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2005年10月のセビリア発信・つれづれ草
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●2005年10月21日(金)

先週の金曜にフラメンコのお誘いがあって
見たのはいいけれど、その後どうも気分がすぐれない。
夕食のお誘いを断って良かった。
あと五分遅れたら道で倒れているところだった。

運転も出来なかったに違いない。
真夜中の二時に家人を起こして救急車だ。

日本だったらきっとこんなに辛い思いもしないで
すぐ治るに違いない。
つくづくスペインに暮らすことの苦しさを思い知る。
私の周りにホアン・オガジャを始め、腎臓結石で苦しむ人が
うじゃうじゃいる。ということは、ここの水と関係しているのではないかなと思う。硬水。

飲み水なんかボトルに換えても無駄だ。
煮炊きやコーヒーまでボトルから取り出せない。

今日はほとほと踊りたくて、まるではしかで寝かされている子供のように踊りに恋焦がれた。

空に向かってブラソが出ている。
気がつけば手が舞ってる。
ああ、ソレアが踊りたいと思う
ああ、アレグリアスがやりたいと思う
普通の生粋のフラメンコが踊りたいと、切なく思う。

昔、日本で行き詰っていた頃のように激しい、苦しい思いでフラメンコに憧れる。
タラントでもなく、シギリージャでもなく、
ソレアとアレグリアスが、
「そうあるべきようなフラメンコの形で」踊りたいと思う。

深遠なるソレア
伊達のアレグリアス
そうして...ぺテネーラス..まさかこのせいではない?
縁起かつぐわけではないけれど....

●2005年10月18日(火)

鶴の恩返しのおつうのフラメンカ

先週、とても上手いフランス人の舞踊留学生と知り合いました。
団体レッスンを毎日受けているみたいなのだけれど、ちらっと見かけると誰よりも上手い。スペイン人かな?と思って聞いてみると南フランスの人という。

週末にでもうちにいらっしゃい、稽古場あるから練習してもいいのよって誘ってあげたら、自分はただの一時間の休みもないの、週末は特に息も出来ないくらいの忙しさだと言うのね。
休日無しなのですって。ウエイトレスの仕事で。

真夜中の二時まで立ち働いて、こういうクラスの費用を稼いで暮らしているのだと言うの。一時間の団体クラスを受けるために真夜中の二時まで、レッスンの後にすぐに復習もできずに飛んでいかないと
間に合わないのだそう。

じゃあ、レッスンの復習は一つもできなくてあんなに上手なの?と聞くとはにかんでうなずく。

身を削るようにして働いて、クラスでは驚くべき集中力で必死に消化するんだな、と理解。一日中コンパスを考えているに違いない。
いつも同じ地味な服の、まだきっと若いに違いない、サマンサという女性、慌しく駆けて行く後姿にとても清潔な凛とした何かを感じました。

羽を抜いて、クラスの費用にしているんだな。

●2005年10月16日(日)

男の踊り

昨日は、ある人のお招きでカサデラメモリアに行く。
ある男性舞踊手がとても上手いから見て欲しいと言われて
出かけて行った。

例によって又、最後の観客としてあわてて駆けつけたのだけれど、名前を言えばすらすらと特別席に案内してくれた。
どうして踊り手にならなかったのかというような凄くハンサムなギタリストと同席になった。
少女マンガにでも出て来そうなこの美しいギタリスト君は、音楽学校の生徒だというから、落ち着いた見掛けよりずっと若いのだろうと思った。

さて、演目
本日のギターはジェルバブエナの専属だというから
さぞかし輝かしい若手なのだろうと期待した。

ところが、どこから調弦でなくなったのか分からないような
へろへろした弾き方で、タッチも弱くて全然感動できなかった。

ハンサムなギタリスト君に意見を聞いて見る。
「伴奏のパルマの音が大きいよね」と彼は言う。
「違うわよ、この人、フラメンコの音が出てない。どの弦に指を置いてもフラメンコのマッチョな音が出てこないもの」
「フラメンコじゃない?そういえばクラシックみたいだよね」
「全然胸に届かない メリハリが無いもの」

歌い手も上手いと評判だったけれど、何だか迫力が無くていらいらしてしまった。

次に美貌の踊り手が出てグワヒーラを踊ったけれど、やっぱり足ばかりやりたがって面白くなかった。衣装の美しさだけを追ってしまう。

時間の無駄遣いだったかも、と後悔し始めた頃に真打が出てきた。

まだとても若そうなのだけれど、力攻めに攻めて行く。
ソロデピエも激しいコンパスで、いわゆるフラメンコの正統派の男の踊り手だ。

タブラオの板が削れて もうもうと埃が立ち上がる。
マッチョな踊りでやっと霧が晴れた。
フラメンコはこれでなくては!

