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2006年01月のセビリア発信・つれづれ草
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●2006年01月09日(月)

今日は、出発前もう数時間というのに鬼のように総稽古の最終を主張。.....さて遅刻して来るかな。


女一人で六人の男を扱うのは、猛獣使いと同じだ。

骨が折れるけれど、主旨は絶対に折らない。
ここが本当にきつい。
ただ踊るだけだったら楽勝なのだけれど。

踊り手の二人とは、ほとんど友情に似た親近感が生まれている。
私達三人は、よく互いを理解していいチームワークが出来ている。
どうしても振り付けが今ひとつ気になるので土日も休まず
手直ししたいと言えば、凍てつく休日の朝でもびしっと来てくれる。
昨日の日曜はかなりの完成度で出来た。
私は二人の踊り手にとても優しい親愛の情が湧いた。

直情型の純情で朴訥な男性像をへスース・アギレーラは好演する。男らしくて本当に上手い踊り手だ。

バイラオールよりバイラリンに傾いているアカデミックなフランシィは、繊細な感じが良く出る。

全く違うタイプの二人の男性像は、私の作品を豊かにしてくれそうな気がしている。

二人の歌い手は、生れつきの声が素晴らしい。
これぞフラメンコという声に恵まれていて
二人がコーラスで嘆きを交錯させると、本当に獣の叫びのような
素晴らしい効果が出る。

ペドロのギターは、私の好みからするとモダンに傾いているけれど透き通った素晴らしい音色が出る。
ミゲルの控えめな情緒がうまく合奏にマッチする。

最高の状態で舞台に上がれればいいのだけれど。

後は運を信じて出番に臨むだけだ。
何度やっても苦しむ。
あんまり苦しくていつも引退したいと思う

では皆さん、私達の実力を信じて椅子に掛けてくださる信頼に
精一杯応えられるよう、頑張ります。
それでは会場にて。

●2006年01月03日(火)



昨日までは自分は世界一下手な踊り手なんじゃないかと
疑いを濃くしていた。今までの半生の何時、上手かったろうと考えても思い出せないくらいだった。

新しいバタデコーラが微妙にしなるので
なんだか扱いあぐねていて これはもう駄目かと悲観した。

もともと自分は物凄く下手なんじゃないだろうかと苦しみに打ちひしがれた。

今、夜の部の練習から帰って来る時に星が美しく近く見えた。

ペテネーラが突然飛躍的に上手くなった。

今朝はまだ普通だったけれど
さっき一人で稽古していたら、バタも体の一部のように一体化してやっと曲が寄り添って来た。
バタと曲と私の振りがみんな合体した。

スカートが私の感情の波と同じに動く。
エスコビージャがへスースの15分のマルテイネーテと比べて遜色があると思えないくらいに良く出来た。

明日、彼らが見たら驚くかも知れないと思った。
こんなに簡単な足でこういう風に見せるのかときっと感心する。

私は足は簡単なほどいいと思っている。
簡単な足ほど難しいのだ。
簡単なのに難しい足をとても困難な上体で踊るのだ。

私はパーカッショニストの踊り手ではなくて
視覚の踊り手だ。

こういうのは音楽家のペドロや歌い手達にはよくわからないみたいだ。
でも、明日見たら、そういうことだったのかときっと少しは分る。

今日のペドロのギターはいつかのペテネーラとは打って変わって本当に感動的なフアルセータだった。

今夜その録音で振り付け直してみると、素晴らしく感動的だった。
ペテネーラの精霊が呼び寄せられたみたいな不思議な一体感が感じられた。夜の11時のペテネーラス、朝の10時を超える。

私はとても感動して、もう踊りというより、そのままの悲しい辛い気持ち、暗い情念と苦しみと何か透明なものに満ちた。
舞踊を超えた気がした。

上手く説明できない。

鏡の向こうに、の時もラストでもう、演技でもなければ
舞踊でもなくて、私の魂の全部が舞踊に形を取ったような
自身の意識は無になっていた。
そうして本当にとても悲しくなるのだ。
あのラストの鏡台で、私は悲しみで立ち上がれなくなってしまったけれど、舞台監督が助け起こしてくれてやっと現実に戻った感じだった。

今日のペテネーラスも一人ぼっちの稽古で、あれに似た感じがした。
バタデコーラはもう新調のただの衣装ではなくなった。
ペテネーラの感情の波になったと感じる。

コーラ無しで表現することができない。
私は視覚の、しかもバタデコーラの踊り手だ。

ペテネーラスのプログラムは、冒頭がいきなり結末です。
普通はテーマが最後に来るのですが、一番先に踊られるのが
主題のペテネーラです。
遅刻すると、逃してしまいますよ。
生みの苦しみのべテネーラスですから、一見の価値はあると思います。
あと、六日、踊り込みます。

明日も朝が早い。食事して寝ないと。

●2006年01月02日(月)

女に好かれない女は
感動しないか?

