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2008年05月のセビリア発信・つれづれ草
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●2008年05月30日(金)

連休の日々

三月からこっち 連休ばかりで脳が腐りそうになる。

勿論セマナサンタの三月
フェリアの四月
ロシオの五月だ。

全部一週間ずつ。
でもって明日の金曜は セビージャ建国の日かなんかで又休みだ。

子供達は 都心の学校ではないので休みではない。
なのに お手伝いさんは休みだそうだ。

またーーーーぁ???と言うと
別の通いの家には内緒で
うちにだけ来てくれると言う。

マノーリというこのお手伝いさんは 
私が外国に出るような場合にだけ呼ぶわけには行かないので 
毎日来てもらっているが
素晴らしく有能で 仕事が速くて 
うちの家族が大好きなので
もう親戚のように居ないといられないような気持ちになっている。
慣らされてしまったのだ。

親類が居るわけではないのだから
いいのではないかしら?
こういう人が居てくれるのも。

子供の事もとてもかわいがってくれて 
自分のお給料からお菓子だの色々小さいプレゼントをこっそりしてくれているみたいなのだ。

犬も大好きだと言うので 四匹もいる私としては大歓迎だ。
ただ、
うっかりしているとカレールーにほうれん草だの小松菜を入れようとするから、これだけは本当に困る。

味噌汁も教えてみたけれど びっくりするくらいにまずい。
なんでかなぁ やっぱりこういうものは覚えにくいのだろうかしら。

向こうの作る肉のスープなんかは オリーブの入れ方がダイナミックで苦手だ。
私はこういうものが上手く作れない。
スペインのどかっーーーーとした煮込みものは 油に躊躇するからとても下手。

マノーリは50代の後半だけれど
きびきびしていて とても強い。

フランコ独裁政権の真っ只中に青春を過ごした人達というのは
とても古風に厳しく育っているので ある意味
堅気な苦労人としての良い気質を持っているのだ。
彼女の中の金銭の潔癖さと律儀さは
そう滅多に見つかる気質ではない。

私はいつも 困った時に 絶妙のタイミングで素晴らしい人と出合って助けられる。

順風なばかりの人生では決してなかったけれど
この幸運だけは 子供の頃からずっと私の心の中を明るく照らし続けた。

何が書きたかったのかな、今日は....

ありがとう、そんな気持ちかな?

誰に?

マノーリに、
毎日のベッドに飛び込む一瞬に
目覚めた朝に、
紫の花のジャカランダに....

●2008年05月27日(火)

ベルリン

スペインの高校は二年しかない。
そのかわり中学が四年間ある。
差し引き日本と同じ計算だ。

さて高校も二年の終わりは 大学受験で大変なので
修学旅行は一年生の終わりに行ってしまう。
なんかピンと来ないのですが....入学して仲間になってまだ八ヶ月だ。
ま、仕方ないので入学早々 修学旅行。
うちの元水泳娘のケースです。
子供とともにスペインの社会がだんだん始めから分かってくる
私達です。

ベルリン。
旧東ドイツに囲まれた街。

結論から言うと さんざんだったらしいです。
行き先がフランスとドイツに分かれて
誰かの強行な意見でドイツになったわけですが
スペインではみんな半袖の季節にとても寒かったというし
なんか一度とかでしたねぇ 四月の終わりくらいで。
雪が降ったとか降らないとかで とても寒い。
次に人が みんなして不親切という印象を持ち帰りました。
ホテルのフロントのオネエさんも あんまり無愛想だから
何もお願いする気になれなかったというし、
驚いたのは 道行く人にちょっと記念写真のシャツターお願いしますと頼んでも うるさそうに手を跳ね除けて渋面というのに
何度も出合ったという。

へえええーーーー!!??

10代の外国から来た かわいい顔した女の子達に
甘い声でお願いと言われて 押してやらないかねえ....
驚き。

娘のクラスの子達は うちの近所のご隠居でさえ声音が変わってしまうくらいに きれいなかわいい女の子達ばかりなのに。
ドイツ人、鋼鉄!!