生粋の男の踊り
スポーツのような、
闘牛のような踊り
リズムの激しさと筋力の限りで踊る、男の踊り。

フラメンコは、男性が女性からライトを奪うことのできるほとんど唯一の舞踊だ。

私はこの踊り手は昔から知っているのだけれど
踊りを見るのは初めてだった。
なぜならギタリストかと思っていたからだ。
プロで通るくらいにギターも上手いのだ。

この人、来年の公演に連れて行きたいな。
舞台が粉々になって、私の出番がなくなるかも(笑)

招待のお礼を言いに楽屋に寄ったら
記憶の中にあった顔よりずっと端正で、あら、と思った。

これはうちの女の子達が大変だ!

●2005年10月13日(木)

フラメンコの芸風について


ここの所ずっと悩んでいる。
フラメンコの二つの潮流にもまれて生きてきたのだけれど
遅まきながら、最近は全部一色に塗られているのだなと考え始めている。

つまり最近のフラメンコの舞踊というのは
みんな同じになりつつある。
しっとり重く踊るということをしない。
案外、できないのかもしれない。

昨日、ある人にこう言われた。
「このぶったぎりのフラメンコを勉強しているらしいけどさ、
なんで?ローラ・フローレスを直に見たことない連中ばかりなのにさ、君みたいにローラと仕事して、カマロン知ってて、グラン・アントニオ見てて、ガデス見てて、何の不足がある?今のぶったぎり踊ってるのはみんなこの偉大なアーティスト見たことない連中なんだぜ」

言われてみると本当にその通りで、私のフラメンコの底流にはあの故人達のアイレというものが流れていて、それは今の踊りに通いにくい血なのだ。

一昨日の事だ。
振付けられたティエントスをソロコンパスのアルカンヘルの歌でさらってみようとした。

所が、振りが一つも入れられないのだ。
....そういう風に感じることができない。

ギターと歌が聞こえてしまうと、私の心に何かが反応して
どうしても人に言われた振りなんか一つも入る余地がなくなる。

自分のものが圧倒的な力と確実さで出てきてしまう。

無理にやろうとすると、自分の感性に禁止令を出すことになる。

更に無理して踊ってみると、まるで性転換手術を施そうというように、苦しかった。

ああ、駄目だ、こんなもの。
見かけが変わって面白いかなと思ったけれど
とてもやれない。

アイディアとして何か一つ、100の振りから何か一つだけ
心に響くものを自分の言語に加工して使ったりするのはいいかも知れない。

でも、とても全曲なんて
舞台にこんなものはかけられないと悟った。

昨日から振付けられた物をほとんどみんな捨てて
やっぱり自分でやっている。

今更ながらだけれど、真のフラメンコってやはりこれなのだ。
向学心はいいけど、それは知識としてとどめておくべきだな。
長年磨いてきたダイヤを捨てて、模造アレキに走る人も居まい。

●2005年10月12日(水)

モデルノの落とし穴


パストーラを見た直後に五分で着いてしまうロスガジョスに
滑り込んだ。

オーナーのブランカが健在なのをちらっと見かけた。

挨拶をすれば入場はフリーパスだけれど、めんどくさいから
ちゃんと払う事にした。
タブラオに初めて払って入る。

お客だぞ、というレッテルが着いた感じだ。
わくわくしてしまう。

カンタオールは全部かつての私のバックアーティストばかりだ。
一曲ごとにみんなが私にウインクしたり話しかける。
愛しい思い出、愛しい仲間たちという気持ちで
ちょっとしんみりする。