いや、するかも知れないと思い始めている。

感動ではなくて、共感

ああ、ああいう生き方ができたらな。

絶対に起こりそうにない人生への憧れ。
もしかしてこれから起こるかも知れない、可能性への憧れ。

人の心理に見え隠れする
悪への憧れ....これだ。

奔放に生きることへの密かな夢

女性の胸の奥に注意深く隠されている意識と
願望。

ペテネーラは、もしかしたら全ての観客の
まだそうは生きられなかった
もう一つの生き方かも知れない。

又は、客席に、
あら、私みたい、と思う人がいないとも限らない。

だからやっぱり、この伝説はやってみる価値はあるなと思う。

この伝説を読んだのが12歳って、おませ?
なるほどぉ....
詩を読んで見てなんとなく分った気になっていた頃の私は、まだ本格的にフラメンコを始めていないバレエ少女だった。

ああ、いつかこの役やれるかな?
そう思った瞬間から幾星霜(爆)

今までのどの瞬間にも、もうやれると思ったことが無かった。
毒婦。
さて、出番だ。




●2006年01月01日(日)



暮れ...

新体操娘は合宿していていない

水泳娘はグラナダで殺人的な強化合宿からげっそり面やつれして帰って来た。で、もう今朝は大晦日だというのに朝の七時から訓練に行っている。

この上の娘は無口で言葉数が少ないから、必要最小限のことしか言わない。
それでもグラナダの富士山より高い山のある、標高何千メートルだかの、ヨーロッパで一番酸素の少ない訓練所での合宿は壮絶だったと語る。息ができないらしい。続かない。

朝の七時にプールに飛び込んで一日が始まる。
このプールが温水なんかでは勿論無く、シェラ・ネバダの雪解け水を張ったプールなんだそうだ。
氷が浮いてる。
目覚めた途端にこの水の恐ろしさに、みんな身震いしたそうな。

訓練はとめどもなくプログラムされていて、
最終の泳ぎが夜の11:00だったというから
私はモニターは何を考えているのかな、と思った。

ドイツからまたもやオリンピックチームが来ていて
一緒に訓練していたらしいが、この雲を突くような大男達を見かけているのも なんとなく恐ろしかったと娘が言う。

もう聞いているだけで気が沈むので
ああ、もういいから、と止めないといけなかった。

うちでは誰も私の公演の事なんか歯牙にもかけてくれない。

この薄ら寒いのに氷のプールだの、片面風の吹きさらしの体育館で猛烈な訓練をしている選手達には、そんなにきつい仕事とも思えないのだろう。

さぁて、同情されないところで私もダッシュにかかろう
暮れも正月も無い。





●2005年12月30日(金)

べテネーラの人格をどうしようかと 物凄く悩んでいる。

最後にどうなっても
誰からも同情されないような女になりそうだ。

前作の鏡の向こうに、の女性像は
心に通う物があったから
人々の気持ちに清潔な儚い、悲しい感動を呼び起こすことができたけれど、今度のは女には好かれそうにない人物だから
最後に感動がきっと無い。

感動しないと つまらないと思われるかもしれない。

最後を感動で〆たいと思うと
人格の解釈を違う観点からしないといけない。

そうすると史実と違ってしまう。
ペテネーラの詩と違ってしまうのだ。

 これは作品にする時に脚色しても構わないはずなのだけれど
今度の場合は、私一人とペドロと踊り手達で対立意見になってとても勝ち目がない。

史実に忠実、詩の通りにして、感動できない女性像で
舞台は終わりそうだ。
これは賭けになってしまう。

最後に観客は「感動」に至らないで、なるほどそういう女だったのか、と「納得」する作品になってしまう。

困ったなと思う。
人は感動したいのだ。

ペテネーラは、妖艶な悪い女で
曖昧で、気まぐれで、筋が通らない女なのだ。

女性に共感されることが絶対にないまま
村八分にされる。

かわいそうで悲しい女性だったから、辛いお話なのではなく
彼女をめぐって、男性が破滅して行き、
それゆえに、彼女に悲哀がつきまとうのだ。

古い時代の堅気な家庭の主婦には
目の敵にされた女性だ。

Mujer Fatal

やれるかな?もう...辛い役どころだ。難しい。





●2005年12月29日(木)

