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2008年01月のセビリア発信・つれづれ草
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●2008年01月31日(木)

王立舞踊学校

昨日は 下の娘が舞踊学校の劇場で踊るというので
見に行った。
この王立舞踊学校は、1929年のイベロアメリカ博覧会の時の
それは立派なパビリオンを改装したものだ。

パビリオンというと現代のモダンな建物と勘違いするが
20世紀初頭のそれは まだとても古いロマンチックなドーム天井などを取り入れた お城のような建物だ。

舞踊学校には 広大な建物の中に
300人近く収容できる専用劇場がある。
客席は二階もある素敵な馬蹄型で、
天井から何から
マホガニーの分厚い木材にこれでもか
という程に彫刻がほどこされている。

舞台も本物の木材で 
大昔の映画に出てくるそれを彷彿とさせる。
なかなかいい劇場だ。

朝の10:00だというのでー勿論学校は休まないといけない。凄いですよね 平然と義務教育を休ませるー朝のハイウエイの混雑を見込んで 早めに出たりしてそれは大変だった。

なのに 王立の先生達に挨拶すると
「今から?」と怪訝な顔をするのだ。
「どうして?そこら辺に座っているわ」と答えると
「だって始まりは12:00からよ」
と言うではないか!!

2時間も待てる物ではない

おのれ、バカ娘を見つけたら
ただではおかないと 腹を立てる私だ。

どうしてうちのこの娘はいつもこうだろうか。

運動神経は並外れていいのだけど
あとは本当にとんちんかんで どうしようもないのだ。

もう、50人中多分下から二番目だろうというくらいに
ぼんやり うっかり、あっそうだった!の常習犯なのだ。

これが一旦踊りだすと 人が違ったとしか思えない俊敏さなのだ。このギャップが激し過ぎる。
家族は、みんな着いて行けないくらいだ。

仕方ないので ぶらぶらと向かいのマリアルイサ公園を
散歩していると公園内に ビエナル事務局を見つけてしまった。
おお、暇つぶしにちょうどいい、今年のプログラムでも聞いて
HPのみんなに発表サービスしよう、と建物に入る。

まだ何にも決まっていない、という返事。

それなのに 突然相手は私に興味を抱いて
私の何もかもを全部知らせろというのだ。
バイラオーラだとも明かさず、
ただの物書きだと言ったのに
一体、何?

不思議ですよねぇ...
情報収集に行った人間が
あっちにとっつかまってどうする?あはは

中身の濃い朝でした。






●2008年01月29日(火)

ゲホゴホ日本史早見表

子供が学校の歴史の授業で
第二次世界大戦以降の日本の近代化について
研究発表をするように教師に指名されたと言う。
クラスで唯一の「参戦国、日本の国民」だからだ。

「日本が着物をやめたのは、何時?」
いや、着物はやめてない。
明治、大正、昭和の半ば過ぎくらいまで
着物は根強い支持者に支えられていたのではないだろうか?
おいらんから始まって 日本のコスチュームの変革を
いっぱい見せてやる。大正時代のモガ、竹久夢二のイラストも
出してやる。日本髪の種類。

鹿鳴館時代について少し語る。
斬髪令について語る。

日本の近代化は世界大戦以降ではない
なんと言っても明治維新を抜きでは語れないのだと説明。
スペインの歴史の教師は もしかして知らないのではないだろうか....?


幕末の江戸について語る。
黒船の到来について語る。
フォン・シーボルトとその弟子について語る。
日本初の女医、イネ・シーボルト。

鎖国と徳川300年、最後の将軍について語る。

天皇制について四苦八苦しながら説明する。
エンベラドールという翻訳は正しくない、天皇家は
カトリックにおけるバチカンのような理解の方が正しい。
神道の総本山なのだから。現人神について説明して子供の目が丸くなる。

世界に例を見ない大政奉還の意味とフランス、ロシア革命の違いについて
ここを先途と熱弁をふるう。徳川慶喜の英明、民族としての潔癖。


清国とアヘン戦争、欧米の植民地への野望を説明している辺りで
私はついに胸がつまって涙が溢れてしまう。

第二次世界大戦の原因を話す。
ルーズベルトとチャーチル、核爆弾、ヤルタ会談
広島 長崎の後に宣戦布告したロシアについてーもうこの辺りになると
私は平静で居る事に苦労するー胸にさざ波が立つのだ。