...のも束の間、ショーの始まりにものすごく媚びた若い女性がトップバッターで出てきて、プロのアンテナがフル回転する。

痩せた、多分顔立ちの悪くないこの踊り手は
私達の肝を瞬間冷却にした。

つまり端的に言うと、パストーラのコピー版なのだ。

ほとんど全部の技が外れる。
コンパスが微妙に入らない
それでもウルトラテクニックを無理やりやる。
足音汚く、音馬鹿でかく、切れ悪く、長かった。

私と美人のフランス人はかなり参った。

自分が絞首刑になったように、こういうのは辛い。

もしかして未熟な外人なのかな、と思うくらいにテクニカが粗末なのだ。
それでいて舞台の脇で、コケティッシュに肩をすくめて
多分小粋、というつもりの笑みを浮かべる。

ギロチンの首が飛んだかというくらいに苦しい。

ああ....こういう踊りは絶対にやってはいけない。

オガジャの奥さんのマノーリが出てくるまでは
私はかなり苦しい時間を過ごした。

そうなのか、この頃はもうみんなああいうのをやりたい人ばかりなんだな、と悟った。

出てくる人、出てくる人、みんな足がうるさい。

カンテを所嫌わずぶった切る。
フアルセータの途中で切り刻む。

犯罪ではないかというような、うるさいグワヒーラも見てしまった。

ああ、と思い出す。
私がここの舞台でグワヒーラを踊った夜の事を。
歌は、フアルキートのお父さんのエル・モレーノだった。

なんていう違いかな、と驚く。
グワヒーラスという踊りは、とってもかわいく踊るものなのだ。
さもなければ、うんと気取ってエレガントか。
このどちらかしかない。
びしばしに踊ってはいけないし、扇子を能無しみたいにしまったまま足ばかりしてはいけない。

パコデルシアみたいなコンパスをやりたがるけれど
ああいうのが許されるのは、ああいう感覚を練習無しで持っている人だけなのだ。

それは誰だってパコみたいになりたい。

でもね、なれないものに無理やり成り切っては駄目なのだ。
やっていい事と、悪い事がある。

パストーラみたいなもの、ジェルバブエナみたいな踊り、
人間パーカッションみたいなフラメンコというのは、
そうならざるを得ないくらいに、それが自然の感覚として内蔵されている人でないといけないのだ。

分かっているけれど、憧れる。

で、凄く感覚が悪いのにできるだろうと思ってやると
こんなに酷い物になりますよ、という例を見せつけられた。
私は、批判していない。
強いて言うと、腕に焼きごてを当てられたように苦しい思いがした。

勉強としてやる事と
血肉になっていないのに舞台で踊るのとは別の事だ。

何の勉強をしてもいい。向学心、大いに尊敬に値する。
でも、それを舞台にかけてはいけない。
舞台で踊る物というのは、絶対的に自分のプロピオ・セージョでないといけない。

この夜見たものを、よぉく肝に銘じて覚えておこうと思った。
ああいう足は、汚くて見るべき価値もない。
パストーラの足は音質鋭く、小さく、粒そろいで、耳に心地良い。

名人の足というのはこういうものだ。
これが出来ない人は、エスコビージャなど短いほど良い。

同じスタイルの極上の芸と、真似できなかった失敗とを見た。
よく心して、覚えておこうと思った。


●2005年10月05日(水)

フラメンコ・ナイト

夕べは、体調を二日も崩して寝込んでいる水泳娘を残して
母様は 夜色の街に着飾って繰り出す。

人気の無い高速を飛ばして午前様の帰宅....堅気の家庭とはかけ離れた悲哀を少し感じつつ。
でも、やっぱりこういう思いをしないと夜の精霊に会えない。

夕べのパストーラは素晴らしかった。

カサデラモネーダという、ロスガジョスのほとんど隣みたいな所に新種のタブラオが出来てしばらくする。

夕べ始めて呼ばれて行ったけれど、舞台の狭いのに絶句してしまった。

うちの秋葉でやるスタコン、あの舞台より狭いと言ったらピンと来るだろうか。

もっと嫌なことに、四角い一枚半のコンパネの一メートルに迫る三辺に
びっしり椅子がコの字型に並んでいて、
手を伸ばすと踊り手に届くくらいの間際に
お客がひしめいている。130人くらいがびっしりと。三列くらいで。

ここで踊る?ふえーーーーー!!

一番最後の客として会場に着いてきょろきょろしていると
舞台最前列真ん中の一席だけが空いている場所から
美しいフランス人がひらひらと手を振る。

「特等席を確保してあげたのに来ないんじゃないかとドキドキしちゃつたわ!」ごめんごめん....

昼間から整理券を取りに行き
かつ開演前に列に並ばないと座れないらしい。みんなこの美人がやってくれた。

さて、私は息詰まる。
こんな木片でどうやって何か踊れるだろう?
間際に迫ったお客もうっとおしい。
ああ、どうしてこんなところで踊れるだろう?

本当にここにパストーラが出てくる?はみ出ない?