今日の総稽古は白熱だった。

今更ながらだけれど、一級のアーティストってこんなに言葉少ない説明だけで、後は黙々と自分でやるんだ....と驚いた。

ペドロが「自分が振付ける」と言っていたブレリアだけれど
私は言葉を真に受けて、何か「ここはこう、次にこう、ちょっとやってみて、うん、そうそう...」こんな風な情景を思い浮かべていた。ベジャールの振り付けみたいに試したり、やめたり、あの人ほど時間はかけなくても、少なくても「何分かは」試行錯誤をやってみるのかな、と。

そうしたら昨日いきなり弾き出して、パコデルシアみたいにあごで歌、踊り一コンパス、とか指揮者のように檄を飛ばして 良し、て感じで終わった。

ざっと通してみたんだなとぼんやりしていたら、どうもそれが彼の「振付けた」らしかった。

間抜けなことに、この事実が分ったのすら一時間後だ。
それっきりやらなかったから...

二人のバイラオールは、がたがたがたっと、なんか足を研究している。おお、これだ!これならぴったりくるぜ、とか言い合っているのを何となくぼんやり見るというか聞いていたのだけど、ペドロがちらっと一度きりやったフアルセータに足を組み込んでいるだなんて夢にも思わなかった。他の事で忙しかったし。

今日になってから16コンパスの後に7で終わるリズムをやっていたんだと知る。え?何?これ、私もやるの?
笑っちゃおうかな....もう....

さすがにこういう凝ったリズムは何コンバスって数えるらしい。

私は言わずと知れた数えられないバイラオーラだから16コンパスなんて長い道のり、数えるのは初体験だ。

ウインドーズ98で十分気に入ってる、と思っていたけれど
周りがみんなXPになっていると、気に入らなくても自分もXPに突然ならないといけない。=フラメンコの話よ、分る?

「新幹線で通り過ぎているのに、駅の広告を読むみたいに難しい足のコンパス」を年末の宿題でやらないといけない。

もう、笑うしかないかな、と思っている。
こういうものは、いくら偉大なアーティストのマテイルデでもぺパ・モンテスでも絶対にできないだろうな、と思う。

ああいうふっくりした踊り手は、ペドロのギターにも似合わないけれど、見掛けが若くて細いというだけで、本当はぺパ・モンテスなのにぎんぎんの最新フラメンコをやらされてしまうなんて!

フランシーとのデュオのシギリージャが今日、最終稽古を終えたけれど、ペドロが手が駄目になりそうだというくらいに、きつい。

へスースとのAプロのタラントも物凄い。

私の二人の相手役は、28歳と30歳の血気の若者だ。
経験も十分にあって旬のお年頃の男性は、力が余るほどあり、駿馬のようにバイタリティに溢れている。

これに対抗馬として二人相手にしているんだから、もうこれだけで表彰されてもいいかもしれない。

と、慰めたところで、さぁて年末は宿題のモザイク超特急コンパスの克服だ。

私って本当に貧乏暇無しだ。あーーーーあ。








●2005年12月28日(水)

うなされる夜

アーティストが公演前に告白するのは、どうかと思うが
生徒のためだったら、これは芸の本質を知る上で役立つ。

昨日の総稽古は上手く行ったと思っていたけれど
夜更けてビデオを見てみるととんでもなかった。
細部にわたって気に入らない箇所の連続で、そのままベッドに持ち込んで何度も検証して目を覆わんばかり。

新体操娘を揺り起こして、ちょっとこれ、見てみて。
最近、プロ並みの心眼を持っている私の下の娘は
一秒の半分くらいの速さでありとあらゆる舞踊の欠点を指摘するのだ。
ねぇ、これどう思う?

私と同じ意見をすらすら言うので、もう夜の眠りはどこかに吹き飛んでしまった。

疲れているからもう休まないと、と思う傍から
ああ、あれがまずい、これが馬鹿らしい、あそこが足りないと
次々と浮かんでくる。
気がつくとベッドの下で足をガタガタやってる。
起き上がってサポーターをつけて何回もフィニッシュを研究しだす。もう、狂人としか見えないだろうな、こうなると。

三時を回ってから本当にこれはいけないとキッチンに下りて
ナイトキャップをしてみたけれど、随分長いことお酒をたしなまないから、本当に気分が悪くなってしまった。

夢の中でガデスが出てきて、ホセ・アントニオが「彼は踊りがまずいと直後に吐くんです」と証言している。

娘のノエリアの乳母車に人影が射すから誰かと振り返ると
クリスティーナ・オヨスが悄然と立っている。私は今読んでいたばかりの彼女の前夜の舞台批評の隠し場に困る。新聞に酷評されていたのだ。