ゼロ戦と特攻隊、天皇陛下の終戦のラジオ放送を話してやると
私はここで三度目に泣いてしまう。
この放送の後で 人々が路上にくず折れて嗚咽する様子を
いつかドキュメントで見た時から 私は必ず泣いてしまうのだ。

堪えがたきを堪え、偲びがたきを偲び、を娘とスペイン語訳する。

...やれやれ

この子が生まれた時から いつかこの日が来ると分かっていたけれど
ー学校の歴史の時間に 真珠湾を含む解釈について何か発表させられるってー
よりによって、人が38度の熱でやられている日曜日にかえ?

いやーーー大変でしたぁ...
日本史ダイジェストを一日で!

いきなり聞かされるあっちも大変そうでした 笑

江戸から昭和までの衣装の返還を絵に画いて、
北斎や写楽の全集を抱え、真夜中までかかって書いていたレポートを持って
なんだか勇ましく 娘は学校に出かけて行きました。

やれやれ....果たして如何に...



●2008年01月25日(金)

衣装 その三

ついでに衣装の管理も...

スペイン人ってお掃除好きで
家中ぴかぴかにしているのがほとんどの家です。
台所も天井までぴかぴか
お玄関もぴかぴか

この家では本読む人も居ないの?
というくらいに読みかけの物がだらしなく出ていたりしないし
電話の横に なんかのメモ走り書きがあっても良さそうなのに、
無い。

生活臭がしないくらいに きちんと片付いている家というのが
普通。

たまーーーに、うちみたいにメモが散乱している家が
100件に一件くらいでは あるかもしれないけど
大概の家は、デパートの家具売り場みたいに片付いている。

そういう国民性のフラメンコは
衣装もきっちり洗ってアイロンして
コロンなんか振りかけて丁寧にしまってあります。

楽屋でもハンガーに掛けただけでは心配で
家からシーツなんか持ち出してきてカバーまでしておく。

私はプロデビューしてから
こういう先輩のお姉さん達に囲まれて
なんとなく 衣装っていうのは
踊り手の命なのだから 
こうやって大切にするものなのだな、と
悟ったような気がします。

踊り終わって 楽屋で脱ぎ捨てて 
それを踏んずけちゃうなんていうのは 勿論あり得なくて
裏返しにして汗を乾かして 始末しておく。

花やイヤリングもお菓子のカンに大切に整頓して
いつでも困らないようにしてある。

発表会で時々私が驚くのは
平気でマントンでも
衣装でも 床にどさどさっと置いておいたりする
子達が居る事。

お姑みたいですが
あれは駄目ですよ。

昔の踊り手は あの気の遠くなるようなバタデコーラの
木綿のフリルに糊付して
アイロンを当てて管理していたくらいなのですから、
ポリエステル時代の私達は
せめて丁寧に 大切にしましょう。

あの素敵なミラグロス・メンヒバルは
髪飾りなど手作りしていました。

何の変哲もないようなプラスチックの飾りグシに
ビーズで図を描いて一つずつ工作して接着剤で留めて行き、
それはきれいな花櫛にしていました。

イヤリングもお揃いの図柄で作っていましたね。
昼間お家にたまたま遊びに行ったりすると
こういう手芸をしていました。
あの素晴らしい、華やかな踊り手のミラグロが。

小言が言いたくて書いた今日のつれづれではありません。

フラメンコと言う伝統芸能の
その楽屋がどんな伝統と習慣で営まれて来たのかも
知って欲しいのです。

ビセンタの美しく結い上げた銀髪と
それはどこか通じる スペインの女性の
きりりとした清潔な潔癖な、女性らしさ
古き良き時代からずっと引き継いで来ている
この国の女性たちの あり方なのです。

●2008年01月22日(火)

カルメン・アマジャの衣装


カルメンと言えば 衣装。
この人の衣装が凄い。
いつでも 最高級の衣装しか身につけない。
お抱えの衣装製作家がいて この人を全世界に連れて行く。
まるで姉妹のように親しく傍に置いたという話しです。

誰が言ったか?
この衣装を作っていたご本人のビセンタから聞きましたよ。

 私がスペインに渡った80年の暮ごろから
フラメンコで有名なトリアーナ地区に住み始めたのですが
そこのお二階に住む家族のご主人のお母さんというのが
カルメン・アマジャの衣装担当だったのです。
偶然です。