次に困ったのが トイレ。
どこにでも トイレの番人のオバサンいて
1ユーロと10払わないと 入れてくれないのだそうだ。
これ、200円近い換算です。

バーガーキングでみんなでもりもり食べていた時に
ここならお客で来ているのだから大丈夫と思って
財布も持たずにトイレに行ったら やっぱり入り口にオバサンがいて むんずと腕をつかまれてしまったという。
ドイツでは 小銭を持って出ないとまさかの時に大変みたいだ。


それから、ベルリン一の目抜き通り、お店で賑わいの中心街にみんなで繰り出して行った時の異様さを娘は 強調する。
「あのね、セビージャのシエルベス通りみたいに 人がいっっっぱい行きかっているのね、なのにね、なぁんにも声が聞こえないのよ。みんな並んで歩いている隣のお友達に 耳打ちして絶対に普通の話し声でおしゃべりしたりしないの。
いっぱい人が居るのに 声が聞こえない。みんな耳に囁いている。不気味よ。それでね.....」

セビージャっ子だもの 
わあーーーーーきれい
わあーーーーいいな!などとみんなで歩いていると
通りがかりの人が渋面で シーーーーーーっ!!と黙らせるのですって。

これで思い出すのが 
ポルトガルのあるレストランに入ったときの事だ。
当時、私の娘達はまだとても小さくてちょろちよろしていた。
言葉も声も幼児独特だったのだけれど
レストランに入るなり そこはほとんどがドイツ人とイギリス系のお客で満席だった。
いっぱい人がいるのにしいんと静まり返っていて 子連れには居心地が悪くてすぐに出てしまったのでした。
あの静けさは いたたまらない。

続いて、記憶がよみがえるのが
フランクフルトでの五つ星ホテルだ。

そこのスポーツジムの係りの若い女性だ。

ジムとプールを利用していて ちょっとサウナを見に行って
一分もしないで なるほど程度に出てきた途端に料金が別だと
まくしたてられたのだ。

中には入ってなくて廊下から見ただけで 時間からしても
利用していないとわかり切っているのに 
主張してやまなかったのです。

普通は一流のホテルでこういう せこいというか失礼な事は起きない。
それもまるで万引きの現場を押さえたような得意顔。
ああいうのを見るたびに ホロコーストに連れて行かれるのは
この感じの人に捕まった時だなと合点してしまう。
特高警察的な凄みがあります。
そして なんともやりきれない辛い陰湿な感じがずっとつきまとうのだ。

私はこれとルフトハンザのテコでも動かないきつい係りに往生した二件だけでも ドイツは嫌だと思ったくらいでした。

スペインも嫌だけど まだ明るくて可愛げがあるから
憂鬱な犯罪的嫌悪には落ちないで済む。

どうしても北のきついお天気の人は
明るい温かみに欠けるのではないのかしら。

スペインもいい加減過ぎるけど
やっぱりピレネー越えて北ヨーロッパには行きたくないなと思います。

修学旅行の最終日
飛行機に乗り込んだ高校一年生たちは離陸するなり小窓に向かって叫んだのですって。
「さようなら 親切な人達!!」
「さようなら麗しい 素敵な思い出!!」
「さようなら ありがとう 楽しい数々ぅぅぅぅぅ!!」

やっぱりスペインの子達は 可笑しい。

●2008年05月20日(火)

フェルガ


スペインの3大パーティは、
赤ちゃんの洗礼式、
七五三のようなもの=プリメーラ・コムニォン9歳、
結婚式だ。

どの場合も盛大に親族、友人を100~500人くらい招待して行われる。ジプシーの場合は 式の後に更にフラメンコのフェルガが延々と続く。

ギタリストのパコ・フェルナンデスの娘のソレアが
九才になった。
赤ちゃんの時に洗礼式をした教会に
自分の足で歩いて出かける式だ。
キリスト教徒として一人前になった証。

