私のあの、パコ・デ・アンテケーラも交通事故だ。

装甲車みたいな車に換えようと思う。
まさに、今日はDomingo de ramos、セマナ・サンタの始まりだ。
キリスト復活祭が終わったらすぐに、このもう三回もぶつけられている車をやめて鉄のバーがいっぱいはめ込んであるようなのに乗り換えよう。スペイン車はやめだ。
車と言ったらドイツか日本だ。

どこにでも停められるような小型でないとスペインでは不便だし、
ベンツはこうなると一つしかない。色も信じられないみたいだけれど
黒白グレー紺、しかない。未だに?
さすがに頭も固い。徹底したものだな、と驚く。
グラナダやマラガの山越えに耐え、
カーブ、大雨、突然のヒョウでも滑りにくく....
イスラエルに当てられてもびくともしない車でなければ!!
できたらメタルピンクかメタルトルコブルーって、無理か。
うんと派手な車だと盗まれたり、ガラス割られたりしにくいらしい。
鉄のバー、派手な色、小型、この三点が大事みたいだ。

さて、バカな事ばっかり言って油売ってないで稽古しよう。
今日はバタデコーラの最高の効果を模索。
この稽古は遠心力がかかってとても疲れる。上体の筋トレも兼ねてしまうのだ。一石二鳥。日曜日にもって来いの振り付けです。

●2004年04月01日(木)

フラメンコ・アーティストのひき逃げ


あの有名ジプシーファミリーの、フアルーコ一家の
男性舞踊手、ファルキートがひき逃げをしたと
ここ数日新聞とテレビのニュースで盛んに取り上げられている。

彼の舞踊シーンが必ず出て来るので、事件がそんなに重大な気がしなくて
つい耳目を疑ってしまう。

忙しいさなかにいつもこの報道が流れるので始めの部分を見逃してしまう。

けれども、夕べしっかり見た限りでは
ファルキートはひき逃げをして車を隠すか何かして
その当の被害者は死亡してしまったと、言っていた気がするのだ。

え!!??と思う間もなく、次々とファンが出て来て
「こんなに素晴らしいアーティストなのだから許して」なんて言う。

母親が出てきて(この人こそフアルーカと言われてそれは素敵な踊り手だった)
「悪い事をしたとは彼は分かっているの。でも、性格が内気だから怖くて自首できなかつたんですよーーー」
なんて言う。
「内気」って????

これだけ明るみに出ているのに夕べもどこかで舞台に出て踊っているのだ。

日本だったら逮捕されてしまうのではない?

家から一歩も出ません、舞台だけはやるけど、とか言っているのだ。
そして踊りのグループの一人が出てきて代弁するには
「ホント、誰のインタビューも受けないと言ってるんだ。黙秘権。残念だけど
人生って時々こういう風に辛いよね」
これ、被害者の関係者が言うせりふなんじゃないかと、加害者がこんな事言う権利あるのかしらん、と
驚いている。
それでいて盛んに出て来るのはフアルキートの家族と婚約者とファンばかりで
被害者の家族も何も出て来ない。
こんな不思議な事ってあるだろうか。

裁判所から召喚状が出ていると言うからこれからだと思うけれど
確か日本で来月くらいにコンサートがあるって聞かなかったろうか。
国外に出られるのだろうか。

大分昔にカマロンも人身事故を起こしたか何かしたけれど、ちょっと刑務所に入れられただけで無罪放免になった。
ここはつくづく日本とは違うから被害に遭ったらそれっきりだ。
あんまりそれっきりで許せないと言うので、被害者の家族が無罪になった加害者を
みんなで殺してしまったと言うのもこの間あった。

それにしても.......大変な事だ。この行方、どうなるのだろう。
思いつつ稽古に行く。

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