目前の木を見つめて、私は自分の不幸のように苦しむ。

結果。

この子は天才だと思った。

兄貴が天才なのは周知のことだけれど
こっちの妹も凄い。

つまりイスラエルの女版になったなと思った。
コンパスの難しいことといったらない。

それでいて何気に一瞬にしてやってしまうから素人は気付かないだろう。
足音の鋭いことこの上ない。
音質の最高であること疑いなし。
一昨日かなんかうちに来て雛人形にぼかんと口をあけていた子と同一人物とはとても思えない。

カルメン・アマジャの再来だなと思った。
ローラ・フローレスにも面影が似ていた。

それにしても、揺ぎ無いコンパスの人間パーカッションの
しなやかな肢体と、出だしから息もつかせない構成。
練習なしなのを私は知っているのだ。

10分前にささっと着いてささっと着替えて出てくるのだ。

ああ、なんて素晴らしいアーティストになったのだろう!!!
そしてなんと酷いギターと歌のパルマだったろう!

だからこそ、もっと素晴らしい踊り手の評価を出す。

間違いなく、このバックでやったら10人中9人が外していたと思う。
彼女の絶対コンパス感は、「共演」でなくて「障害」が邪魔していても揺るがないのだ。
凄い物を見てしまった。
みんなで外しているのに 一人で人間わざを超えるコンパスを引っ張って行くのだ。炸裂する花火のように激しく、くっきりと模様を描いて。まるで誰も居ないかのように。眉も動かさずに。


いやーーーーーー凄い!!!!

楽屋にお祝いを言いに行ったら
胸苦しいような粗末な楽屋で、うちに来た時と同じ女の子になってにこにこしていた。

ありゃりゃ....何これ???
さっきまでのかみそりの切れ味は、この人のどこにも無い感じだ。

「いい服ね、これ好きだナーー」彼女の開口一番がこれだもの。
お祝いを言っても、私の服を引っ張ったりして気が入ってない。

まいったなぁ、いつからこんなになっただろう...
いつ何処で会っても、とろんとした子で、
元気ぃ?なんてにこにこしていて、こんな立派な踊り手になっていたなんてちっとも知らなかったのだ。

スペインで最高峰の踊り手だと言っても全然過言ではない。

...そして私と美人のフランス人は
次の出し物に出かけていく...明日ね、続きは。

●2005年10月03日(月)

踊り込み

一昨日、パストーラ・ガルバンが家に来た。
兄貴のイスラエルが本日、マエストランサ劇場で踊るので
土日は一日中稽古しているという。


あんな天才でも、本番の前には苛烈な稽古をするらしい。
パストーラと二人、マエストランサはフラメンコに向かないわね、嫌ねーーーあそこの劇場、というので一致した。
オペラとクラシック用に作った劇場で2500くらい入る。
もっとかもしれない。
客席がものすごく遠い。
あんまり遠くて、自分はどうしたらいいの?てくらいに嫌な劇場なのだ。

音響も全然良くないわよ、あそこは。
パストーラが言う。
なんと言っても一番はロペ・デ・ベガだという。
本当にフラメンコにはあれが一番だ。
あれでも後ろの席になるとオペラグラスが要る。

火曜日に踊るから見においでという。
何時から?と聞くと九時始まりという。
アーーーー遅いなぁ...
終わりは午前様なのだ。

見たいなと思うのだけど、よっぽど
今日当たりから用意周到に計画しないと
午前12:00にお目目ぱっちり元気百倍にしておくには
稽古も控えめにしないと。
ハンドル握って下るだけでも嫌になる。

こんなに好きなイスラエルが
家から20分の劇場で今夜踊ると聞いても
めんどくさくて行きたくない。
自分の稽古が激しいと、夜に着飾って出る気がしない。
なんと言ってもスペインの夜って
10時過ぎからだからきつい。

しゃれのめして出かけても
午前様で帰る時分には、同じ人物とは見えないだろうっていうくらいにくたくただ。

スペイン人ってヨーロッパで一番宵っ張りかもしれない。
イスラエル、見たいなぁ、最近は又どうしているのかな。

●2005年10月01日(土)

衣装の考察


ここの所、着物文化を保存したいと思い続けているせいだろうか、ぺテネーラスの衣装をどうしようかと思えば
シルク、としか浮かばい。

バタデコーラで引きずり回すのに
シルクだとひとたまりもないだろうな、と思う。

それでもどうしてもこれでないと駄目だと思い込んでいる。

明日は朝早くから、コスチュームの相談に行かないといけない。
頭の中に絵が出来ている。
出かけて行ってさらさら描くだけだ。

また仕上げの期限で、戦争になるだろうな...

