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スペイン発不定期便〜友繁晶子フラメンコ・バレエ・アカデミー
スペイン発不定期便

第42回 どうせ日本人だからって気持ち...
第41回 舞踊、観客に問う物
第40回 宝石と語り合う思い
第39回 踊りの資格
第38回 舞踊、怪物が出てくるまで
第37回 瀕死の白鳥
第36回 雨に降り込められ、泥くさいフラメンコの考察
第35回 アントニオ・バイラリン
第34回 水面下の落ち込み
第33回 わわわ!ホセ・アントニオ様!!
第32回 ビエナル、思い出したこと
第31回 ビエナル、そんなに素晴らしい?
第30回 バレエ・ナショナル・デ・エスパーニャ
第29回 お見それしました!……
第28回 集中レッスンの最中で……
第27回 言い訳けがましいですけど……そんなに悪い母でもないです
第26回 すごいアーティストの考察
第25回 集中レッスンの受け方
第24回 透き通ったアカデミー
第23回 フラメンコの原点、についてまずわかりやすく
第22回 夏の過ごし方、のつもりが夏休みで脱線、まぁいいかしらん?
第21回 名刺がわりに、子供を出す国
第20回 43℃で熱血お稽古
第19回 フェルガ・ヒタ−ナ、ファミリア・フェルナンデス
第17回 集中レッスンびっくり箱!
第16回 汽笛一声、文明開化だ、セビージャは!・・・
第15回 バルセローナ!・・・
第14回 いばりん坊・・・
第13回 またもや、フェリア、ああ、されどフェリア・・・
第12回 フェリア、ああ、されどフェリア・・・
第11回 スペインと日本の狭間 まじめにお仕事
第10回 バック・ミラーに気を付けろ!
第9回 気になるあの人・・・
第8回 不定期便の前後
第7回 イスラエル ガルバン
第6回 村治佳織さんを迎えて・・・
第5回 セビージャから愛を込めて−失意の底に居る人へ
第4回 本当に本当に本当のことよ!
第3回 集中レッスンを終えて
第2回 新人公演・カンテ出場裏話
第1回 バレエ

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スペイン発不定期便

― 気の向くままにちょっとエアポケット ―

第35回 「アントニオ・バイラリン」...巻


  日本滞在中に是非、書こうと思いつつ、
やっぱりそれどころではなくて
書けなかった。

偉大なるアーティスト、
アントニオ・バイラリンこと、
グラン・アント二オの事だ。

 もう、明日は日本に発つという、
11月21日の晩、
突然九時のニュースで
アント二オの全財産が 競売にかけられたと
アナウンサーが報じた。

ええ!?とばかりにテレビに駆け寄ると、
画面いっぱいに
垂涎ものの

書画、骨董、舞踊団の衣装の数々が、
映し出された。

全財産、というのは語弊があるかもしれない。
親類縁者の手に余るような宝物達、とでも言おうか。

 世界にいくらもないような、
古い、珍しい
スペイン舞踊の絵画コレクションや、

時代公証の行き届いた舞台衣装、
アント二オの数限りないポートレートや、
映画フィルム、
特製の真っ白な踊り靴とか、

それはそれは大変なものが
次々と画面に登場した。

アント二オが使っていたパリージョなんかは、
私はいくらしたって
手に入れたいくらいだというのに、

こんな競売があったなんて
一つも知らされなかった。

驚いた事には、
日本から競り落としに来ている一行もあったのだ。

すごい情報通!
なんでよ、誰よ、それは!?

お膝元にいる私になんにも知らせてくれないでー!.....
思わず、ひがんでしまったのでした。
(しかしすごいですよね、我が民族の機敏な事と言ったら)