花嫁衣裳のような白い長いドレスを着る。
とてもかわいいのだけれど
これが結構 子供にはうっとおしくて
大勢のお客の接吻とお世辞と祝福を受けて
四時間も五時間も我慢だから
もう うんざりしてしまう。
最後には機嫌まで悪くなる。笑

この洗礼式におよばれして家族全員でめかし込んで出席した。
カンタオーラのエスベランサ始め、
フエルナンデス一家血縁総出で 圧巻だ。

トリアーナの街角にある有名なフラメンコ・バー・レストランで披露宴というか 会食が行われたので
みんな歩道に溢れて そこでフラメンコになった。
道行く人がみんなで輪になって 大喜びだ。
なかなかの光景でした。

昔は道のあちこちからギターの音色が流れてきたトリアーナも
今は生活がモダンになって 昔の風情が無くなって来ている。
街角で人が踊っているなんていうのも もっと珍しい。

やっぱりクーロ・フェルナンデスや奥さんのペパの歌は
渋くていいなと思う。
昔ながらのレトラの数々は 胸にじいんと沁みる。

マノーロ・マリンに会った。
下の娘はまだ子供子供しているのだけれど
上の娘はすっかり大人びて マノーロがびっくりしていた。
「いやぁ きれいな娘さんに育ってモテて大変でしょう!君のお母さんもとてもきれいだったからね、(と言ってから慌てて次を付け足す)勿論 今でもだけどね」

なんか過去形だったなぁ....と言うと
娘が「今でもって言ったわ!」

「そりゃあ スペインの男だもの。抜かりは無いわよ 間髪いれずに修正よ。」

マノーロに会えて嬉しかった。
引退してベタンソにアカデミーは譲ったけれど
外人の易しいクラスを最近またやりだしたと言っていた。

いつまでも元気に 教えていて欲しいと思う。



●2008年05月16日(金)

でしゃばりフラメンコ

ある音楽家があと三日で外国でコンサートなので
ちょっと遊びに来いと言うのでーリハーサルで抜けれなくて
仕方ないのでーお友達としては励まさないといけないし
会いに行った。

ちょっと車飛ばして来ない?

という電話を何度かもらっているのに
こんな簡単そうな事でもなかなか時間の工面がつかなかったりする。

コンサート前って緊張しているし 潰す事もいっぱいあるんだけど なんか物凄く人恋しかったりする。

人恋しいのだけど 関わっている音楽家では慰めにならない。
全然別の人で利害が関係していなくて
なんか打ち明け話でも できたりする
勿論 ある程度専門が分かる人でないと話が出来ない。

こういう人が「長居しないで」来てくれると嬉しいのだ。
さっさと帰ってくれるっていうのが大事。
これが不安だと来て!とは言えないので 人選が厳しい  笑

行ってみると 熱烈歓迎で話が止まらない。
何度も立ちかけては引き戻されてしまった。

あと三日でやるコンサートの一部も聴かせてもらった。
音楽家の心の高揚が分かって 楽しかった。

数ヶ月前に フラメンコのホアキン・グリロと共演した時の苦しみを聞かされて 笑ってしまった。
全然出番でないところで いきなり出てきて踊るし
10分でいいところを30分も踊りやめない。
イベントの流れが分からなくなるくらいに
めちゃくちゃにした。(同感。客席で見ていて えっと何の会だったっけ 今日は?と思ったくらいだから。)

楽屋には奥さんが赤ん坊を始め
身内を山のように連れて来ていて
ワーワーギャーギャー大変な騒ぎ。

本当に生きているのも辛いくらいに大変だったと言う。

おーおーこの辺りの苦労は 良く分かるナァ.....