衣装の発注は いつも苦痛だ。

実際の舞台までに傷んでしまうくらいに、私は本番の衣装で
リハーサルしないと気が済まないのだ。

だからかなり前に上がってくれないといけない。

そうしないと衣装が踊りに馴染まない。
皮膚の一部にならない。

そうして、マントンだ。
刺繍と染めに出したりする

市販で希望の色が無いことが多い。
一ヶ月強かかる。
早くしないといけない。

男の踊り手は、何の飾りも無く
難しいコンパスを駆使して、硬派に決めるけれど、
女は衣装の動きが、すなわち踊り手の技になる。
フリルの一つも おろそかにできない。

本当は段染めにしたい。
白絹を買って、自分で染めようかしらん。
衣装を仕立ててからぼうっと染めるのだから
染めで失敗すると、バタなのにゴミ箱行きになる。

ゴミ箱に捨てる前に知らせてください、待ち伏せします、て来そうだ(笑)いい練習用コーラになるに違いない。

これからデザイナーに電話して、仕立ての予約を
割り込ませてもらわないといけない。
どうして早く来ないのよ!?と言われるな、又。

ぺテネーラスを歌ってもらったら
彼女がユダヤ人だという一節があった。
美しい、ユダヤ女よ、どこに行く?
そういう一節だ。

ホーソンの緋文字みたいに、彼女は人々の視線から逃げる。

ぺテネーラスの人格を考え続けている。

踊れば、僅か11分のことなのだけれど、ああ、中々
これが、容易ではない。
下手をするととても退屈になる。
情熱のフラメンコの対極にある、この黒い精霊の歌は
地の底から這い出して来るような、不思議と憂鬱と悲哀がないといけない。

衣装は段染めにしたいなぁ....辻が花みたいな。



●2005年09月30日(金)

真夜中のぺテネーラス

夕べ遅くまで黙々と踊りこんでいたら
振付けられたものなんか雲散霧消してしまった。

これでギタリストが曲を作ると、また変わる。
歌い手が上手いと益々変わる。
本番になると又全然違うものを即興するのだ。

私はこれで生涯行くのだな、と思う。
決めた事なんか踊れない。

今朝、最後の仕上げ(始めてまだ四日)だから歌い手とギタリストに来てもらったら、振付家の様子がすごくおかしい。

言うとおりに踊らないから機嫌を損ねているのかな、と思っていたけれど、後から全部謎が解けた。

早朝からスタジオにビデオカメラが仕込んであったのだ。

私がその辺りに立っていると、どけと言うのだ。

振り付け師の後ろに立っていて何の不都合があるだろう???
どかないでいるとついに、録画しているんだからどけと言う。

これは私の専属のギタリストで、歌い手なのだ。

そして踊っているのは私で、振り付けはほとんど自分の物だ。

許可も願い出ないで、私がスーパーバイズの支払いをしているその時間内に、私の作品をこの振り付け師は、録画している。
ギャラを貰いながら。

あまりの厚顔に誰も口が利けなかった。

ばれてしまったらもう繕いもせずに、カメラを担いで録画し始めた。
私は、こんなに厚かましいと、もう怒る気にもなれない。

一度は太い釘を刺した。「この振り付けを日本で20人でも見たら友情もここまでよ」と。
うんうん勿論、これは自分のために録画しているんだよ、と苦しい言い訳をする。

自分のためだって?そんなわけないじゃないの。
益々、胸が悪くなる。
悪いけどあんたの振り付けなんかより、私のが上よ。

もう、じゃんじゃん、彼抜きで初めから振付けてしまう。

撮るなら撮りなさいよ、そういう気持ちになってしまった。

沈静した怒りを感じたけれど、誇りが傷ついたのは相手だと思う。
多分、傷つかないからやるのだろうけれど、客観的には、そういうことだ。
カメラに収めたいくらいに欲しい人の負けなのだ。

なんだこんな物、持ってけ 泥棒
宵越しの振りは持たねぇ、
熨斗つけてくれてやらぁ、ざます(笑)