私がその頃は自分の衣装は全部手作りしていたのですが
ここの二階の家のミシンを借りていました。
スペインに渡ったばかりでまだ家財道具も持っていなかったし
ミシンなんて更に留学生には 最後の買い物というものでしょう。
それで ことこと足踏みミシンをかけていると
よく傍に来て、どんな衣装にするの?なんて
話しかける銀髪の美しいお姑さんで
洋裁が得意なのだというのです。

六枚はぎね、とか タイトの袖に脇下に三角のマチは入れるの?
なんていう本格的な質問が返ってくる。
もっとこうしたらどう?
ここにこんな切り替えは?
なんていうアドバイスも堂に行っている。

ただの洋裁好きのおばあさんではないな、と思っているうちに
あの天才バイラオーラのお抱えだったと知るに至るわけです。

それからはもう、カルメンの衣装のスカートの裏に隠された
縫い目とか 一枚仕立てに見せて実はいくら回っても太ももがあらわにならない 仕掛けとか、沢山の秘密の裁断と縫製を
楽しく楽しく聞いたのでした。

思えば あの初期の頃の何年かは
本当に新鮮な驚きに満ち満ちていて 幸福でした。

今はこういう老婦人は少ないけれど
この人は銀髪を首筋のところでマゲにしていて
フラメンコの踊り手そのものの品の良い髪をいつもきちんと
していました。昔のスペインは こういうご婦人で溢れていたのです。モーニョというあの髪型はとても女性を気高く美しく見せます。
昔のおばあさん達は 今みたいにジャージ来てその辺に出てこない。きちっとモーニョを結って クラシックな服をアイロンびしーーーーっとかけて着てましたね。

なんていうか古い時代の良きスペインの主婦は
こうだったのだなと 理解できた最後の年代だったなと
今だから思います。

昔の踊り手はとても身だしなみがよくて
今みたいにポリエステルの無い時代に
あの延々と続くフリルの波をアイロンかけていましたとさ。
気が遠くなるような 木綿の糊付したバタデコーラのアイロンです。

舞台衣装もお金を惜しみませんでしたが
仕事に行く時もどこの令嬢かというような服装で行きます。
一分の隙も無い格好で フラメンコのアーティストは仕事に行ったのでした。

続く...

●2008年01月17日(木)

フラメンコーカルメン・アマヤについて


BBSでカルメン・アマヤのバリージョに言及できなかつたので
ここで。

カスタネットは スペイン舞踊の楽器で
もともとのフラメンコにはこれは無かったというところまではご理解いただけましたね?

さて、伝説的なバイラオーラのカルメン・アマヤですが
(スペインではアマジャと発音しますが)
この人の事は悪く言う人が居ません。
ほとんど言えないです。
なぜならフラメンコの元祖のような存在だからです。
たとえば 彼女を絶賛する人は誰かと言うと

マヌエラ・カラスコ
パコ・デ・ルシア
マノーロ・サンルーカル
トマティート
ドランテ
イスラエルとパストーラ・ガルバン
このパパのホセは勿論のこと。

対極に居るはずのマテイルデ・コラールだって
何も言えないと思います。

とにかく黒いものを白いというくらいに誰も何も言えないです。
そのくらいに物凄いジプシーの踊り手でした。
20世紀に君臨した代表的ダンサーです

彼女はハリウッドにも行っています。
彼女の踊りを見て触発されたクラシックの作曲家も沢山いたということです。みんなしてスパニッシュ風の作品を残しています。

さて、このくらい言えば確固たる存在だったと分かりますね。

彼女の他の追随を許さないところというのは
ジプシーの生のままの踊りで十分見せられましたが
ジプシーの男の方の分野に入って行った人ということです。

物凄いリズム感で 足は機関銃のように速い。

ロスタラントスと言う映画で
カルメンがばりばりばりっとテーブルにリズムを刻むのを
見た人はいませんか?
あの並みはずれたリズム!!

パルマも凄いです。
となると カスタネットなんか どうやって叩くのか
習わなくても叩けてしまうに決まっているのです。
これが又凄い。

ばりばりばり.....