なんでこんなことが夢に出てくるのだろう、と夢で考えている。これらは夢でなくて現実に起きたことなのだけれど、私は過去の現実をよく夢で追体験する。

そうして思い出と夢と夢の中の思い出と、なんでこんな夢を見る?と疑って分析している脳との間で焦燥しきるのだ。

明け方にびっしょりと寝汗をかいて、まだあのシーンは変えないと、と思っている。

朝になってペドロが珍しく一番乗りでやって来たから
あのシーンは変えるわよ、と言うと
言い合いになって押し切られてしまった。
どうあがいても妥協してくれない。
踊り手たちが集まると、アキコが君達は駄目だと言ってるとケロリとばらしてしまう。

いや、これはちゃんと上手くやれると二人で猛烈に稽古しだしたので、もう止めようがなくなる。

あんなに一晩中苦しんだのに、お昼過ぎには、そんなに悪くないかもしれないと思い始めていた。

あーーーーーー疲れる、馬鹿馬鹿しい。





●2005年12月27日(火)

ペテネーラの衣装が素晴らしい出来でとても嬉しい
スタジオに掛けて置くだけで、妖気が漂う。

又、もうあなたの衣装は二度と嫌!!
と言われた、いわく付きの他の衣装も本当に良い出来だった。

ここ近年、ずっと薄物のドレス生地にばかり心惹かれるので
縫う人には並な苦労ではないらしい

シャンタンの素晴らしい刺繍生地も輝くような美しさで上がって来た。どれもこれもいいものばかりで、やっぱり熟練の洋裁師は違うと感心した。

最近しきりと引退を匂わせるので、恐々としている。
彼女の作る衣装は踊りやすさが全然違うし
まとっただけで作品に意欲が湧くのだ。

先日、仮縫いの時に日本に行くというサンドラ・ゲレーロと鉢合わせた。びっびたに詰めてタイトの上にもタイトにするので
仮縫い師は悲鳴をあげていた。

帰りがけに犬の散歩を口実にサンドラをアトリエに置いて先生が出てしまった。
私が目を丸くしていると、あの人とは年中喧嘩よ、と笑う。

アレグリアスの衣装は少し地味かもしれない。
プリーツ加工に一ヶ月もかかった。
地味なのだけどなんとなく甘い品の良さの漂う衣装だ。
こういうのもたまにはいい。

無地は美しい。照明の技が映える。

ああ、憂鬱だ。明日の朝一番で総稽古だ。
何度やってもドキドキする
気分が悪くなるくらいだ。





●2005年12月24日(土)

後部座席に出来上がった衣装を山のように積んで
ペドロの家に寄る

パトカーが道を塞いで進入禁止だと冷酷に言う

そんなぁ、この道からしか入れないのに...

じゃあ二階建てバスが終わるまで待つんだね、と言う

何の二階建てだってぇ?ぼかんとしている私の前を

お菓子とおもちゃをいっぱい積んだバスがのろのろと横切っていく。

べドロの家の沿道にひしめく人に次々と投げる
おもちゃとお菓子の奪い合いだ。

スペインでは一月六日がクリスマスで、山車が出るのだけど
ペドロのところでは23日の夜らしい。

私は忍耐してバスの後ろにじっと待つ
ペドロが察して来てくれたので車に乗り込んでもらって
花吹雪とキャンディーの雨の注ぐ中で
ペテネーラスの曲の打ち合わせをする。

せっかく作曲してくれたけれど、私の思っているのと
イメージが違うからこのクリスマスになんとかいじってみて欲しいと説明。
この人のいいところは、こういう要求に気を悪くしないところだ。
フランシスとのタンゴも火曜までに全然違う趣向で
作曲して欲しいと頼む

ここを右に出て山車から逃れてね!!
メリークリスマス!と抱擁し合って別れる。

が、山車は全然進んでくれない。

仕方ないからドアを開けて、道にばらまかれたキャンディーを拾って口中に投げ込む。
スペインでの暮らし方はこうだ。

ハイウエイを飛ばしてスタジオに戻る

水泳娘が合宿から帰って夕食についている気配を感じる
早く合流したいな、とじりじりしながら2時間ばかり稽古する

へスースのマッハの締めをおさらいする。
これ、難し過ぎよと抗議したのだけど
なぁに君ならやれるさ、クリスマスって暇があるしさ、と一蹴されてしまったのだ。

二人の違う個性の男性とのデュオは、本当に何年分かの勉強を一気に強いられる感じだ。
二人の男性に踊らせてラクしようとちらっと思った気がするのだけど、さぁて、どこで番狂わせになったろう

とんでもないことになっちまったぜ!




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