スタジオを出てくると、歌い手もギタリストも苦笑していた。

ミーティングも混ぜてギタリストを三時間も拘束してしまった。
それなのに、今日の分はいらないと言う。

ガソリン代くらい出させて....
がんとして受け取らない。

お気持ち、ありがとう!申し訳ないわね。

まぁ、幸先いいじゃない?
すごく上手いギタリストと
すごくいい声の歌い手と
悪くない振り付けらしいお墨付きをもらったのだから。

力が湧いて来たぞ。
私、このヌメロ、よくやれそうな気がする。
昔、できなくて良かったのだ。
きっとあの年頃では力が足りなかったに違いない。

これは本当に重い踊りだから、
栄光を手にしてフィニッシュを決めるには
相当の年季が要る。

スペインのこの四半世紀で、マヌエラ・バルガスしか踊った人をついぞ記録に見ない。

派手なリズムも追い上げの足もない。
呪文のようなメロディが続くだけなのだ。

週末にパテルナの村に行って来よう。
ぺテネーラス発祥の地
実在したという、妖婦、ぺテネーラス
踊りに霊感が宿るかも知れない。













●2005年09月28日(水)

振り付け師

自分の踊りを 人に振付けてもらった事がない。

私の第一歩だった全日本のコンクールに出た時ですら、先生に振付けてもらっていない。

20代の頃からずうっと、人に振付けてもらった事がないのだ。

バタもマントンもブレリアもみんな自習の賜物だ。
そうでない勉強の仕方を 私は知らない。

今年は、自分のフラメンコを一から更新しようとーつまり始めて習うみたいにー振り付けを三人にお願いしている。

それで行き詰っている。

全然覚えられないのだ。
相手は驚き呆れている。
私の芸歴が長いのはみんな周知のことだ。
もしかして上手い踊り手なのにな、て思っているから
ついにどうしたのかと聞かれる始末。

ほおんと、どうしてなのかしらん。
夫に聞いてみる。
「やる気がないからだろ」
そんなぁ....でも...そうかも案外。

反省してみる。振付けられている時に何をしているか。

ああ、ダッサイ振りだな、と思ったりする
ま、いいや、ここは流しといて後で自分で研究しよう。
つまんない足だなぁ、左右逆にしたら違うかも。
後で手を入れてみよう。

その時は意識していないのだけど、どうも始終こういうことを考えているようなのだ。
嫌々やっている時もある。
中々悪くないと思う時でも、あとでもっと効果を考えようとしているのだ。

一心不乱ということがない。

これ、正しい生徒の態度では勿論ない。

だけど端から見るとただの薄馬鹿に見えるに違いない。
不名誉極まりないけど、頭の中はぐるぐるめぐっているのだ。

他の人はどうなのかしらん。
やっぱり私のように薄馬鹿の仮面の下で
二重人格みたいに考え込んでいるのかしらん?

本当の馬鹿だったらどうする?

明日カンタオール連れていってぺテネーラが仕上がる。

そこから私の振り付けが始まるのだ。好き勝手にメスを入れるぞ。早く上げてしまって好きに料理したい。
やっぱり振付けられた物はとてもじゃないけど踊れない。







●2005年09月27日(火)

 もう10月が目の前だ。
ぺテネーラスの振り付けがもうじき終わる。

日々踊り込みに苦しんでいる。

この、魔性の女
ほの暗い闇の中から浮き出る人物像
心惹かれるその数奇な半生....

男達が次々と破滅したというぺテネーラスの語り歌
そして不吉なこの曲は、ジプシーが歌いたがらない

昔、タブラオ時代にこれを舞台に上げようとしたけれど
誰もが嫌だと言った。
彼らの迷信深いのに驚いたものだ。

ちなみに当時の私の歌い手は、あの、クーロ・フェルナンデスだったけれど
「子供に誓ってこれは僕はやらない」、と拒まれて
へぇーーーーー、そうなの!
私は驚いたものだ。

ギタリストも嫌だと言う
みんなやらないと言う
....じゃ仕方ない。お蔵入り

一度も踊っていない唯一の曲として仕舞い込まれた。

あれから15年、閉まった扉を開けてみる。

今度はやれるだろうか....
あの、心惹かれる魔性のぺテネーラスを。

べテネーラス
誰が名付けたのか....
名付け方を知らなかったに違いない
お前は呼ばれるべきだった
男達を破滅させる女と。

黒い、黒い、ぺテネーラスの曲が流れる
黒い情熱の底に赤い血がたぎる
黒と赤の情熱を闇のマントにくるんで女がたたずむ

では又、痛む足に靴をつけて初めから稽古するかな
休み時間の短いことよ、と嘆息一つ

一月公演のプログラムその一の目玉。
気を入れて。

http://www.flamencoole.com/

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