あの当時のカスタネットは 今のようなベークライトとか
工業製品ではなくて 木でできていますから
なんか軽いおもちゃみたいな音質ですが
それが又なんとも言えずに古色蒼然としていて素晴らしいです。
ああ、フラメンコだな、と胸に沁みます。

私が生粋のジプシーだと思っていて驚いたカスタネットの奏者は
カルメンのほかに ローラ・フローレスが居ます。
この人が又凄いです。
本来はカスタネット付きで踊られないソレアレスなんかを
ばりばりのカスタネットで踊ったりします。

思うに50年代は 色んなフラメンコナンバーを
カスタネットで踊ったみたいです。
何故って スペインと言ったらカスタネットと言うイメージが根強いからでしょう。観客が期待する。
アーティストは楽器を入れる。

フラメンコっていうのは もともととてもコマーシャルなものなので 観客が期待することはいち早くやったに決まっています。

どうも50年代、60年代まで
素晴らしい踊り手達が独自の舞踊団を率いて
世界中を回っていたななと言う気がします。
マリエンマ
ロサリオ
ビラール・ロペス
アントニオ・バイラリン
少し下ってもちろんガデス

ラファエル・デ・コルドバ
マリオ・マジャ

ああ、あの時代にここで成人していたら
面白かっただろうなあ...
フラメンコがまだ人のぬくもりを持っていた
最盛期でした。


●2008年01月15日(火)

突然ですが Iceman

この間日本に帰った時に
サッカーのワールドカップなど重要な試合に必ず
帯同される著名な鍼灸のT先生から伺ったお話。

鍼の起源は中国だと信じられているけれども
どうもそうではないのではないか、という考古学的
例が発見されたというのです。

へえーーーー!?ではどこが最初ですか?

びっくり半信半疑の私に

どうもドイツ オーストリア近辺らしいのです

というお答えでした。

中国の古文書に最初に鍼について言及されているのは
たかだか今から2000年前なのに
なんと このアルプスで発見された氷漬けの男性は
5300年前の青銅器時代?か何かで
脚に鍼の治療跡がくっきりと残っていたというのです。

びっくりーーーー!!

そもそも 散策していたか 登山中の夫婦が
氷漬けの人らしきものを見つけて通報。
90年の初めごろでしたか 記事に書いてありましたが
ちよっと詳細ウル覚えです。
http://en.wikipedia.org/wiki/テ釦zi_the_Iceman
ここで確認して下さいませ。

面倒な方はアイスマンと日本語ででも多少出てきます。

最初は登山者の遭難と信じられていたのですが
これがどうも服装と手に持っているヤジリから
おかしい、原始の時代の人みたいだということになって
救援隊から法医学者の登場になった。

氷漬けのまま運んでー肉がついているんだもの!!5300年も経っているのにぃぃぃー

この男性、解剖して壊すわけにはいかないから
断層撮影をしたら
いろんなことが分かったというのです。

海抜700メートルに住んでいた人で
何故か春まだ浅い3000メートルの山に登り、
何者かと格闘の末 手に傷を負って
背後から矢を撃たれて 出血多量で亡くなったということまで
分かったというのです。
年齢が46歳くらいというから
あの時代としては 随分長生きで
しかも鍼の治療をしていた....

日本語でざっと調べてみても大して載ってなかった気がしますが
英語だと結構ありました。
スペイン語でもかなり詳しい。

何か悲哀を伴うロマンを感じますね
5300年前ってツタンカーメンより前です。

ここから脱線してツタンカーメンにも寄り道して
コンピューターで分析したという王様の写真を見ました。

17歳にして亡くなったので初々しくて 本当にこんなだったのかなぁ と疑いつつも 信じた方が楽しいので
きっとこうだったのだろうと信じる事にして、
美しい顔写真に見入りました。
謎の死だそうで うーーーーむ...