 競売の様子と共に、
生前のアント二オの経歴が
ざっとフィルムで流れた。

フランコ独裁政権下のスペインを捨てて
パリに住んでいた、

あの天才画家ピカソ一人のために
わざわざパリまで踊りに行った
アント二オの姿が現れた。

その時ピカソから贈られた
宝石のついた立派な指輪が、

次に画面に大写しになった。
これも競りにかかったらしい。

アント二オが「三角帽子」の振り付けをした時に、
ピカソが
その舞台の後ろに掛ける幕を描いた
という話は

前に聞いていた気がしたが、
この二人の絆というのが
今一つピンと来ないでいた。

あんなものを天才とうたわれた画家が
描いたりするものかしらと
半信半疑だったのだ。

まいったな、スゴイ舞台装置を持っていたものだ。

 ローマ法王からアント二オに特別に贈られた
あの、独特の丸いお帽子は、
カトリックの教徒には
破格の値打ちがあるのだそうな。

ものすごいお値段がついたと報じられた。

 一体、どうして
これらのものを
手放す事になったのか、

誰の許可があって
こんな事になっているのかは

一言も報じられなかったので、
私はなんだか残酷な、
辛い何かが漂っているような

落ち着かない気分にふさいだ。

 アント二オは独身を通したことで有名だ。
その、つまりヌレエフみたいに、
子供がいないのだ。

身内の誰かが財産を相続したとしても、
それは近親とは思いにくい。
あまつさえ、
十歳にもならないうちから

全生涯を旅に暮らした人なのだ。
親戚といっても
おそらく遠縁なのではないだろうか。

 何かとても悲しい気持ちにふさいでしまった。

夜、ベッドに入ってからも
晩年のアント二オが

ひどく乾いた目をして
車椅子にかけて、

じっとカメラを見つめた写真が
記憶によみがえってきてしまった。
あれは何かの雑誌の
グラビアだったと記憶している。

ひざ掛けがかけてあるのに、
顔は毅然としていて
目は乾いた表情で、
心が探れない。

見る者に、哀れや悲しみを許さない強さが
にじみ出ていた。

けれども、それは
とても心を打たれる

衝撃的な写真に違いなかったのだ。

スペインそのものだった人が、
あのようにイスにかけているのは。
踊りそのものだった人が、
ああしているのは。

 競売のニュースに接したこの晩、
大切な、心から愛していた人が
傷つけられたように

辛い思いがした。

実は私はセビージャに渡ってから、
アント二オその人に
タブラオで会っているのだ。

ああ、又泣いてしまう。
アント二オが亡くなった時、
彼の親友のマリア・ロサが
ぼろぼろ泣いて

「ああ、かわいそうなアント二オ!
バレエ・ナショナルの仕打ちが、

彼を最後まで苦しめたのよ」
と言っていたっけ。

バレエ・ナショナルこと
スペイン国立バレエ団は、

引退したてのアント二オを
芸術監督に招いておいて

たったの二年で
その席を追ったのだ。

80年に就任して83年に解雇した。

 確かに世間で随分取り沙汰されていたが、
私はこの年にスペインに留学したばかりだったし、
プロデビューしたてだったから、
とてもそれどころではなく、
世間の論争など上の空の日々だった。

あの時の事情をそのうち誰かに聞かなくては!
そうだ、やっぱりチャノ・ロバートに聞いて見なくちゃ。
この歌聖は、長年アントニオと世界を回ったのだ。
 
悲しい気持ちを抱いたまま眠り、
翌朝の日本行きの飛行機で
またもやアント二オの競売についての
新聞記事に出会った。

詳細を読んでみると、
どうも競売は
内輪の政府関係が
主だって行ったらしい。

つまり、博物館とか公の場に、
遺品や記念の品の数々を
引きとってもらう事が

主目的で
個人の収集家などの手に渡してしまいたくない、

いうものだったらしい。
まだましか、と胸をなでおろした。

 けれども私にあのような叔父があったなら、
とてもピカソの指輪だの、
パリージョだのを
手放す気にはなれないと思った。

一体どうしたのだろうか、
なぜ売らなくてはならない?

みんなして年をとってしまって
守っていけないのか?

ここで、新聞のこんな下りに突き当たり、
私は呆然とする。

「競売の利益で、
生前のアント二オの借金も清算したい遺族の意向が、...云々」

借金だって!?
成功に次ぐ成功を収めたあの人が!?

ハリウッドの黄金時代に
数限りない映画に出たあの人が?

世界の端から端まで、
大成功の公演しかした事のないあの人が?

六歳でデビューして、
50年間も舞台にあったあの、
天才が?

どんな興行を打ったって、
借金が後に残るような事は
なかったと思う。

あの、不世出の天才にして
世界中に絶賛された

今世紀最大のアーティストが、
莫大なるギャラを上回る窮地に陥ったとしたら、
その他のわれわれ雑魚はですね、
氷点下50度くらいの

もう、困窮目を覆わんばかりの
惨状にヒーヒー、

これでも人か、
というような生活に.....

ととと、言い過ぎか。
興奮してはいけない。

 とにかく、驚いてしまった。
負債があったなんて。

もしそれが本当なら、
晩年のアント二オは

こんな世界の博物館が
買いに来たがるような宝物と、

思い出に囲まれて、
どんな思いで暮らしていたのかしら。

 ここにアント二オの思い出とともに、
その素晴らしい芸歴の一部を紹介する。



アント二オ・バイラリン(ANTONIO BAILARIN)
本名ANTONIO RUIS SOLER/SEVILLA/1921〜1996

 日本ではグラン・アント二オ、
スペインではアント二オ・バイラリンとして広く名前が通っている。
今世紀最大のスペイン舞踊のスターであり、
改革者であり、功労者。

ほとんど全てのスペイン舞踊の振り付けを手がけ、
今日の重要な基礎を築いた。

フラメンコにおいても、
マルティネーテを初めて踊った舞踊家として忘れてならない。

スペイン舞踊史上の巨人と言ったら、
この人を置いて他にはいない。

この点、とかく論争の的になりがちな評論家達の意見も、

全く異論がないほどに一致する。

 幼少時に既にその類稀な天分により、
スペイン舞踊家として6歳でデビュー。

その後約、半世紀にも亘る長い芸能生活の半分を、

この幼時に初めてコンビを組んだ
名バイラリーナのロサリオと共に踊り、

世界中に名声を馳せる。
その芸歴はまた特殊で、
踊り手としての名声はスペインというより

むしろ、アメリカで確立し、
12年もの長い芸能生活を南米と北米で過ごす。

後に祖国に凱旋してから、
ヨーロッパに版図を広げている。

79年日本公演を最後に引退。
80年スペイン国立舞踊団に芸術監督として招かれる。(83年解雇)
晩年をセビージャに暮らす。


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