ホアキンは首!!!!
もう二度とああいう輩とは仕事しない。と言う。

ホアキン・グリロって、パコテ゜ルシアと出てきた時は
本当に良かったけれど あの初々しさは無いのかな
と キモに銘じた。

フラメンコの共演者って 本当に大変だ。
前は良かったけど 数年したらどういう人になっているか分からないし、クラシック音楽ではこういうことは流石にないらしい。
みんな きりっとリハーサルするという。
本番で めちゃくちゃになるなんて事は無いという。

あんな野生のサルみたいな、ですと ははは
クラシックっていうのは みんなちゃんとお勉強してたたき上げて来た人達だから めちゃくちゃはやらないのだろうな。

中々興味深いお話をして 励まして帰って来ました。



●2008年05月14日(水)

石橋の叩き方

良く、石橋を叩いて渡ると言うけれど
崩れるはずのない石の橋でも 万一のために疑ってかかり、
堅実に行く ということわざのようだけれど、
このことわざは、優柔不断の人にも使うものらしい。

石橋が崩れるまで叩くってやつだ。あはは....

慎重すぎて壊しちゃうってわけです。
ああ、大丈夫だったんだなって 川に落ちていく 
後の祭りの橋を見ながら 渡らずに思う人の事なのかな。

私も年齢を重ねて いろんな人を見てきたけれど
成功する しない、幸運をつかむ、つかまないっていうのは
チャンスがめぐって来るかどうかと言うよりは
本人の性格なんだなと思うことがしばしばありました。

幸運に恵まれないっていう場合よりも
幸運に背を向けるって人もいるんです。

どんなに親切に分析して手伝ってあげても
親切に説得してくれる事自体を今度は疑ったり
火を見るよりも明らかな理論を目の前で展開してもらっても
その展開する手腕の鮮やかさが疑わしく気になって
肝心の理論が頭に入らない。

疑い深過ぎて 目の前に見せられる事に
とりあえず全部ノーと言おうとする。

このように頑な人も世の中にはいるんだな、と思います。

軽薄はいけないけれど 
たまには石をヒトっ跳びに跳ばないと
友情も人生も きらめきってものが少なくてつまらないなと思うのです。

ありがとう と明るく言い放って 深呼吸する、
そういう瑞々しい小さな決心って
人を幸せにすると思うのですけれどね。

今日は 逡巡についてなんだか考えされた朝でした。

皆さん、良い一日を。
これから稽古です。飽きもせず....ははは

●2008年05月10日(土)

岡倉天心の茶の本

茶の本
THE BOOK OF TEA
1906年(明治39年)
岡倉天心によって英文で執筆され
同年ニューヨークで出版
当時ボストン美術館に勤務、
天心44才の時

岡倉天心を探求していて ずっとこの茶の本が欲しいとじたばたしていたのですが なんとまあ、ここに全文出ています。

有難いです。

ネットはこれだから出版社は傾き、ある意味大変な世の中になりつつあるのですが
私は今回ばかりは正直有難いです。
http://www.linkclub.or.jp/~flmbwys/tensin/bookcha.html

翻訳ではなくて原文が読みたいと思ってじたばたしていましたが
英語で書かれた原本までこちらに出ていて
私はとても幸せな一週間が過ごせそうです。

http://www.linkclub.or.jp/~flmbwys/reading_E/E_top.html


1906年に 英文で世界に発信するって
本当に気が遠くなるほど偉大な事だと思いませんか?

日本はまだ江戸を引きずっていて、明治維新からもそれほど遠くない、四方に列強が迫っていてまさに危機感迫る時代です。

ちらっと拾い読みしてみましたが
そこに幕末 明治を生きた日本人の迫力がみなぎっていました。
この愛国と危機感が やっぱり外地にいる私のような者には
身につまされて良く分かります。

天心の時代は 日本の地位など無いに等しく
世界に認められておらず
アジアの国は次々と西洋に隷属させられていた時代です。

そういう激しい民族の誇りを踏みにじられる時代に
いてもたってもいられなかったであろう 天心の民族としての気迫がどっとなだれ込んでくるような気がします。


●2008年05月08日(木)