しかし、埋葬されずに博物館で人の目に曝されているって
気の毒です。呪いがあっても不思議ではない。

それにしても5300年も経った人の怨念って
今でも続くのでしょうか。
人の魂の強さについて
何か又 胸苦しく 寝苦しく考えたある夜の私です。

●2008年01月11日(金)

セビジャーナス・ボレーラについて

これは全くフラメンコではありませんから
踊れないフラメンコ・アーティストが居て全然恥でもなんでもないです。

セビジヤーナス自体が、フラメンコではないので
踊れないジプシーが居ても 恥ではありません。

但し、ここがややこしいところなのですが
セビジャーナスを見れば その人の舞踊度が分かると言われるくらいに フラメンコの全ての要素が入っています。
ですから うちでは入門はここから始まります。

セビジャーナスは セビリア市の民族舞踊で
フラメンコと大きく関わって成長しました。
ですから厳密に分けると
フラメンコではないのですが 
フラメンコの全ての上体や
腕と手がついています。

フラメンコの全体の基礎を学ぶのに適しているばかりではなく
スペインに行くと まず踊らされるのがこれですから
踊れない、という舞踊練習生は情けない思いをします。

スペインの現地では フラメンコのナンバーよりも
セビジヤーナスの方がポピュラーだと覚えておいた方がいいです。
よって大切な踊りです。

次にボレーラというのは「エスクエラ・ボレーラ」から来ています。スペイン舞踊のあるテクニックをボレーラと言います。

本来、フラメンコではないけれども非常にフラメンコ色の濃い
セビジャーナスですが、これをスパニッシュ舞踊の色濃く踊るのが セビジヤーナス・ボレーラです。
分かりますか?

簡単に言ってしまうと
セビジャーナスと言う民族舞踊を
フラメンコで踊るか、バレエで踊るか、と言うくらいの差があります。

ボレーラはどんなのかな?と思うでしょうが
クラシックバレエをカスタネットで踊るんだな、と思うと
理解が早いです。あんな感じです。
五番に入れないといけないし。

スペインの踊りは 大きく三つあります。

南スペインで発達したフラメンコ=ジプシーが原点でしたが
優れたスペイン人の踊り手達によって高度になって行った
今ではスペインの主な都市と世界にはばたいているフラメンコ。

次にエスクエラ・ボレーラを含む スペイン舞踊。
スペイン舞踊は クラシックバレエのパにも影響を与えているくらいなので かなりクラシックパレエっぽいです。
これを踊るには バレエができていないと踊りにくいです。
カスタネットは フラメンコは本来使いませんが
このスペイン舞踊が使います。
非常に難解なのに、世界にはフラメンコの方がずっとポピュラーで人気があります。

三番目は各地方にある民族舞踊です。
バルセローナにはサルダーナという舞踊があり、
ほかの多くの地方には ホタという跳躍とカスタネットの物凄い踊りがあります。
特にアラゴン地方のホタ・アラゴネッサが有名です。
若衆姿が見惚れるほどにカッコ良く、
赤い帯をキリリとして 物凄い跳躍をします。

男の人が主役になれる数少ない舞踊の一つです。
この舞踊ではカスタネットは中指だけにはめて独特の奏法をします。

フラメンコでカスタネットを使うのは
シギリージャ
カラコレス
ラ・カーニャ
フアンダンゴ・デ・ウエルバくらいでしょうか。

何故 フラメンコでカスタネットをやるのかというと
スパニッシュ舞踊を見てカッコいいなと思って
使い始めたのだと思います。それは大概はスパニッシュの名手でもともとカスタネットが得意だった人が
フラメンコに取り入れたのだと思います。

その代表的なアーティストに ビラール・ロペスが居ます。
シギリージャを初めてカスタネットで踊った踊り手と言われています。

ちなみに マルテイネーテを初めて踊ったのが、グラン・アントニオです。

 さて、エスクエラ・ボレーラですが
厳密なバレエ式に踊らないで フラメンコ風に崩しても踊られます。跳躍などはしますが 足は厳密に五番に入れたりしないで
靴もフラメンコのままで踊ります。

私もこれはやりましたよ。ホセ・ガルバンと
スペインの夏のフェスティバルで踊った事があります。
もーーーーのすごく疲れる踊りです。
楽しくてカッコいいですが 教えて!と言われると
ぐぐぐっと詰まるものがありますねぇ....

どうしても、て言われたら教えますが。あはは

●2008年01月08日(火)

フラメンコ、かつて語られなかった全て


暮に教室の衣装棚の整理を生徒がしてくれていて
偶然、この絶版本が20冊ほど箱から出てきた。

これはまだ発売前から前予約が入って
発行の時には ほとんど全部予約だけで完売してしまった本だ。

私の生徒でも持っていない人が
今ではほとんどになってしまっている。

教室で生徒に言っても
どういう本か良く分かっていない初級生などは
ぼんやりしていたけれど
BBSに20冊と出た途端に他県、海外からどどっと
その日のうちに申し込みが入って完売してしまった。

灯台下暗し、で真っ先にこの20冊を見た人達はリアクションが遅れて
イタリアやドイツのHP読者より遠い人のようになった。

私と一面識がなくても、この本のことをずっと慕ってくれていた海外の皆さん、ありがとう。
大阪やその他 東京以外からのお申し込みもありがとう。
順番からずれて手に渡らなかった人達、ごめんなさい。
私も残念です。

あれはとても高い本で、今でも気が引けるのだけど
いちいち中の写真の版権を買ったので
とても高くついてしまって
あれより安くできなかった経緯がある。

不法で出してしまった写真など一枚もないのだ。
みんな買った。

在りし日のカルメン・アマジャの迫力迫るいい写真が収まっている。
愛くるしいアルヘンティーナの素晴らしいポーズに
この踊り手がどんなに優れた舞踊家だったかが一目で分かる。

この本を見ると秘訣だらけなのかなと思い込んで
安直にどうかなろうと考えていると失望しなくもない。

ここに書かれているのは、ほとんど私が実際に会ったり
一緒に仕事をした実話から取材されている。
ここが値打ちのつもりだ。

フラメンコの秘訣もどこかで読んだ本の受け売りではなくて
私の長い舞台生活から抽出したエッセンスだ。
ここを読み込んでくれれば 高くない本と感じていただけると思う。

今の日本でもスペインでも
あの不世出の天才舞踊家のグラン・アントニオを生身で知っている人など ほとんどいないのだ。

私は肩を並べて舞台への廊下を彼と話して歩き、
震えるような思いで スペインとフラメンコに憧れた。
ふと
目をやると すっかり帰国準備の整った衣装箱が並べてあり
ああ、ここに隠れて密入国したらどうだろうかと
切なく思った。
時に15歳。グランアントニオの日本公演だ。

その後、スペインに渡ってからは
この天才が客席で、私が舞台の人となった
夢のような立場が実現した。
ああ....!

どうかお手持ちの本を紐解いて
グラン・アントニオのページを読んでみてください。

スペインフラメンコ史は
グラン・アントニオ以前
グラン・アントニオ以降と言って時代区分する。

その素晴らしいグラン・アントニオを
今夜、是非、読んでみてくださいね

●2008年01月06日(日)

冬休みお終い

明日の六日に東方の三賢人に扮した土地の大金持ちのパレードが出てーこれは毎年ボランティアですー
家族 友人はプレゼントの交換をして
スペインのクリスマスは終わります。

七日から子供達は いやいや学校へ...

私はこのところ乱読、忘却の彼方の英語をもう一度
少しだけ勉強し始めています。
毎日 英語日記をつけてみようかなと思っています。
少女の頃、これを毎日何年も続けていました。
やっぱり英作文を日記でするのが一番早い気がします。

思えば、学生の頃にアメリカ留学かスペインかで
私の人生が大きく分かれてしまった気がします。

あの時 勉強していた学科の続きで
アメリカに行っていたらどうなっていたのかな、
と感慨深いです。

アメリカって、スペインのように面白いかしら?
ブロードウエイの出し物はとても勉強になるかも知れないですね

何ていうか、いくら勉強してもしても
全然何にも追いつかない気がします
語学にしても文学にしても
人間の歴史に沢山の偉業や失敗や 文明の記録があって
知ろうとしても本当に追いつかない。

娘が古代ギリシャ語とラテン語を高校の必修でやっているので
オデュッセイとか言語で解読していて中々勇ましい。
私も....と思うのだけど
もうとても手が回らない。

昔からラテン語をいつかやろうと言う目的に掲げて
子供の年齢がこれに達して学校で始めたら、一緒に
と思い続けて来たのだけれど
どうしてどっこい....爆

知的好奇心は まだまだ健在だけど
いやーーーーーしかし、なんていっぱい溢れているんだろう、
文化と文明の まぁ 追いつかない深さよ、広さよ、多様さよ!