鹿鳴館


最近、日本の研究家と知り合う機会が多い。
そのたびに論文とか渡されて
すぐに読まないと次に会った時に困るので
それで図らずも 読書が増えている。

先日は日本音楽の講義で助手を務めた
素晴らしくハンサムな男性に
「僕の論文です どうぞ読んでみてください」
なんていきなり 名刺代わりに
鹿鳴館とその外交的失敗の研究を
渡されてしまった。
名刺にしては長い....20ページもある。

結論から言うと
あの時代の悲しさを 
外国人に一刀のもとに切り下げられてしまうのは 
私は 面白くない。
小僧、何を知った風な!!
なんて思っちゃう。

アイデンティティを失った外交、なんて
言われたくない。
じゃあ あんたは?
なぁんて 言い返したくなるんだなぁ....

あれはね、欧化主義の
薬が効きすぎて ちょっと横滑りしただけよ。

井上馨についても なんか掘り下げが足らないし
まぁ こんなもんかな とも思う。

昨年日本に留学していたとかで
パソコンを立ち上げると壁紙が秋葉原の電化街なので
笑ってしまった。
秋葉原が大好きだと言うのだ。
あのフリークした人達を見るのも面白いし
町並みも好きだと言う。

じゃあ 今度は私のスタジオにも寄ってみて!と
お勧めした所です。
この秋から九ヶ月間の奨学金をゲットして
又日本に留学するそうです。

うちに来たら 教えてやってよ フラメンコ....

●2008年05月06日(火)

筋トレー根性の人々

仕事が立て込むとどうしても犠牲にしてしまうのが筋トレだ。
何故か決まった時間をずれるとやる気がしない。
こんなんではいけない。
閉まる寸前のジムに駆け込んででもやらねば!!


しかしいつも感心するのが
別に何かの仕事でどうしても筋トレをしないといけないという
例えば私のような人間でもなさそうな普通の人っていうのが
侮れない根性で がんがんやっていたりする。

女の人で懸垂ーけんすいーが得意っていうのは滅多に見かけるものではないけれど 腕ひとつでぶら下がって
鉄棒の上に顔を出すって凄いと思うのです。

ふつーーーーーーの主婦みたいなぽっちやりしている人が
この間これをやっていてたまげてしまいました。

私なんてぶら下がるだけで もう精一杯。
自慢じゃないけど数センチとか上に行けない。
腕の力はこんなには ないです。

先日も腹筋をもう嫌というくらいにやっている
これ又ぽつちゃりしたふつーーーーの年配の女性が
メガネしたままで 何回も何回もやっていて驚きました。

なんていうか 劣等感に襲われるくらいでした。

とにかく私っていうのは長く同じ運動をするのが嫌い。
歩くマシーンでも
もつれるくらいに早いヤツでさっさと終わりたい。
とても30分とか一時間なんてやっていられないのです。
よく あれで汗だくだくになっている人がいて
その忍耐力に傍を通っただけでもげっそりしてしまいます。
いや、いいなぁ と思うべきか。

筋トレがここの所停滞しているのは
重さを増やせない微妙さにいるからです。
あと一コマの五キロがどうしても重過ぎてできなくて
かといって現状だと少し軽くて効果ない。
マメに二キロとか三キロ加減すればいいのだろうけど
マシンよっては微調整ができにくい。

胸筋が25キロでもきつかったりする。
多分今日だ。昨日サボってるし、土日もあったし。

脚だけは凄くて重さがあと二メモリしかない。
最高が80キロなのに70キロで内転筋と外転筋がへいちゃらだ。
この先どうしたらいいのかな。

脚の前後左右の四面をしっかり鍛える。
脚は平気だけれど 上体になると胸が座われば35キロ
仰向けだと苦しいから20キロだけ

腕は更に貧相で五キロがやっとだ。
おお、きつい。

背筋は25キロしか駄目
だから懸垂なんてとてもとても....
屋上からぶら下がったら自力で這い上がれない!
こんな事ではいけない! 
悪者に追い詰められたら這い上がれないなんて!
なんとか倍にならないかなぁ...