きっと何にも良くわかんないまま終わっちゃうんだろうな
姿勢だけはそっちに一応は向いてた、てだけで。

シーザー暗殺の日の事なんかずっとここ数日気にしているのだけど なんで殺されないといけなかったんだったっけ?と
気になって仕方ない。ネットで調べたらじきなんだろうけど
もう、こういうことが のべつ幕なしに 信号みたいに頭をかすめる。いちいち調べていたら机から離れられなくなるくらいに。

ノエル・カワードってどういう役者だった?
なんていう疑問と背中合わせにシーザーの事を考えたりする
関西では 人が降りる間もなくみんな電車に殺到するのは
どうしてだろうと思ったりする隙にだ。

他の人も私みたいだろうか....思い出す限り 割といつもこうだった気がする。

百科辞典みたいな素敵な人が傍に居てくれたらいいのに、
ていうのは 昔からの私の適わぬ願望です。

ま、生来の怠け者ってとこです 笑




●2008年01月01日(火)

スペインのお正月

沢山のかわいいネット賀状どうもありがとう。
暮の日本では郵便局の年賀はがきが いつもと同じように
売り出しになっていましたが こんなに電脳化した世の中でも
やっぱり風雅にああいうものを書いて出す習慣が廃れないで
あるのかしら?

私にはスペインで遠くてラチもあかないというので
ほとんどの人がネット賀状です。
私からも出す時もあるのですが
添付ファイルだと届く前にサーバーだかプログラムに
削除されてしまうみたいで 中々上手く行きませんね。

さて、スペインのお正月。
長年かけてお重箱も輪島塗とか
屠蘇器もやっと思い通りの物をそろえたのですが
中身がどうにもならない。何にも無い。

今回もあれだけ日本に居ながら
やっぱり最後は ごたごたにパッキングしているうちに
僅かのそれらしき和食もスーツケースに入れるのを
忘れてしまい、何にも無しです。
あーーーーあ....

うちのお正月は
苦肉の策のいつもの料理を重箱にやっと詰めるくらい。
あとはバラ寿司でなんとなくお茶を濁してお終い。

暮は年越しの煮込みうどんかおそばなのだけど
これも稲庭うどんを持ってくるのを忘れてしまって
怪しげな中国製のうどんを使ってごまかしました。
買いに行きたくても 売ってないのだから悲しい。

今から思うと、ああ あそこに売っていたお供え餅を飾りたかったなぁ、とか、栗きんとんを添えてみたかったなあ とか...
別に特においしいというものでもないけれど
日本の伝統なのだから やりたいです。
子供はまだ見て喜ぶ年だし。

スペインの大晦日はパーティです。
若い子達はおよばれに出かけて家族を顧みなくてもいいみたいです。
有名ホテルなどで暮の大パーティを催して
豪華なショーがついたディナーコースがあります。
物凄く高いのだけど、家族で出かける人達も結構います。

あとは身内がみんなで集まってご馳走と除夜の鐘ならず
カンパナーダを聞いて ぶどうを鐘の鳴り終るまでに12個食べます。抱擁しあって新年を祝う。
庭や広場に出て 派手な花火が打ち上げられるのを楽しみます。

うちも下の娘が頭から毛布をかぶって
花火を見ようと騒ぐので
仕方なく寒い寒い庭に出て
あちこちの市役所から打ち上げられる花火に興じました。

こんな風にして大騒ぎにはしゃいでくれる子供がいる風景が
いつまでかな、と思いつつ...

元旦はお休みですが
暮が31日まで仕事があるのと同じく
二日から平常どおりです。

六日に東方の三賢人のパレードがありーサンタクロースではなくー
ここでプレゼントの交換をしてー12/25ではなくてー
翌日から子供達は嫌々学校に戻って行きます。

この東方の三賢人のパレードは
土地のお金持ちが毎年ボランティアで扮して
自前でキャンディーの雨を降らせて街をパレードします。

今でこそキャンディーになりましたが
昔はおもちゃの雨を降らせたということです。

あの私と共演したギタリストのペドロ・シェラの住む村では
一昨年だつたか仕事の打ち合わせに行った時に
ちょうどこのパレードとぶつかってしまいましたが
小さい村だけあって パレードではおもちゃの雨を降らせてました。ボールや人形やちょつとした安物のおもちゃを
手づかみで道路の右左に花咲爺のように振りまくのです。

この役をやるのがお大尽の冥利のようです。

中々楽しい催しです

それでは皆さん 良いお年をお迎え下さい
今年もどうぞよろしく。


http://www.flamencoole.com/

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