朝の筋トレでいつも会う女性がいるのだけど
この人が物凄い。
2時間くらい鍛えている。同じ事を何回も!
小柄で細い腕にみるみる筋肉がスジ立つのだ。
懸垂もできしまう。

受付の男の子に聞いたら登山家ですと。

なぁるほど 

ロッククライミングだと
腕で体重が十分支えられないといけない。リュックも。
わぁ 凄いな....といつも感心する。

学校の給食のお姉さんなので
お昼の時間には仕事に入るらしい。
だから午前のジムで ぎんぎんに鍛えて
涼しくシャワーを浴びて 出勤して行く。
なかなかの人物であります。

●2008年05月04日(日)

日本の音楽会

先週、大使館の名誉大使のお招きで
日本の音楽についての講義を聴講しに行った。
セビリア大学の建築学科の先生がなさる講義だつたのだけれど
音楽にも造詣が深く、日本の楽器や音楽の講義をなさるというので とても楽しみにしていた。

会場はフラメンコの催しも頻繁にあるセントラル劇場で
沢山の大学生や日本研究家が集まってなかなか面白かった。
ノートもとらないのは私くらいしか居ない。
あらら....熱心に聞き入った。

琴についての詳しい説明があったので
なんだ持って来て上げれば良かったと残念だった。

うちには琴と三味線が一応ある。
実演しろと言われれば ちょっと困るのだけど
見たらスペイン人はきっと喜ぶに違いない。
次回は是非。

公演後に 教授と助手の素晴らしくハンサムな若い男性と
階下のBarで軽いお食事にご相伴した。

他にアンダルシア自治政府の役人と言う男性は
囲碁の大家ということだった。
当然、数学から囲碁に入っている。
ここいらで囲碁をするという人はみんな数学者がらみなのだ
ご隠居とはちょっと違う。

昔、チェコの数学者とお友達だった時に
囲碁をやるというので お話し伺ったけれど
まったくこの世界には疎い私は 話題が続かなくて
立ち往生した。
またもや囲碁だ。

興味深い事に 来年辺りからここの大学の正式な学科として囲碁が承認されたというのだ。
凄い。
日本でもあるだろうか 囲碁学科
無いんじゃないでしょうか。

外国の方がこういうものに評価をするつていう所が
日本の辛さではないでしょうか。
もしもあったら私、日本 見直します。

ところで
こういう多くの日本研究家っていうのはみんな
本当にうんと若い時に日本への興味を抱いて成人するようなのです。

この教授は11歳の時に柔道を習わされたのがきっかけだそうです。
11歳!!

あなたフラメンコ、私 日本研究家 (爆)

教授の音楽講義の後に
日本のコンテンポラリー音楽会があるのだという。

え!!??そうなんですか?

そうですとも。だからその前に私の講義があったのではないですか!!

なるほど...講義と実演ね。それは立派な構成です。
では音楽会に残りますか?行きましょう?というので
私はうっかりついて行ってしまった。

日本音楽...雅楽....ぼんやりしていて
「コンテンポラリー」というのが意識から抜けてしまった。

劇場に陣取って
しまった!!と思ったときには もう始まってしまった。
がくん!!.....かがん.......どどっ......がしゃん!

ふえーーーーーーコンテンポラリーだぜ。ちっとも音が繋がんないぜ。死ぬーーーーーー!!

四曲目....
もそもそも もそもそもそも.....

「あの アキコさん、あそこの右のドアから帰れそうですよ」
教授がスペイン語で囁く。
「逃げても いいですか?」私が日本語で囁き返す

ええ、ええ、いいですともと うなづく

ずらかれ!!!

外に出た途端、日産ミクラがとても愛おしく見えた。
アクセルをぎゅーーーーーーんと踏み込む私でした。

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